夏の水鏡。
Naoyaです。
今日は二十四節気の9番目、芒種(ぼうしゅ)です。芒とは、穀物の種子の先にある毛のことで、芒種は穀物を植えるという意味です。梅雨が近づいてくる今の時期は、田植えのシーズンです。
旧暦だとこれからちょうど皐月(旧暦5月)を迎えるところなのですが、耕作や田の神を意味する古語の「さ」から、稲作の月ということで「さつき」になったとか、早苗を植える「早苗月」が略されて「さつき」になったという説があります。
皐月の皐という字には「神に捧げる稲」という意味があります。確かにたわわに実った稲のような形をした字です。
昨年5月、熊野を旅したとき、果無(はてなし)集落という場所を訪れました。十津川村という日本一の大きさの村にある山の上の集落。日本のマチュピチュみたい…なんて言ったら大袈裟かもしれませんが、まさに生活圏が高い場所にあるああいう感じ。ちなみに十津川村は奈良県にあって、東京23区と同じくらいの大きさらしいです。
十津川村に宿泊した翌朝、小さな登山口から入山して、熊野古道を歩いて果無集落を目指しました。延々と続く山道や傾斜がとにかくきつくて、こんな場所に集落があるんだろうかという感じでしたが、山の上の方に辿り着くと鹿除けのための小さな門があり、そこを入ったところに集落がありました。
熊野古道は幾つかのルートがありますが、この集落は小辺路(こへち)というルート沿いにあって…というか、集落の真ん中を小辺路が貫いていると言った方が合っているかも。小辺路沿いにある平屋の民家の縁側は、オープンスペースのような感じで開放されていて、住人が旅をする人たちをもてなしてくれるらしいです。
果無集落には、ちょうど田植えを終えたばかりの田んぼがありました。田植えを終えたばかりの田んぼには、初々しさと清々しさを感じます。
等間隔で苗が植えられて、まったく揺れずにピーンと張った田んぼの水面は鏡そのもの。高い場所にあるからこそ、邪魔なものや遮るものが周りに一切なく、田んぼの水鏡は、青い空と白い雲だけを映してました。水鏡越しに空や雲を眺める時間。天が地になり、地が天になるかのような不思議な感覚。時間という概念を忘れてしまいそうになりました。
関東はこれから梅雨に入っていきますが、現在、東海地方では深刻な水不足で、貯水量がゼロになって渇水しているダムもあるそうです。干上がってひび割れを起こし、一部の稲が枯れてしまった田んぼもあるというニュースも目にしました。このままの状況だと、美しい水鏡を目にすることだけでなく、おいしいお米を食べることもできなくなってしまいます。雨の降りすぎも自然災害に繋がるので困りますが、雨が降らないのもかなり困ります。でも、こればかりは人間の手ではどうにもできないところ。恵みの雨が降ってくれることを天に祈るばかりです。