「千の風になって」原詩の原詩
http://www.celestial-spells.com/logs/2006/07/_do_not_stand_at_my_grave_and.php
より
【「千の風になって」原詩の原詩】
「千の風になって」という詩をご存知でしょうか。「私のお墓の前で泣かないで下さい/そこに私はいません、眠ってなんかいません/千の風に、千の風になって/あの大きな空を、吹きわたっています」という詩をきっとどこかで目にしたことがあると思います。これは、作者不詳の英語詩を作家の新井 満さんが和訳したものです。日本語詩の全文 (新井 満さんの公式サイト内のページにリンクしています)。
新井 満さんは、この日本語詩に曲もつけており、新井 満さんご本人の他、テノール歌手の秋川雅史さんや、同じくテノール歌手の新垣 勉さんらによって歌われていますので、テレビやラジオで聞いたことがある方も多いかもしれません。
この日本語詩ですが、原詩とは結構内容を変えてあったりします。新井 満さんご本人も一種の超訳だと言っておられるようです。歌の歌詞として使うことを前提とした訳、という都合もあるみたいですね。新井 満さんの本で紹介されている原詩は次のようなものです。
a thousand winds
Author Unknown
Do not stand at my grave and weep;
I am not there, I do not sleep.
I am a thousand winds that blow.
I am the diamond glints on snow.
I am the sunlight on ripened grain.
I am the gentle autumun's rain.
When you awaken in the morning's hush,
I am the swift uplifting rush
Of quiet birds in circled flight.
I am the soft stars that shine at night.
Do not stand at my grave and cry;
I am not there, I did not die.
weep -> sleep, blow -> snow のように韻を踏んだ美しい英文です。声に出して読んでみるとより味わい深いでしょう。
この原詩の日本語訳としては、南風 椎さんによる「1000の風」もよく知られています。南風 椎さんの日本語訳詩は、新井 満さんのものとは異なり、素直かつ正確な直訳になっています。こちらも全文を紹介したかったのですが、無断転載はできませんし、正式な許可を得て転載していると思われるウェッブページも見つかりませんでしたので断念。(2010年3月、南風椎氏のブログに全文掲載されました)
ところでこの原詩、実は大元の原詩、いわば原詩の原詩とはかなり異なるようです。
この英語詩、英語圏においても長らく作者不詳とされていたようですですが、Alan Chapman さんによるウェッブページ (英文) によると、今ではメアリー・フライ(Mary Frye, マリー・フライ)さんというアメリカの女性が1932年に作詩したものという説がほぼ確実なのだとか (ただし100%確実、というわけではない模様)。それが口コミのような形で伝えられていくうちに、内容も微妙に変わっていき、新井さんの本で紹介されているものが最も良く知られるバージョンのひとつになったようです。
そのメアリー・フライさんご本人によって、元々のバージョンだと確認されているという原詩、つまり原詩の原詩が、次のようなものだそうです。ちなみに、無題の詩です・・・
According to a webpage written by Alan Chapman, it seems that this well known poem above was originally written by Mary Frye. And following is her origial version...
Do not stand at my grave and weep,
I am not there, I do not sleep.
I am in a thousand winds that blow,
I am the softly falling snow.
I am the gentle showers of rain,
I am the fields of ripening grain.
I am in the morning hush,
I am in the graceful rush
Of beautiful birds in circling flight,
I am the starshine of the night.
I am in the flowers that bloom,
I am in a quiet room.
I am in the birds that sing,
I am in each lovely thing.
Do not stand at my grave and cry,
I am not there. I do not die.
(Mary Frye's original version)
もっとも、このバージョンが本当に元々のものと完全に同じものかどうかは確実ではないそうですので、その点は一応ご注意を。
先に紹介したバージョンとの大きな違いは、「I am in each lovely thing.」という行があること、そして最終行が「I did not die」ではなく「I do not die.」となっている点でしょう。また、「I am a thousand winds」ではなく「I am in a thousand winds」となっている点も見逃せません。
この詩の中には一度も登場しない大切な単語があります。そう、「you」です。そして「in」の多用と「I am in each lovely thing.」にちょっと注目してみると、もしかするとこんな言葉が隠されているのかもしれません。
In Mary Frye's origial version, the word "you" is not used. And it has a noticable extra line: "I am in each lovely thing". I think that the word "you" might be hidden in this line. That is to say,
(※以下の部分は英文含め私が勝手に考えたものであり、原詩の一部ではありません)
I am in you.
