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あとに残された人へ

2019.06.02 11:04

内容紹介

第43回菊池寛賞受賞。<br>冷たい夏の日の夕方、25歳の青年が自死を図った。意識が戻らないまま彼は脳死状態に。生前、心を病みながらも自己犠牲に思いを馳せていた彼のため、父親は悩んだ末に臓器提供を決意する。医療や脳死問題にも造詣の深い著者が最愛の息子を喪って動揺し、苦しみ、生と死について考え抜いた11日間の感動の手記。<br>「実は、去年の夏、息子を喪くしまして、自分で命を断ったのですが、息子のためにその追悼記を書いてやりたいのです。25歳の次男のほうです。心を病んでたんです……。まだ一年もたっていないんですが、このところ急に追悼記を書いてやりたいという思いがこみ上げてきましてね。書くことしかできない作家の業というのかなぁ。(あとがきより)

内容(「BOOK」データベースより)

冷たい夏の日の夕方、25歳の青年が自死を図った。意識が戻らないまま彼は脳死状態に。生前、心を病みながらも自己犠牲に思いを馳せていた彼のため、父親は悩んだ末に臓器提供を決意する。医療や脳死問題にも造詣の深い著者が最愛の息子を喪って動揺し、苦しみ、生と死について考え抜いた11日間の感動の手記。

http://moon21.music.coocan.jp/shinsletter17.html   より

鎌田東二ことTonyさま

 お元気ですか?ずっと、沖縄だったとか?わたしも、先週は出張で那覇に行きましたが、Tonyさんは石垣島や西表島などの離島をめぐられたのですよね。石垣島はわたしの会社の支店があるので、ときどき訪れますが、西表島はまだ行ったことがありません。ぜひ一度、行ってみたいです。できれば、ご一緒したいですね。

 さて、Tonyさんもご存知かと思いますが、「千の風になって」という不思議な歌が大流行していますね。昨年のNHK「紅白歌合戦」で歌われてからブレークし、現在はオリコン・チャートの一位を独走しています。「私のお墓の前で 泣かないでください」というフレーズからはじまることでもわかるように、死者から生者へのメッセージです。

 もともとは作者不明の、わずか12行の英語の詩でした。原題を「I am a thousand winds」といいます。欧米では以前からかなり有名で、1977年、アメリカの映画監督ハワード・ホークスの葬儀では、映画俳優のジョン・ウェインがこの詩を朗読したそうです。また、1987年、マリリン・モンローの25回忌のとき、ワシントンで行なわれた追悼式の席上でも、朗読されました。

 さらに、こんなこともありました。1995年、IRA(アイルランド共和軍)テロの犠牲となって、ステファンというイギリス軍兵士が死にましたが、彼は生前、「もし自分が死んだら開封してほしい」と両親に一通の手紙を託していました。彼の死後、両親が手紙を開封すると、この詩が出てきました。ステファンの葬儀のとき、彼が書き残した「ぼくの愛するすべての人へ」という手紙と、この詩が父親によって朗読されました。それがBBCで放送され、大変な反響を呼びました。イギリス全土の1万人以上の人々から「詩のコピーがほしい」というリクエストが殺到したそうです。

 そして、2002年9月11日。グランド・ゼロで行なわれた同時多発テロ1年目の追悼集会でこの詩が朗読されました。朗読したのは、ブリッタニーという11歳の少女です。1年前の9月11日、彼女の父親はワールド・トレード・センターで命を落としました。彼は高層階にあるレストランで働くシェフでしたが、最後に目撃されたのは、ビルの88階で、車イスの女性を必死に救助しようとしている姿でした。その勇敢な父親の娘は、「まるでこの詩は、父が耳元でささやいてくれているような気がしてなりません・・・」と前置きして、心をこめて朗読し、多くの人々の心に感動を呼び起こしたのです。

 かつて、この詩の存在を週刊誌で知った三五館の星山佳須也社長(昨年、当社の40周年記念パーティーでTonyさんもお会いしましたよね)は、大きな感銘を受け、この詩をぜひ多くの日本人に紹介したいと思い立って、1995年6月に『あとに残された人へ 1000の風』として出版されました。ここにその訳詩を紹介いたします。

  「1000の風」   (作者不明)(南風椎・訳)

  私の墓石の前に立って 涙を流さないでください。

  私はそこにはいません。

  眠ってなんかいません。

  私は1000の風になって 吹きぬけています。

  私はダイアモンドのように 雪の上で輝いています。

  私は陽の光になって 熟した穀物にふりそそいでいます。

  秋には やさしい雨になります。

  朝の静けさのなかで あなたが目ざめるとき

  私はすばやい流れとなって 駆けあがり

  鳥たちを 空でくるくる舞わせています。

  夜は星になり、

  私は、そっと光っています。

  どうか、その墓石の前で 泣かないでください。

  私はそこにはいません。

  私は死んでないのです。

 この詩が三五館から出版されるや、多くの人々の心をとらえました。ノンフィクション作家の柳田邦男さんも、その一人でした。柳田さんは、息子さんを自死で失うという壮絶な経験をされており、そのいきさつは名著『犠牲 わが息子・脳死の11日』(文藝春秋)に詳しく書かれています。子を亡くした喪失の悲しみから立ち直ることができずに苦しんでいた柳田さんは、河合隼雄さんから教えられて『あとに残された人へ 1000の風』とめぐりあい、はじめて癒されたと実感したそうです。

