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キャンピングカーで日本一周

5月29日 豊丘村 → 岐阜県中津川市[馬籠宿・藤村記念館](78km)

2019.06.03 06:10



木曽路を歩きたい‼︎


ということで、昨日は一旦、下條村から天竜川沿いの国道151号線を北上し、飯田市のお隣、先日もお世話になった豊丘村の道の駅「とよおか」へ。



しかし、鯉のぼりというのは、一体いつから5月一杯飾られるようになったのか。



そういえば、観光地ではお雛様も、未だ飾られ続けていたりするので、これは外国人観光客向けのオブジェのような扱いと思うべきなのかもしれぬ。


なんだか季節感も何も、なくなってゆくようで妙な気分。




馬籠宿から妻籠宿まで、中山道自然歩道を歩く


明日は、早朝妻籠宿からバスに乗って馬籠宿へ向かい、そこから歩いて妻籠宿へと戻るという計画。



なので、今日は一先ず、国道256号経由で妻籠宿方向へと向かい、下準備を行うことに。


国道256号は、中央アルプスの南端を回り込み、飯田街道から木曽街道へ抜ける要路。


路面もしっかりしていて、とても走りやすかった。


妻籠宿に着くと、駐車場がいくつか目に入る。


しかし、どれも有料で、どこに車を停めるべきか迷う。


当初は、ここに車を停め、馬籠宿までのバスの下見をするつもりだったが、駐車場に入るかどうかモタモタしていると、後続車のクラクションが響く。


久々にクラクションの音を聞いたせいか、かなり焦ってしまい、追い立てられるようにして、そのまま国道を先に進み、今日の宿泊予定地の道の駅「賤母」まで行ってしまう。




道の駅で昼食をとりながら、相談しているうちに、「逆に馬籠からスタートして、妻籠からバスで戻って来てもいいんじゃないか」と考えが変わる。 


善は急げということで、休憩もそこそこに、今度は馬籠宿まで走る。




馬籠宿には、宿場の入り口付近に大きな無料駐車場がある。


明日はここに停めて出発することに決定。


さっそく車を停め、馬籠宿の観光案内所へと向かう。




帰宅途中の小学生と遭遇。 


こんな道が通い路とは、何とも羨ましい限り。



途中で、道端の石畳の上に、じっと座っている猫が。


近寄っても、ピクリともしない。



坂道の途中には、水車のあるお茶屋さん。



さすがに観光客で賑わっているが、特に外国人観光客、どちらかといえばアジア系よりも欧米系の人たちが多い。


日本の風情を味わうには打ってつけの場所、ということか。



誰もいなくなった瞬間を捉えるのは、なかなか至難の技である。




坂の途中から、後ろを振り返ると、遠くに山が見える。




馬籠観光案内所は、馬籠宿の中程にある。


ここで、明日妻籠から戻るバスの時間を確認。


それから、念のため、熊除け鈴を一つレンタルする。



先程の休憩をとっていた道の駅で、「この周辺で子熊が出没した」という防災無線が流れていて、Kは少しビビっている。


北海道の知床でヒグマに遭遇した時は車越しだったので、2、3メートルという至近距離でも大丈夫だったが、今度はそうはいかない。


ともかく、熊さんの方から我々の行動を察知し、ご退散願いたい。


鈴はデポジットを払い、返却すると全額返金される仕組み。


観光案内所は妻籠宿にもあるので、そこで返却が可能。


窓口には、旧中仙道の散策コース整備全般に対する支援の募金箱が設置されているので、馬籠宿の地図をいただく際に、ささやかながら気持ちをお返しする。




夕方近くになっていたが、観光案内所の向かいにある「藤村記念館」を見学することに。



ここ馬籠宿は、作家で詩人である島崎藤村の生誕の地である。



島崎家は三浦半島の出身だったが、その後木曽源氏に仕えるようになり、木曽の地に移住。 


馬籠は島崎家が郷士としてこの地に土着し、宿場町としての基礎を築いたもの。


つまり、ここ馬籠宿は、藤村の祖先が切り開いた宿場町なのである。



江戸時代に入り、島崎家には宿場の本陣が置かれた。


本陣とは、参勤交代をする大名やその他要人だけを宿泊させる場所である。 



島崎家は宿場町を統括する村役人の一族であり、商売にも携わり、地主として多くの小作人も抱えており、藤村(本名・春樹)の父、島崎正樹は17代当主であった。


島崎家の歴史は文字通り、中山道の宿場町・馬籠の発展の歴史でもあった。




敷地内には、少年時代の藤村が好んだという、陽当たりの良い書斎が残されている。



「まだあげ初めし前髪の/林檎のもとに見えしとき/前にさしたる花櫛の/花ある君と思ひけり」で始まる『初恋』


「小諸なる古城のほとり/雲白く遊子悲しむ」でお馴染みの『千曲川旅情の歌』 、そして小説『破戒』、『夜明け前』など、日本人なら知らぬ人はいない藤村の代表作であるが、


「名も知らぬ 遠き島より流れ寄る 椰子の実 一つ」で唱歌としても有名な『椰子の実』も藤村の手によるものであり、友人の民俗学者・柳田國男から聞いた話が基となっていたとは知らなかった。



彼の蔵書が並べられた展示室に入ると、彼がフランスから持ち帰ったという、フランス語や英語の原書が並ぶ。


アナトール・フランス(詩人・小説家)の著作が多いようだと背表紙を眺めていると、そこに満州事変直後の1931年10月に国連調査団が公表した『リットン報告書』が混ざっていたりして、時代を感じさせる。


日本語の蔵書には、夏目漱石など文豪たちの全集と共に、父・正樹が傾倒した国学者・平田篤胤の著作集なども納められている。


ミニ図書館の収蔵庫のような、文学・歴史・自然科学と多岐にわたる分野の、さまざまな言語の書物の背表紙を眺めていると、当時の知識人の教養が、どのような書物によって形作られたのかを、朧げながらイメージできる気がする。



晩年の代表作である『夜明け前』は、明治初期の馬籠の史実、とりわけ父正樹が辿った歴史を基に描かれているということで、改めて読み直してみたいと思った。



また、藤村については思うところがあるので、小諸を訪れた時にでも、また改めて書き記したい。




記念館を出て、さらに馬籠宿を散策。



五平餅屋さんの看板猫は、レンズを向けると、たちまちご退散。




日が暮れかかったところで、道の駅「賤母」に戻り、宿泊。



今日買ったばかりのヒノキのお猪口で、地元の日本酒を味わい、英気を養う事 ことにする。