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特別の教科「道徳」指導案

道徳教育論-理論と実践-(10)

2019.06.02 03:38

                        横浜市立大学非常勤講師 鈴木 豊

(3)戦後日本の道徳教育の変遷(「道徳の時間」が特設されるまで)

昭和20年8月15日正午、天皇陛下による「終戦の詔書(しょうしょ)」玉音放送(天皇の肉声)がNHKからラジオ放送された。

「朕(ちん)深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ、非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ、茲(ここ)ニ忠良ナル爾(なんじ)臣民ニ告ク

朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇(そ)四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ」

(現代語訳)

世界の情勢と日本の現状を深く考えた結果、緊急の方法でこの事態を収拾したい。忠実なあなた方臣民に告ぐ。

私は、「共同宣言を受け入れる旨をアメリカ、イギリス、中国、ソビエトの4ヵ国に伝えよ」と政府に指示した。

日本臣民が平穏無事に暮らし、全世界が栄え、その喜びを共有することは歴代天皇が遺した教えで、私も常に持ち続けてきた。アメリカとイギリスに宣戦布告した理由も、日本の自立と東アジアの安定を願うからであり、他国の主権や領土を侵すようなことは、もともと私の思うところではない。

だが戦争は4年も続き、陸海将兵の勇敢な戦いぶりも、多くの官僚の努力も、一億臣民の奉公も、それぞれが最善を尽くしたが戦況はよくならず、世界情勢もまた日本に有利ではない。その上、敵は新たに、残虐な爆弾を使用して多くの罪のない人を殺し、被害の及ぶ範囲を測ることもできない。このまま戦争を続ければ、日本民族の滅亡を招くだけでなく、人類の文明も破壊してしまうだろう。

そんなことになってしまえば、どうやって私は多くの臣民を守り、歴代天皇の霊に謝罪すればよいのか。これが、私が政府に共同宣言に応じるように命じた理由だ。

私は、東アジアの解放のために日本に協力した友好国に対して、遺憾の意を表せざるを得ない。戦地で命を失った者、職場で命を失った者、思いがけず命を落とした者、またその遺族のことを考えると、身も心も引き裂かれる思いだ。戦争で傷を負い、被害にあって家や仕事を失った者の生活についても、とても心配だ。

これから日本はとてつもない苦難を受けるだろう。臣民のみんなが思うところも私はよくわかっている。けれども私は、時の運にも導かれ、耐えられないことにも耐え、我慢できないことにも我慢し、今後の未来のために平和への道を開いていきたい。

私はここに国体を守ることができ、忠実な臣民の真心を信じ、常に臣民とともにある。感情の赴くままに問題を起こしたり、仲間同士で排斥したり、時局を混乱させたりして、道を外し、世界からの信用を失うことは、私が最も戒(いまし)めたいことだ。

国がひとつになって家族のように団結し、日本の不滅を信じ、責任は重く、道は遠いことを心に留め、総力を将来の建設のために傾け、道義を大切にし、固くその教えを守り、国体の本質を奮い立たせ、世界の流れから遅れないようにしなさい。

あなた方臣民は、これらが私の意志だと思い、実現してほしい。(注)

この終戦の詔書によって、日本はポツダム宣言を受諾し敗戦した。

昭和20年9月15日、文部省は「新日本建設ノ教育方針」を発表する。

「文部省デハ戦争終結ニ関スル大(おお)詔(みことのり)ノ御趣旨ヲ奉体シテ世界平和ト人類ノ福祉ニ貢献スベキ新日本ノ建設ニ資スルガ為メ、従来ノ戦争遂行ノ要請ニ基ク教育施策ヲ一掃(いっそう)シテ文化国家、道義国家建設ノ根幹ニ培フ文教施策ノ実行ニ努メテヰル」

「益々国体ノ護持ニ努ムルト共ニ軍国的思想及施策ヲ払拭シ平和国家ノ建設ヲ目途トシテ謙虚反省只管(ひたすら)国民ノ教養ヲ深メ科学的思考力ヲ養ヒ平和愛好ノ念ヲ篤(あつ)クシ知徳ノ一般水準ヲ昂(たか)メテ世界ノ進運ニ貢献スルモノタラシメントシテ居ル」とした。

