まじょ修行って。
新月の今日。
まじょ修行宣言にあたり。
わたしの想う、「まじょの在り方」を。
それは、ビビデバビデブーと呪文でかぼちゃを馬車に変える人ではなく。
ひーっひっひっと毒薬を林檎に塗る人でもなく。。。
森の中、深くに、動物と暮らし。
日頃は、ひとり、たんたんと、静かに自分の生と向き合い、流れる時間を豊かに感じ。
時に野草なんかを煎じて、訪ねてくる、街に住む、困っている人の役にたつ。
自ら働きかけ、動くのではなく。
たまたま、自分のもっているものが、必要な人に行く。
そのくらいのペースで営みをおこす。
☆
あぁ。子どもの頃、読んだ絵本の中にいたのでしょうか。
ともすると、孤独の中にいるような。
淋しさ、をも、感じるような。
そんな生活。
けれども、そこには、自立し、自分と向き合うことを、たんたんと受け入れている、潔い清々しさが見て取れて。
きっと、わたしは、そういう人に憧れているのだと思います。
まじょ修行とは言っても、魔法が使えるようになりたい。とか、そういうことは、二の次、三の次。(使えるようになったら、めっけもん♡)
自ら、ちゃんと、立つために。
わたしは「まじょ修行」をいたします。
☆
まじょ修行
それは、自分とつながり。
自分とは何か。
ここに生まれてきた意味は。
自分のお役目とは。
そういうことを、探す旅のはじまりです。
なぜ、「まじょ修行」って言葉が、あの日のわたしの口からついて出たのか、少しづつですが、分かって来た気がします。
少しづつ、欠片を集めるみたいに。
その中の、ひとつ。
自立していくこと。
生活の面や、物質的な自立も、出来たら最高ですが。
いやはや。いやはや。(//∇//)。
魂の自立といいましょうか。
自分を律し、何事にも動じることなく、ちゃんと芯(自)を立てて。
動じることがないから、相手や起こる出来事を、尊重することもできるのだと思うのです。
☆
わたしの「まじょ修行」は、これから、また、はじまります。
時に、浮かびあがる喜びの中に。
時に、沈みこむ暗闇の中に。
わたしが、わたしを知るために。
☆
Canape