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円覚寺夏期講座3

2019.06.03 12:37

平日だったせいか、空席もちらほらあった夏期講座3日目でした。


今日の南嶺老師による無門関 第三十九則は、ある僧が、他人の漢詩を借りて説明しようとしたところ、途中まで言った時点で、それではダメだと師に否定された話。

他人の言葉で表したのでは、自分の体験を語ったことにはならない。

言葉だけ覚えて唱えても、その内容を実感していなければ意味がない、ということ。


このたとえ話の中で、ダメだと言われた僧が引用した詩は、概ね次のような内容。


仏様の光が静かに世界の隅まで照らしている。

迷っているものも悟ったものも、共に我が家に住んでいる。

わずかでも分別や差別の思いを起こさなければ光は全体が現れるが、六根を働かせ色付けをして見てしまえば雲に遮られてしまう。

煩悩を絶って取り除こうとすると、かえって煩悩が増し、真如だけを求めるのも邪道。

世間に関わりながらなにも引っかかるものがない、迷いも悟りも、ありもしないこと。

全体が光の中にあるのに迷っているだけだ。


この内容の理解のために南嶺老師は、真民さんの詩は二つを選び、部分的に紹介。

 

   ある人へ

光が射しているのに

あなたはそれを浴びようとしない

呼んでおられるのに

あなたはそれを聞こうとしない

手をさしのべておられるのに

あなたはそれを握ろうとしない

(以下略)


   柔軟心

(前半略)

何もかも無くしたとき

何もかもありがたく

何もかも光り輝いていた


一途に咲いた花花の

うれしい心を受け取ろう

やさしい心をほめてやろう


南嶺老師は、この世が光に溢れていることを感じるためには、いっとき目を閉じてみるとよい、

私たちは光の中に生きている、

このことを円覚寺のご本尊である毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)は表している、

このような話をして1時限目を終わられました。

2時限目は「自主逝(じしゅせい)」の心 という題目で、訪問看護という制度を作った村松静子さんのお話。


50年に渡る看護師人生、4000人以上の死の場面に立ち会う中で、患者様やご家族から、最期は自分で決める「自主逝」という心のあり方の大切さを教わったとお話くださいました。

体験談だけに、伝わってくるものに熱があります。

最期をどう迎えたいのか、それを叶えるにはどうしたらいいか、当人として、見守る家族として、何ができるのか。考えさせられる時間でした。

3時限目は、現在「円覚寺の至宝」展を開催している三井記念美術館の館長 清水真澄さんのお話。


日本や中国の歴史、地理、文化、宗教史など、様々な方面の文献や建造物からの考察。研究者ってすごいなぁ。

小学生のような感想で申し訳ないです。


円覚寺は鎌倉という文化都市の入り口として作られたのだそうです。

鎌倉という時代から700年余り、ずっとこの地にあること、そこで守られてきているもの、そういうものに今ほんのわずかでも触れているということ、

わずか何十年という生涯を生きる人間が、受け継いで、繋いできたこと、

素晴らしいなぁ、有難いなぁと思うのでした。

3日目が終わり、明日は最終日。

なんて濃厚な4日間なんでしょう。

境内の紫陽花は日毎に色づきを増しています。私の中にも、日々何か深まるものがあってほしいと思います。