10月15日、文部大臣前田多聞は講演会で「此の際吾々が教育界より一掃せねばならぬものは軍国主義と、極端狭隘(きょうやく)なる国家主義でありまして、今後と雖(いえど)もそれらの思想の残滓(ざんさい)が教育界の一隅に潜んで、真正なる教育を毒することなきやに対し、十分の警戒を加へねばならぬと存じます」

「今後の教育としては先づ個性の完成を目標とし、立派な個性を完成したる上、その出来上った立派な人格がその包蔵する奉公心を発揮して、国家社会に対する純真なる奉仕を完(まっとう)うするやう、導いて行かねばならぬと思ひます。個性の完成には自由の存在が必要であります。然(しか)し謂う所の自由とは決して自恣(じし)放縦を指すのではないのでありまして、常に厳粛なる責任観念に裏付けられねばならぬのであります。」

としている。

昭和20年10月22日、わが国に進駐してきたGHQ連合国軍最高司令部は、「日本教育制度ニ対スル管理政策」を発表した。(注)

その中には、

「軍国主義的思想、過激ナル国家主義的思想ヲ持ツ者トシテ明カニ知ラレテヰル者、連合国軍日本占領ノ目的及政策ニ対シテ反対ノ意見ヲ持ツ者トシテ明カニ知ラレテヰル者ニシテ現在日本ノ教育機構中ニ職ヲ奉ズル者」をただちに解職し、今後日本の教育機構中に再就職させないこと、そのために必要な諸措置を命令、指示した。

総司令部は、12月31日、「修身、日本歴史及ビ地理停止ニ関する件」を発表した。

「国家神道及ビ教義ニ対スル政府ノ保障ト支援ノ撤廃」に関する指令に基づき、日本政府が「軍国主義的及ビ極端ナ国家主義的観念ヲ或ル種ノ教科書ニ執拗ニ織込ンデ生徒ニ課シ、カカル観念ヲ生徒ノ頭脳ニ植込マンガ為メニ教育ヲ利用セルニ鑑ミ」、修身、日本歴史、地理の授業の停止を命ずる、という内容であった。

昭和21年6月29日、地理科の再開、同年10月12日、日本歴史の授業の再開が総司令部から許可された。しかし、修身科の再開は許可されなかった。

「第一次米国教育使節団報告書」には、「近年の日本の諸学校において教授される修身の課程は、従順なる公民たらしめることをその目的とした。忠義心を通して秩序を保とうとするこの努力は、周知の如く社会の重要な人物に支持されて、非常に効果的であったので、やがてこの手段は不正な目的と結びついた。このため修身の課程は授業を停止されてゐるのであるが、民主主義的制度も他の制度と同様、その真の精神に適合しかつこれを永続せしむべき一つの倫理を必要とする。そしてその特有の徳目はこれを教へることができ、従ってこれは他におけると同様学校においても教へられるべきである。」と述べ、「日本が民主主義になるなら、民主主義の倫理が当然教へられるものと思う。我々はただそれが平和について教へられ、民主主義の方向に向けられさへすれば、その教へ方は日本人に任せておいてよいのである。」「しかし若しも倫理が単独な一つの学科として教えられるべきものとすれば、我々は次のことをすすめる。(1)真の平等に相反しないような日本の習慣はできるだけその教材として保存するよう極力務めること。(2)日常互いに強調し合っていく公明正大なスポーツマンシップは、そうした融和が遂げられるようになっている制度の機構と共に、比較研究されて教えられること。(3)日本に存在する限りのあらゆる種類の仕事と、技術の熟練が達成したあらゆる精神上の満足とは、カリキュラムの中において推賞せられるべきこと」(米国教育使節団報告書p35)とし、民主主義的倫理が学校で教えられるべきだとしていた。

