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特別の教科「道徳」指導案

道徳教育論-理論と実践-(6)

2019.06.02 02:29

                       横浜市立大学非常勤講師 鈴木 豊

5、「利己主義」と「幸福」について

 エゴイズムにとらわれた末に法律を犯し、犯罪や不道徳な行為に及んでしまう人間がいます。

自分の幸福が、物や金、権力の中にあると考えた結果なのかもしれません。

 フランクルという精神学者が書いた、世界的な名著と言われる本に、「夜と霧」(注3)というものがあります。

この本は、第二次大戦中のポーランドのアウシュビッツというユダヤ人強制収容施設の中で、ユダヤ人であるフランクル自身の体験を書いた本です。

 囚人として常に死が隣り合わせにある収容所生活の中で、多くの人が「絶望」という感情に陥った中で生活していたわけです。

しかし、そんな環境の中においても、なお人間としての尊厳を失わずに、気高く生きていた人間がいたことが書かれています。

収容所にいたユダヤ人は、全員が囚人としてヨーロッパ各地で捕らわれ、収容所に監禁され、劣悪な環境に加え、過酷な強制労働と粗末な食事だけという生活の中で、飢えによる栄養失調の状況に置かれていました。配給されるわずかな食事を、より体力の弱っている隣人に、自分のパンを与えた人。ガス室へ送られ殺されていく隣人の身代わりとなって、自らガス室へと入っていった人のことが書かれています。

 このような人たちからフランクルは、人間の「幸福」という問題に関連して、人間には「生きる意味」ということが大きな鍵となることを指摘しているのです。

同様に、神谷美恵子という日本人の精神学者は、太平洋戦争以前の日本において、数カ所作られていたハンセン病患者の強制収容施設に医師として働いていました。

瀬戸内海の小島に作られた施設は、社会との連絡を全て遮断し、人権を剥奪し社会から隔離して作られていた。ハンセン病患者の強制収容施設の担当医という立場から、ハンセン病患者を心理学の視点からまとめられた著書があります。

 ハンセン病患者たちは囚人や動物のような扱いをされ、強制的な去勢手術等も行われていました。劣悪な隔離施設の生活の中においても、生きる喜びをもって生活をしていたハンセン病患者についての観察から、神谷は「生きがい」という問題が、人間の生きる喜び、」という問題に関連していることに気付いたのです。(注4)

生きる喜びについて、生きる意味、生きがいという視点ではなく、別の視点から論じているものがあります。

仏教的視点から生きる喜びについて考える時、京都の竜安寺にある「つくばい」は、わかりやすい例だと思います。

そのつくばいには、「吾(われ)唯(ただ)足(た)ることを知る」という文字が表されています。

これは、「少欲知足」(少欲にして足を知る)お疲れ様です。sす。

足ることを知っている者は、たとえ地べたに寝るような生活であっても幸せである。

しかし、足ることを知らない者は、天の宮殿のような所に住んでいても満足することができない。

足ることを知らない者は、いくら裕福であっても心は貧しく、いったん貧欲(とんよく)(我欲)という欲望にとりつかれると、貧欲(とんよく)は際限なく広がり、ますます人間を苦しめる、という教えです。

 しかし、時として人間の欲望は生きていく原動力になります。

ハングリー精神はこうした欲望を糧としたものです。

人間が生きている限りにおいて、生きるための欲望をすべて滅することは死を意味します。

そこで生きるということと幸せの関係を、小欲知足という関係性で教えているわけです。

利他的行為の中に生まれる感情として、生きがいや生きる意味を包含し幸せが語られることが多く、利己的行為の中に幸福はないと、一般的には述べられる。

では、「利己的行為の中には、幸福はありえるのか」ということに対して、私は「自己」と「自分」という存在の違いに、「利己」という概念の違いを問題として上げてみたい。

「自分」という存在は、「自」と「他」、自分と他人を「分ける」考える概念である。

そこに存在する「利己主義」は、他人よりも自分の利益を優先する、「エゴイズム」の世界である。餓鬼の世界、もっともっと欲しいという執着が展開する世界であり、不満足な境地であり不幸せな境地である。

しかし、「自己」という存在は、「本来的な己(おのれ)」「私の中の仏」「仏となる己の種」「仏性」である。

「自己実現」という「利己的行為」は、利他の心を持つ自己の願いを実現することであり、それは善であり、満足感にあふれた幸せの境地である。

「自己実現」という用語の本来的概念は、利己主義ではなく利他主義に基づく行為なのである。

高級車が欲しい、偉くなりたい等々、エゴイズムによる願いの実現が「自己実現」では、決してない。

「本来的な己(おのれ)」の願い、すなわち「利他主義の願い」によるものが真の「自己実現」なのである。

(注3)V.E.フランクル 夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録 みすず書房

    ヴィクトール・E・フランクル 夜と霧 霜山徳爾訳 1989年新装第11刷

神谷美恵子著作集1 生きがいについて みすず書房 1990年第14刷