 柳田さんは「悲しみを糧に生きる」という講演を神戸などで開催されていますが、そこで自ら用意したスライドを見せながら、時間をかけてゆっくりとこの詩を朗読しました。彼は、この詩にはキリスト教の匂いがなく、キリスト教が入ってくる以前の「原始的な」感性で歌われているとし、だから日本人も素直に共感できるのではないか、といったようなことを話したそうです。また、「私はこの詩に強烈なリアリティを感じるのだ」とも語っています。講演会に集まった、家族を失った遺族の人々によって口コミでこの詩は日本中に広まってゆきました。色々な人の葬儀で朗読されたり、追悼文集などに掲載されました。

 郷里の高校の同級生の追悼文集でこの詩と出会い、衝撃を受けた人こそ、作家の新井満さんでした。新井さんは「1000の風」を一読して、心底からおどろいたそうです。なぜかというと、その詩は「生者」ではなく、「死者」が書いた詩だったからです。追悼文とはその名の通り、あとに残された人々が死者を偲んでつづる「天国へ送る手紙」です。しかしこの詩は、死者が天国で書いて「天国から送り届けてきた返信」ともいうべき内容なのです。そのような詩に生まれてはじめて出会って、新井さんは素直にびっくりしてしまったのです。そして、「この詩には、不思議な力があるな」と感じました。その力が読む者の魂をゆさぶり、浄化し、忘れはてていたとても大切なことを思い出させてくれるのです。

 新井さんは、この詩に曲をつけてみたいと思い立ち、自身による新訳にメロディーをつけました。それが、「千の風になって」です。CDやDVDとなって、新井さん自身や、盲目のテノール歌手・新垣勉さんも歌いましたが、オペラ界の貴公子・秋川雅史さんが紅白で歌ってから大ブレークしたわけです。いまでは、大切な人を亡くした喪失の悲しみを癒し、生きる勇気と希望を与えてくれる「死者からのメッセージ」として、絶大な支持を受けています。先の阪神大震災の犠牲者に対する追悼集会でも、この歌がトランペット演奏されましたし、現実の葬儀でも、この曲を流してほしいというリクエストが絶えません。新井満題字の清酒「千の風」まで発売されて、ブームもここに極まれり、という感じです。ここまでの社会現象を引き起こした新井満&電通の仕掛けもすごいですが、やはり最初にこの詩を発見し、世に問うた三五館の星山社長に先見の明があったと思います。

 さて、「1000の風」を書いた作者の思想は、アニミズムに近いようです。21世紀の現代においてはきわめて少数派ですが、マオリ、アボリジニ、アイヌ、ケルトなどの人々が同様の世界観や死生観を持っています。しかし、この詩が英語で書かれていることと、この詩によく似たフレーズをアメリカ先住民族の伝承のなかに見ることができることから、ネイティブ・アメリカンの誰かが作者ではないかと推測できるでしょう。新井満さんは、ずばり、ナバホ族の人間ではないかと推理されています。

 でも考えてみれば、柳田國男の『先祖の話』に代表される日本民俗学が追求した日本人の祖霊観は、きわめて「1000の風」の世界に近いものです。別にネイティブ・アメリカンの詩に学ばずとも、もともと日本人の心のなかに潜んでいた死者のイメージではないでしょうか。戦後の日本には、「死後の物語」が欠落していました。人が死んだらどうなるのか、誰からも教わってきませんでした。けれども、日本人の心の奥底に「死後への物語」への渇望があったからこそ、この詩にいちじるしく反応したような気がします。そして、風もよいけれども、山中、海上、そして、月。この三つこそが日本人における古典的な「あの世」のイメージであり、死者の面影が立ち上がってくる魂の舞台だと思います。

 あいかわらず、スピリチュアル・ブームが続いていますね。「霊」や「あの世」なら宗教でも説きますが、スピリチュアル・カウンセラーたちには、恋愛や金運のような自己の欲望に関する相談が数多く寄せられることが気になります。しかし、そんななかで大事な家族を亡くした人に対して、「ご主人は、あなたを見守っていますよ」とか「亡くなったお子さんは、あなたの隣で微笑んでいますよ」といったふうに、「癒し」の物語を提供していることは非常に興味深く、これはある程度評価できるのではないかと思います。

 「千の風になって」にしろ、スピリチュアルにしろ、愛する人を亡くした人々は深い悲しみを癒してくれる物語を求めています。そして、わたしは冠婚葬祭業者として、日々、そういった方々に接しています。ぜひ今年は、わたしなりの「愛する人を亡くした人へ」のメッセージを紡ぎ出し、それを実際に伝えてゆきたいと願っています。ご指導下さい。

2007年2月2日 一条真也拝