こうした流れを受け、「公民科」構想がなされていく。

昭和20年11月1日に設置された公民教育刷新委員会では、「道徳ハ元来社会ニ於ケル個人ノ道徳ナルガ故ニ、「修身」ハ公民的知識ト結合シテハジメテ其ノ具体的内容ヲ得、ソノ徳目モ現実社会ニ於テ実践サルベキモノトナル。従ツテ修身ハ「公民」ト一本タルベキモノデアリ、両者ヲ結合シテ「公民」科ガ確立サルベキデアル。」と、「修身」と公民的知識とを一本化した「公民科」を学校教育の中に新設すべきだと主張した。

昭和21年5月7日、文部省は公民教育実施に関する通牒(つうちょう)を出し、公民科は「停止中の修身科の授業再開ではない。司令部の了解の下に授業再開まで当分之によっ  て道徳教育を行ふ」とし、「公民科の授業時間は授業停止中の科目によって生じた時

間を充てること」とし、「公民科教育案」を示した。公民教育の精神の中で道徳教育についての考え方を、次のように述べている。

「道徳は元来個人の道義心の問題であるが、同時にそれは又社会に於ける個人の在り方の問題である。従来の教育に於ては、前者を修身科が主として内心の問題として担当し、後者を公民科が社会の機構や作用の面から取扱って来た。新公民科は人間の社会に於ける「在り方」という行為的な形態に於てこの両者を一本に統合しようとする。社会生活の複雑な機構の中に自らの存在意義を見出し、共同生活への実践を通して責任感の強い信頼するに足る徳性を持つ人物を育成し、常に共同生活のより善き形態を想像することに貢献出来るやうな国民を期待するのが此の科の精神である。」としていた。

「公民教育」という形で道徳教育を包含させる構想については、昭和21年5月から22年2月まで、文部省が「新教育指針」として公表した内容で、次のように指摘している。

「人間は、誰でも進んで自立的に正しいこと、善いことを求める道徳心をそなへてをり、しかも人間はすべて社会生活をするものであるから、その道徳心が社会における人間の正しい善い在り方としてはたらかねばならない。このやうなはたらきを、すなほにのばして、りっぱな社会人をつくるのが、公民教育の目ざすところである。」とし、

公民教育の振興をうたった。

昭和21年9月10日、文部省は「国民学校公民教師用書」、同年10月22日、「中等学校・青年学校公民教師用書」を発行した。

国民学校用公民教師用書の中で、「現在修身科の授業は停止されているが、そのような事情がなくてもこれまでの修身教育は、深く反省して改革しなければならない時になってゐたことは誰の目にも明らかである。しかし今日のわが国の情勢は、一日でも修身教育をしないで放っておくことを許さないものがある。そこで新しくこれまでの修身教育に代って、これからやってゆかうとする公民教育を、できるだけはやく始めることを目ざして、その参考に本書をつくってその教育への指針を供することとした。」

国民学校用公民教師用書の中で、これまでの修身教育が道徳を「命令的、画一的に教えようとしてきたこと」、「形の上のことに多く注意してきたこと」「児童の心の中の動きに充分関心を払わなかったり、道徳が児童の心の底までしみ込んでゆくように指導するという配慮がなかったこと」「道徳を教えるのに、徳目を言葉で説明し、言葉でいはせて、それができれば満足し、実生活と離れてしまってもあまり気にとめなかったこと」「現に人が生活してゐる社会について理解させ、そこで正しく行動することを、ゆるがせにした傾きのあったこと」等を反省しなければならないと指摘した。

昭和21年11月3日に、日本国憲法が制定された。新しい憲法には「主権が国民に存すること」「天皇は、日本国の象徴」であることが示された。

昭和22年3月31日、憲法の精神に則り、教育基本法、学校教育法が制定され、戦後の新教育制度が始まった。教育基本法第一条「教育の目的」には次のように書かれていた。

「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない。」

こうした激しい流れの中で、ついに「公民科」設置の構想は実現しないまま、昭和22年の新教育制度に移行した。

 新制度の小学校・中学校の教育課程の中には、公民科はなく、日本歴史及び地理を廃止し、これらと関連の深い教科として新たに社会科がおかれた。

新設の教科「社会科」については、「今日のわが国民の生活から見て、社会生活についての良識と性格とを養うために、これまでの修身・公民・地理・歴史などの教科の内容を融合して、一体として学ぶべき教科」とし、新たに公布された第1回の「学習指導要領 一般編」で社会科は、児童が自分たちの社会に正しく適応し、その中で望ましい人間関係を実現し、進んで自分たちの属する共同社会を進歩向上させることができるように、社会生活を理解させ、社会的態度や社会的能力を養うことを目標とした。

