「千の風になって」を聴くたびに思うこと
https://spiritualhealing-volunteer.jp/group/voice/2015/voice150413-027.html より
【「千の風になって」を聴くたびに思うこと】
皆さんは、「千の風になって」という曲をご存じのことと思います。この曲の原詩が“9.11同時多発テロ”の犠牲者を追悼する際に朗読され、話題となりました。それがきっかけとなって「千の風になって」は、事故や災害の犠牲者の遺族を慰める曲として歌われるようになりました。また最近では、お葬式でこの曲を流すということも広く行われているようです。誰かが「私のお墓の前で…」と歌えば、皆がその続きを口ずさむというように、一種の流行にまでなっています。
「千の風になって」が歌われるようになって、死んだ人はお墓には居ないのではないかと思う人から、「お墓は用がないのでは」という声が上がるようになり、お寺のお坊さんが困っているという話を耳にしました。私たちスピリチュアリストからすればまるで笑い話のようですが、霊的真理が普及していない時代にあっては、仕方がありません。
この歌の原詩のさらに原詩は、アメリカ・インデアンの物語だと言われています。レッドインデアンは、スピリチュアリズムにとてもよく似た「死生観」を持っています。そのためこのような詩をつくることができたのです。死後の世界のことや霊的真理を知らない人には、この歌の本当の意味は分かりません。
私はこの曲を聴くたびに、スピリチュアリズムの「霊的真理」と照らし合わせてしまいます。「お墓の中で眠ってなんかいません」というフレーズは、一般の人にとっては驚きのように感じられるかもしれませんが、それは私たちスピリチュアリストからすれば、あまりにも当たり前で常識的なことです。死を迎えた人がお墓に葬られてもそこに居るわけではないことは、スピリチュアリストなら誰もが知っています。
人間は死によって肉体を脱ぎ捨て、霊体だけになって霊界で新しい生活を始めます。死と共に捨て去った肉体には、もはや用はありません。肉体は自然に朽ち果て、土に還ればいいだけです。そうした事実を知れば、本当は立派なお墓をつくる必要などないことが分かります。この歌を聴くたびに、霊的真理を知らない一般の人と、死後の世界を当然のものとして考える私たちスピリチュアリストとの違いを実感します。
私は、一人でも多くの方がスピリチュアリズムの霊的真理を知り、死に対する正しい知識を持ってほしいと思っています。そうすれば愛する人との死別を悲しむこともなくなり、自分の死を楽しみに待つことができるようになるからです。霊的真理を知らないということは、人間にとって実に不幸なことです。霊的真理に対する無知から人は無用な苦しみを抱き、死を恐ろしいものと考えてしまいます。私は、世界中のすべての人がスピリチュアリズムの真理を理解して、本当の幸せを手にしてくださることを願っています。そのためにヒーラーとして、少しでもお役に立っていきたいと思っています。