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魂は千の風になりますか? 」   <抜粋>

2019.06.02 11:19

https://blogs.yahoo.co.jp/yuyujizaijuku/32960147.html?__ysp=5Y2D44Gu6aKoIOatu%2BiAheOBrumciumtgg%3D%3D  より

【魂は千の風になりますか? 」   <抜粋>】

第二章  日本人の霊魂観

P.58 ~ 59 

?H5>位牌は魂と肉体を合体させるための儒教の依代に由来する

 次に中国人の、儒教にもとづく霊魂観にも触れておきましょう。

 中国人が考える霊魂には、魂(こん)と魄(はく)の二種類があります。

「魂」は精神的な霊魂。魂には「云」という字が入っている。これに雨という字をつけると雲ですね。空の雲のあたりに魂がある、と考えました。

「魄」は肉体的な霊魂のことです。魄の白という字は白骨の白。まあ、死体を指すと考えればいいでしょう。

 人が死ぬと魂魄は分かれる。肉体は地上において魄になる。しゃれこうべみたいな、白骨化現象。それに対して魂は雲のあたりまでのぼっていく。魂魄分離です。

 これをもう一度合体させたいというのが、中国人の願いなのです。そのための儀礼を子孫が担当します。儀礼では、その家の長男が骸骨のお面をつけて執り行う。そして、ご先祖様の位牌をつくって、魂のための目印、依代にしました。位牌とは、仏教ではなく儒教に由来したものなのです。

 中国では、鎮魂儀礼によって魂と魄が合体すると「鬼(き)」になります。死ぬことを「鬼籍に入る」と言いますが、鬼というのは死者のことで、この語源も儒教です。

 庶民の家だったら二~三代くらい、おじいさんくらいまでの位牌を祀ります。そのくらいの年月を経ると、おじいさんは鬼になって鬼籍に入る。ちょっとお偉いさんになると、七代くらいまで。皇帝クラスになると、三十三代くらいまで祀ることになる。三十三代というと九百年くらい経ってしまいますね。

 こういう中国人の霊魂観も、日本人に多少なりとも影響を与えているといえるでしょう。

P.60 ~ 63 

===== 四十九日はインド人が次の生に輪廻転生するまでの日だった ===== 

 最後にインド人の霊魂観です。インド人の霊魂の時間は、四十九日しかありません。

 四十九日経つと、必ず次に輪廻転生する。遺族たちは、四十九日の間だけはしっかり死者を悼(いた)みます。インドには死者のために一週間ごとに団子を供えるサピンダという風習があります。日本の初七日から四十九日までの法要は、このサピンダの風習がもとになっています。

 ただしインドでは、四十九日経つと死者のことをさっさと忘れてもかまいません。もうどこか別のところで生まれ変わっているわけですから、嘆き悲しんだり、心配したりすることもないのです。

 人間に生まれかわっているかもしれないし、天人になっているかもしれない。地獄で餓鬼になっているかもしれません。

 下の図を見てください。右が生有(しょうう)、左が死有(しう)。その中間が中有(ちゅうう)で、さらに左右が本有(ほんう)です。

■ インド人の霊魂観 

本有というのは、生きている状態、つまり今の生を指します。今の生はどこかで終わります。その瞬間を死有という。死有からし十九日経つと生有となり、次の生に生まれ変わる。そして次の人生が始まるわけです。この四十九日間を中有という。中陰(ちゅういん)という場合もありますね。

 中陰は宙ぶらりんの状態と思えばいいでしょう。もし、死者の霊魂が存在するとしたら、四十九日間だけなんです。それが終われば、必ずどこかに生まれ変わっている。だからインドでは、墓をつくる必要もありません。

 ちなみに、日本の三途の川ももともとはインドのものです。インド人は、現世と来世の間に「ヴァイタラニー河」という熱湯の河が流れていると考えました。この河は膿(う)んだ血やら毛髪やら、骨、汚物が混濁した河で、死んだら剃刀のように細い橋をわたってあの世に行きます。中陰の四十九日間に、死神の裁きを受けて、来世の場所が決められるのです。

 仏教とともにこの思想が日本に入ってくると、ヴァイタラニー河が三途の川へ、死神が閻魔大王へと変化します。ヴァイタラニー河にかかる細い橋は、日本に入ってくるとただの橋に変わりました。善人は橋を渡り、悪人は急流を渡る。普通の人は浅瀬を渡る、という決まりになったのです。その後、室町時代になると、川に渡し舟ができ、六文銭を払えば誰でも川を渡れるようになりました。人々はこのシステムを三途の川にも取り入れたのです。今でも葬儀のときに、死者があの世にわたれるよう、棺桶に六文銭を描いた紙を入れたりしますよね。

 死んでも来世で生まれ変わる、輪廻転生の思想は、もともと古代ヒンドゥー教(バラモン)の考え方でした。当時からインドでもっとも信者が多いし宗教はヒンドゥー教でしたから、お釈迦様がインドの人々に仏教を広める際、この霊魂観を取り入れて仏法を説いたのです。仏教が中国、日本へと伝わる際に、もともとあったヒンドゥー教の霊魂観が一緒に入ってきたというわけです。

P.63 ~ 65 

生まれ変わりを信じながらも三十三年間供養する

 インド人式に考えると、霊魂観は一番シンプルで、こだわりがなくていいですね。仏教の本筋は生きている人のための教え。死後の世界など説いていません。死後の霊魂にこだわりだすと、本来の仏教がわからなくなる。私は、仏教を学んでいる人間なら、インド人式でいいのではないかと思います。

・・・< 略 >・・・

 インド式の霊魂観は仏教とともに日本に入ってきましたが、残念ながらもともとあった荒御魂、和御魂の霊魂観とブレンドされたことによって、インド人のような四十九日間限定の霊魂とはいきませんでした。

 日本人に生まれ変わりをどこかで信じながらも、一周忌、三回忌、・・・と三十三年間も位牌を前に手を合わせ、先祖の供養に翻弄されるのです

 この日本独特の日・中・印ブレンド霊魂観が、さまざまな日本の習俗を生み出しました。そして習俗を規定しているのが神道です。

 日本に生まれ、日本人として育ったなら、意識せずとも神道の習俗のなかで生きている。葬式もまたしかりです。日本の霊魂観にもとづいたお正月やお盆などと同じ、日本固有の習俗だということがお分かりになったでしょうか。