また、学習指導要領 社会科編の中には、教科目標として15項目があげられているが、その中で道徳教育・公民教育の目標と考えられる3つの目標をあげる。

1 生徒が人間としての自覚を深めて人格を発展させるように導き、社会連帯性の意識を強めて、共同生活の進歩に貢献するとともに、礼儀正しい社会人として行動するように導くこと。

2 生徒に各種の社会、すなわち家庭・学校及び種々の団体について、その構成員の役割と相互の依存関係とを理解させ、自己の地位と責任とを自覚させること。

3 社会生活において事象を合理的に判断するとともに、社会の秩序や法を尊重して行動する態度を養い、・・・・・・正義・公正・寛容・友愛の精神をもって、共同の福祉を増進する関心と能力とを発展させること。

 昭和25年8月に来日した、第二次アメリカ教育使節団は9月22日付けの報告書で「道徳および精神教育」の中で次のように、言及した。

「道徳的または精神的価値は、われわれの周囲のいたるところにある。われわれは、そ

れを家庭生活の中に、学校生活の中に、特に宗教儀式を行う場合に見いだすのである。

よい教師、よい父母、よい宗教指導者たちは、これらの価値を認識し、そして青少年

が日常経験の中に、それらの価値を生かすことを助けようとする。教師は機械あるご

とに、一日の授業中、学問の研究も技能の習得も、ただ単に知力を発達させるだけで

はなく、また同時に徳性を完成するものであることを指示することができる。(中略)

道徳教育は、ただ社会科だけからくるものだと考えるのはまったく無意味である。道

徳教育は、全教育課程を通じて、力説されなければならない。」(米国教育使節団報告書p142)と書かれていた。

ここから道徳教育は、学校全体で行うべきだとする「全面主義道徳教育」が始まる。

同、昭和25年12月、文部大臣天野貞祐は教育課程審議会に対し、道徳教育振興について諮問した。天野は教育勅語に代わる新しい形式の道徳基準の設定や、修身科とも社会科とも異なる新しい道徳教育の必要性について発言した。

審議会は翌、昭和26年1月4日答申を出し、道徳教育は学校全体の責任であること、道徳の時間の特設は望ましくないこと、社会科その他の教育課程を再検討し、児童、生徒が自ら考え、実践しつつ道徳を体得してゆくようなやり方を考えるべきであること、文部省が道徳教育の手引書を作成すること等を要望した。

文部省は「道徳教育のための手引書要綱」を昭和26年4月に作成し、その中で「道徳教育は、学校教育の全面においておこなうのが適当とし、教育の根本的な目標は、民主的な社会を形成し、その進展に貢献することができる自主的自律的な積極性をもった人間を育てることであること、個人の人格をなによりも重んじ、人権をなににもまして尊ぶということが根本とならなくてはならないことを指摘していた。

 戦後、文部省は道徳教育を「公民教育」と「生活指導」の中に含める形で行うことを考えていた。(注)

「国民学校公民教師用書」の中で、「児童や生徒の日常の生活のし方や態度を指導すること、もう少し具体的にいえば広い意味の習慣を形作ること、すなわちあるものは、一つの行動のし方を順序づけて、その形をつくり、それをくりかへして身につけさせる指導である。顔の洗ひ方や正しい姿勢を指導するのなどはその一例である。またあるものは、児童に自然に現れる行動のうちで大切だとされるものをのばし、困るものをそらせて、一つの生活の形を発展させ、それをくりかへさせて身につける指導である。例へば児童の自然の生活のうちに現れてくる物を片付ける生活を励ましてのばし、一方では放っておく傾きをそらせて、そこにきちんと片付ける習慣を養ふのなども、また、児童の自然にもってゐる社会的に親和する傾きをのばすと同時に、利己的な傾きを転じて、そこから社会共同の態度を作ってゆくのなどもそれである。」と説明している。