私はあなたの中にいる。だから、私は死なない
だから、あなたが感じる全てを、私も感じることができる
あなたが大切にしている全てを、私も一緒に大切にしていくことができる
だから、私のお墓の前に立ちつくして泣かないで
一緒に風を感じよう
私があなたの中にいるように、あなたも誰かの中にいる
その誰かの中には、私もいるということ
だから、私は死なない
世界の全てと繋がっているこの風が
決して途絶えることがないのと同じように
I am in you.
I am in you, so I do not die.
So I can feel everything you feel,
I can love everything you love.
So do not stand at my grave and weep.
Let us feel the winds.
Just like I am in you, you are in someone else.
That means, I am also in someone else you know.
So I do not die.
Just like the winds that are connected to all over the world
Never stop blowing.
ところで、大気というのは、言うまでもなく、地球全体と繋がっています。そしてその大気の動きである風には「バタフライ効果」という特性があるらしいです。これは、はばたく蝶が起こした小さな風が、地球の反対側まで届いて、そこに台風を引き起こすこともあり得る、という話です。これはあくまで思考実験上でのたとえ話のようなもので、実際にそういった事例あることがわかっている、というわけではないようですが。
これを文字通り解釈するのであれば、風というのは、どんなに小さなものでも、どこまでも無限に伝わっていくということです。伝わっていくうちに影響が小さくなり、ほとんどなくなってしまうかもしれません。でも、決して完全なゼロになることはない。どんなに小さくても、その影響は残り続ける。そのごくわずかに残った影響がきっかけとなって、時に大きな何かが生まれるかもしれない。
そして今ここに吹きわたるこの風には、過去のあらゆる物事の影響が含まれている。宇宙が生まれ、太陽が生まれ、地球が生まれ、生物が生まれ、そして私たちが生まれるまで、この風はずっと吹きわたっていた。そして今この瞬間瞬間の影響をさらなる未来へと伝え続ける。
命というのも、この風と同じことなのでしょう。誰かが誰かに影響を与え、その誰かがまた別の誰かに影響を与えて、命はずっと受け継がれてゆく。ここで言う誰かとは、もちろん人間に限らない。そして過去から未来まで途切れることなく無限に繋がっている。
いわば風は命であり、命は風である。人間と言う存在も、風が姿を変えたものであって、人間として生きているこの瞬間も、私たちは風なのかもしれない。そして私たち一人一人の中には、無数の人間が、それ以上に無数の人間以外の生物が、星が、地球が、あらゆる命が息づいているのだろう。
あなたの死後、あなた自身にとってのあなたの命が続くかどうかは誰にもわからない。死後の世界というのは、あるのかもしれないし、無いのかもしれない。しかし、他者にとってのあなたの命は、この現世において、他者の記憶の中で、そしてそれが失われても、あなたが風の中に与えてきた小さな影響として、きっと、ずっと続いて行く。その意味において、命は永遠と言えるのではないでしょうか。そう願いたいです。
"Do not stand at my grave and weep" あたりをキーワードにしてネット検索してみると、いろんな人が色んな訳し方をしていて面白いです。ちなみに、Google で検索する際は、" " も含めて入力すると良いです。" " で囲むと単語単位ではなくフレーズ単位での検索になりますよ。
どこかのウェッブページで誰かが言っていましたが、千人の人による千通りの訳詩を集めると面白いかも。そんな意味も込めて、最後に、原詩の原詩の拙訳を紹介。「I am ~」と「I am in ~」の違い、「I did not die」ではなく「I do not die」である点なども考慮し、ほぼ直訳に近い感じで訳してみました。
私のお墓の前に立ちつくして泣かないで
私はそこにはいない、私は眠らない
私は吹きわたる千の風の中で
やさしく舞い落ちる雪になり
おだやかに降りそそぐ雨になり
稔り豊かな畑となる
私は朝の静寂の中で
優雅に円を描いて空を駆る
美しい鳥たちの中にいる
夜には星の輝きになる
私は咲き誇る花々の中に
静かな部屋の中に
歌う鳥たちの中に
愛しき全ての物の中にいる
私のお墓の前に立ちつくして嘆かないで
私はそこにはいない、私は死なない