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円覚寺夏期講座 2

2019.06.02 08:12

夏期講座2日目

朝、北鎌倉に向かっている電車に、途中駅から真美子さんと西澤館長がご乗車になるというサプライズからのスタート。

南嶺老師による無門関提唱 


原始の仏教(小乗仏教)は輪廻の苦しみから逃れることを目的としているが、大乗仏教の大悲、慈悲は、自分ひとりが悟ることを目的としてはいず、苦しむ人がいる限りその側に来て救おうとする教え。


そのためには、塩鮭の塩を抜くのには真水ではなく塩水を用いるような配慮が必要と説いたのは朝比奈宗源老師。


五祖という僧は、大きな牛が窓の格子をくぐり抜けるのに、角や体はくぐり抜けられたのに、尻尾がくぐり抜けることができなかったと語ったという。

これを無門は、出家しても、まだ、人からよく見られたいというような執着が心に残っていて真の解脱はできないものだと解釈。


自分のどうにもならない愚かさを分かっていること、自分の心を謙虚に見つめることが大事とまとめられた上で、今日は真民さんの「遠い道」という詩を紹介されました。


   遠い道                      坂村真民

それは遠い道である

しかしわたしは何年かかっても往くであろう風がおこる根源のところへ

光が生まれる混沌のところへ

そしてまた幾年かかっても

還ってくるであろう

もろもろのものたちが

愛の火を燃やしあって

生きようとしているところへ

こころを相寄せ合って

暮らしているところへ

生きとし生けるもののかなしみと

よろこびの渦巻くところへ

2時限目  慶應義塾福澤研究センター都倉武之先生「釈宗演と福沢諭吉が見ていたもの」


26歳で印可をうけ、27歳で慶應大学へ入学、29歳でセイロンに渡り、35歳でシカゴ万国宗教会議に参加、円覚寺の管長に二度就任。世界を視野に、平和のために仏教、禅の可能性を説きながらも、晩年は衆生救済のために生きた釈宗演。


3度の洋行の後、欧米の思想を日本に紹介するほか、民を鼓舞し社会を発展させる人づくりを理論的な考えをもとに、智の実践を世俗の感覚へ配慮しながらバランスよく進めた福沢諭吉。


2人に共通するものを、実践行動から滲み出る気品、霊気、愛、誠とまとめられた。

3時限目 聖心侍女修道会 深澤光代先生

「教皇フランシスコが描く平和のビジョン」


イエズス会という組織の中で、教皇サンフランシスコの言葉がどのように実践されているのか、初めて知る内容ばかりでした。

印象に残ったものを何点か挙げると……


・「無関心」のグローバル化を憂慮

自分に関わっているという捉え方がない。

共感しない、関心がない、興味を持たない。

神、仏など宗教への無関心が隣人への無関心に繋がってはいないか。

過剰な情報により、感覚が麻痺しているとは言えないか。


・非暴力

暴力と平和が対峙しているのは心。

心の中に暴力はないか?

教皇サンフランシスコは「私は神に愛された罪人です。私のために祈ってください」と言ったという話。


・家庭の重要性

人類皆兄弟、という時の兄弟愛を学ぶところは家庭。

家庭の使命は平和を世界に発すること。


自ら行動しながら、慈しみと連帯のグローバル化に人々を巻き込んでいく、平和を手作りしていくというビジョンと活動、それを支える深く大きな愛を感じる講義だった。

2日目を終えて思うのは、知を求める向学心、自己への洞察力、自分から他者へ、世界へと広がっていく視野、そういう心や能力を人間は持っている、素晴らしいじゃないかということ。

そして、こういう話を聞けば、きっと誰でもが、ああ素晴らしいなぁ、少しは近づきたい、自分にできる何かをしたいと思うのではないかということ。


この思いが広がれば、世界は変わっていく。


届けたい。伝えたい。感じて欲しい。

あなたの わたしの 人間としての心と能力を

もっと活かそうよ。

世の中をもっとよくしようよ。

幸せな人を増やそうよ。

よい地球にしようよ。


明日は3日目。

実は今日、方丈から出る時の階段で躓き、右足の甲の部分を痛めてしまいました。

明日は、歩けるようであれば行きますが、もしかしたら休まざるを得ないかもと思っています。