国民学校は新しい学校制度の開始と共に廃止された。しかし、道徳教育を生活指導という形で進めて行く方針は継続されていた。

戦後わが国の学校教育の中で始まった「生活指導」は、道徳教育の一端を担うものとして盛んに行われた。道徳教育の時間を特設するほうが良い、との声が高まると、他方では道徳の時間を特設することに反対する声も高まった。

「道徳は人間の生き方に関する問題であり、教育全体の究極の到達点であるから、各教

科指導や生活指導を通じて培われるべき」とし、生活指導としてホーム・ルームの時間を活用した道徳教育の実践として、ホーム・ルームの時に生活指導の内容を取り入れた年間指導計画を独自に作成し、道徳教育の充実を図ろうとした学校もあった。

昭和33年に「道徳の時間」が特設される際に、文部省は生活指導について、次のように補説した。

「これまで生活指導という言葉が多義的に用いられ、生活指導として行われてきたさま

ざまな指導の中には、道徳性の指導に直接または間接に関連のあるものも少なくなか

った。道徳性の指導を目的として行われた場合にも、日常生活における個々の問題の

処理にとどまることが多く、従来の生活指導においては、道徳教育の目標を充分に達

成することができなかったといわれようし、また、生活指導だけでは、道徳教育の徹

底を期することはむずかしいといえよう。」と述べ、さらに昭和40年発行の「生徒指導の手引き」の中では、

「周知のように生徒指導に類似した用語に生活指導という言葉があり、この二つは、そ

の内容として考えられているものがかなり近い場合があるが、生活指導という用語は

現在かなり多義に使われているので本書では生徒指導とした。」

「生活指導という言葉をあえて生徒指導という言葉を用いている。そして青少年非行が

問題になると、その対策として生徒指導の充実強化が要請されることが多いが、生徒

指導はそのような消極的な指導にとどまるものではなく、積極的にすべての生徒のそ

れぞれの人格のより良き発達を目指すとともに、学校生活が、生徒の一人一人にとっ

ても、また学級や学年、更に学校全体といった様々な集団にとっても、有意義にかつ

興味深く、充実したものになるようにすることを目指すものである。」と説明し、道徳教育とのかかわりについては「生徒指導それ自身において道徳性の発達を助けるとともに、同時に広く道徳性の発達の基盤を培う指導にもなる。」と指摘している。

戦後の間もない頃から道徳教育の必要が叫ばれると、同時にまた修身の復活として反対運動も活発化した。

ここで当時の特設道徳、肯定派(お茶の水女子大教授勝部真長)、反対派(日本生活教育連盟委員長梅根悟)の意見を載せる。

勝部は道徳教育の強化が叫ばれてきた理由を六つあげた。

1.青少年の不良化(古い道徳の崩壊)

戦争が道徳を破壊し、しかもまだ新しい道徳が起こらない点に、道徳教育問題の第一の理由がある。

2.青少年の成長率の急速な高まり

戦後青少年の身体面の成長率が非常に急速に高まったが、心理的・精神的成長がそれに伴わないで、心身のアンバランスが起こっている。体の中にみなぎっているエネルギーを持て余し、そのはけ口が非行、不良化の傾向を起こしている。

3.社会環境の不健全

戦後青少年つまり思春期にあるものにとって、社会環境があまりに不健全、暴力や力の賛美、商品化された性等々、異常で露骨な刺激的なものが青少年に押しかかってきて、かれらを非行・不良にかりたてている。

4.児童中心主義教育理論の行き過ぎと反省

戦後の新教育=児童中心主義教育―自由放任の教育―への反省が、道徳教育推進のきっかけとなった。

5.道徳は変わる

社会が変われば道徳も変わる。しかし道徳には変わる面と変わらない面とがある。そのことを正しくつかむことが大事。議論のくいちがいは、それぞれその一面を強調するところからきている。

