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火野葦平と河童

2019.06.01 14:27

https://blogs.yahoo.co.jp/yashinomi1948/5307071.html?__ysp=54Gr6YeO6JGm5bmz5rKz56ul  より

【火野葦平と河童】

河童は全国いたるところに民話があるが、特に東北の東野と九州はこの筑後川が河童伝説で有名。前者は柳田国男の<東野物語>がこの地方の河童伝説を有名にした。これを東の横綱とするならば西の横綱は九州は筑後川沿いの地方である。<花と龍>で有名な北九州は若松の作家の火野葦平も河童をテーマに<河童ものがたり>説話集を出版している。1955年の出版で、実はYashinomiはその本を持っている。しかも火野葦平のサイン入りで、Yashinomiの父の名前が書かれてサインされている。この本は何故か河童図書館で知られたWebsite http://www.albsasa.com/index.html でも記載がないので案外希少本かもしれない。中学生の頃、父の書棚で見つけ、読んだがなかなかおもしろかった。

なぜ芥川賞作家の火野葦平が河童に興味を持ったのか知らないが、葦平の河童への傾倒は女流作家(宮本百合子?)より痛烈に批判されている。元々火野葦平は社会主義的色彩の濃い作品<糞尿譚>で芥川賞を受賞したので、それ以降もこの路線と左派には期待されたのかも知れない。しかし日華事変から太平洋戦争への流れで葦平は中国方面の従軍記者としてマスコミにもてはやされた。戦争文学である。終戦後はGHQからも睨まれた時代があったと聞いている。

Yashinnomiが思うに、社会分析や批判を行うのに、動物や妖怪を使って時の権力を煙に巻く方法は日本文化の歴史にも多々見られる。代表的なのは鳥獣戯画。人間以上に画中の動物は人間社会や時の権力の滑稽さや矛盾を鋭くハイライトしている。かなりの辛辣なものでも動物であれば権力の指弾をかわせるのかもしれない。夏目漱石の<吾輩は猫である>この種のジャンルに含めることが出来よう。猫の擬人化か想像上の妖怪の河童の擬人化かの違いだ。

ところで若松の火野葦平宅には小学1年生の父に連れられて何度か訪れたことがある。廊下の途中に便所が大小あるのだが、その隣に何故か等身大の河童の模型が置いてあり、小学1年生のYashinomiにとっては緑色の甲羅を背負った異様な怪獣であった。この夏、Yashinomiは急性肋膜炎で倒れた。最初は風邪との見立てが数日後に様子がおかしくなり、大病院に運ばれてそのまま入院治療となった。その夜に危篤状態になったが、母の一睡もせぬ看護で翌朝には危篤状態を脱した。その危篤の夜に見た夢を今でも覚えている。病院の窓が開いて河童が登ってくるのだ。火野葦平宅で見たあの模型の河童だった。襲いに来ているわけではない。生死の狭間で肋膜炎と格闘しているYashinomiに送られて来た生死の伝令だった。