6.世界二大陣営の対立

米ソ二大陣営が対立しているそこには、イデオロギーの対立があり、その対立が道徳についての確信、信念をゆるがしている。道徳教育は大きな意味で政治とわかつことができなくなっており、非常にやっかいだが、これを避けていては教育は前進しにくい。

これら特設道徳肯定派に対して、特設道徳反対派である梅田の批判論を挙げる。

「封建社会の下で領主の過酷な支配にたえかねて反抗しつづけてきた農民たちを、新し

い国家権力の従順な人民に仕立てる必要から、民衆学校に道徳教育を持ち込む政策だ

った」と述べ、民衆学校の二つの性格を指摘した。

「第一は、そこで教えられる道徳が新たな国家権力を神聖・絶対のものとして信奉し、

これに従順であり、忠誠をつくすことを最高の徳と信じ、これに抵抗することを最大

の罪悪と信ずるような道徳観、そしてこの君主への忠誠を頂点とする一連の服従道徳

の体系を教えこむ性格のものである。

第二は、その方法が、そのような内容の道徳律を一種の教義として定式化した言葉を、

くり返しくり返し教えこみ、暗誦させることによって終りにはこれを暗誦する生徒自

身の、身についた信条にしてしまうことができるという方法観に立つものであった。」と述べ日本では明治絶対主義下における修身科とし、今日の修身科反対をスローガンとして、その復活を拒否しようとしている人々の道徳教育は一般的にいえば、この種の絶対主義国家的な道徳教育なのだ」と述べている。

そうした、特設道徳肯定派・反対派が主張を繰り返す期間が、何年も続いた。

学校教育の中でも、種々の実践的なやり方で道徳教育が行われてきたのであるが、そのような混迷の中で小学校、中学校の教育課程の中に、新たに「道徳の時間」が特設され、授業が開始されたのは昭和33年4月からであった。

昭和31年3月13日、文部大臣清瀬一郎は教育課程審議会に対し、教育課程の改正と道徳教育のあり方について諮問した。

昭和32年11月9日、教育課程審議会は道徳教育の徹底強化をはかるため、道徳教育の時間を特設すべきであるという中間発表を行い、12月14日「道徳教育の基本方針」を発表した。

翌、昭和33年3月15日、文部大臣松永東に道徳教育を含む教育課程の改善についての答申を提出した。答申には次のように書かれている。

「最近における文化・科学・産業などの急速な進展に即応して国民生活の向上を図り、

かつ、独立国家として国際社会に新しい地歩を確保するため国民の教育水準をいっそ

う高めなければならない。小学校、中学校においては、特に道徳教育の徹底、基礎学

力の充実および科学技術の教育の向上を図ることを主眼とする必要がある。」とし、道徳教育については、「現在社会科をはじめ各教科その他の教育活動の全体を通じて行われているが、その実情は必ずしも所期の効果をあげているとはいえない。」とし、小学校、中学校において教育課程を改訂し道徳の時間を特設することについて、次のように述べている。

「道徳教育の徹底については、学校の教育活動全体を通じて行うという従来の方針は変

更しないが、さらに、その徹底を期するため、新たに「道徳」の時間を設け、毎学年、毎週継続して、まとまった指導を行うこと。」および、「道徳」の時間は、毎学年、毎週一時間以上とし、従来の意味における「教科」としては取り扱わないことを具申した。

3月18日の文部省事務次官通達として、小学校・中学校における「道徳」の実施要領について、次のように通達された。

「昭和33年度から、「道徳」の時間を特設し、道徳教育の充実を図る」について、学校における道徳教育は、本来学校の教育活動全体を通じて行うことを基本とする。

従来も、社会科をはじめ各教科その他教育活動の全体を通じて行ってきたのであるが、広くその実情をみると、必ずしも充分な効果をあげているとはいえない。このような現状を反省して、不充分な面を補い、さらに、その徹底をはかるため、新たに「道徳」の時間を設ける。「道徳」の時間は、児童生徒が道徳教育の目標である道徳性を自覚できるように、計画性のある指導の機会を与えようとするものである。すなわち、他の教育活動における道徳指導と密接な関連を保ちながら、これを補充し、深化し、または統合して、児童生徒に望ましい道徳的習慣・心情・判断力を養い、社会における個人のあり方についての自覚を主体的に深め、道徳的実践力の向上を図る。」

「道徳」の時間においては、児童生徒の心身の発達に応じ、その経験や関心を考慮し、なるべく児童生徒の具体的な生活に即しながら、種々の方法を用いて指導すべきであって、教師の一方的な教授や単なる徳目の解説におわることのないように、特に注意しなければならない。「道徳」の時間における指導は、学級を担任する教師が行うものとする。これは、児童生徒の実態を最もよく理解しているということ、道徳教育を全教師の関心のもとにおくということ、また道徳教育には、つねに教師と児童生徒がともに人格の完成を目ざして進むという態度がきわめてたいせつであるということなどによるものである。」としている。

昭和33年度においては、現行の教育課程の規準として示されている「教科以外の活動」である「特別教育活動」の時間のうちから、毎週一時間を「道徳」の指導にあてて、これを行うものとした。

昭和33年8月28日、学校教育法施行規則の一部改正が行われ、同第二十四条が、「小学校の教育課程は、国語、社会、算数、理科、音楽、図画工作、家庭及び体育の各教科」とし、「並びに道徳、特別教育活動及び学校行事等によって編成するものとする。」と改正され、私立の小学校の教育課程を編成する場合は、前項の規定にかかわらず、宗教を加えることができる。この場合においては、宗教をもって前項の道徳に代えることができる、とした。

同五十三条に、「中学校の教育課程は、必修教科、選択教科、道徳、特別教育活動及び学校行事等によって編成するものとする、となった。

この改正により、「道徳」の時間の特設については、昭和33年度の4月より事務次官通達ですでに決まっていた訳であるが、そこには法的拘束力は伴わなかった。しかし、法改正により「道徳」の時間は小学校、中学校において教科ではないが、教科、特別教育活動、学校行事と並ぶ一領域として正式に教育課程の中に位置づけられ、9月より授業すべきことが義務付けられた。

【引用参考文献】

玉音放送を現代語訳で「耐えられないことも耐え」〔終戦記念日〕

(国立国会図書館「〔終戦の詔書〕(テキスト)「日本国憲法の誕生」より」

(原文)

朕深ク世界ノ情勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以てテ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル臣民ニ告ク

朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ

抑々帝国臣民ノ康寧ヲ図リ万邦共栄ノ楽ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ挙々惜力サル所嚢ニ米英二国ニ宣戦セル所以モ亦実ニ帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス然ルニ交戦己ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海将兵ノ勇戦朕カ百僚有司ノ励精朕カ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ尽セルニ拘ラス戦局必スシモ好転セス

世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戦ヲ継続セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延テ人類モ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ心霊ニ謝セムヤ是レ朕カ帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応セシムルニ至レル所以ナリ

朕ハ帝国ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内為ニ裂ク且戦傷ヲ負イ災渦ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ニ深ク軫念スル所ナリ推フニ今後帝国ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ哀情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難クヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス

朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ乱リ為ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム宜シク挙国一家子孫相伝ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ体セヨ

「戦後道徳教育史 上下」 1981年 第1版第1刷発行 著者 船山健次

(株)青木書店

「道徳指導の基礎理論」 著者:勝部真長

発行所:日本教図株式会社 昭和42年初版

「道徳教育実践上の諸問題」 編集:日本道徳教育学会

昭和33年第1刷 発行所:大阪教育図書

「新しい道徳教育のために」 昭和35年5版発行 文部省

発行所:東洋館出版 社

「道徳教育実施要綱」 帝国地方行政学会

昭和33年発行 

「中学校道徳指導書」 1958 文部省 発行所:東洋館出版社

「米国教育使節団報告書他」

第一次使節団報告書(1946年3月)

第二次使節団報告書(1950年3月)

1975年第一刷 編著者 伊ヶ崎暁生・吉原公一郎 発行:(株)現代史出版界