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Kazu Bike Journey

Ride in Setouchi & San-in Day 80 (3/6/19) Takada (Katuyama) Castle Ruins 高田城(勝山城)跡

2019.06.04 14:08

Kanagawa Castle Ruins 金川城跡

Kada PostTown 鹿田宿

Takada (Katuyama) Castle Ruins 高田城(勝山城)跡

Iwaya Castle Ruins 岩屋城跡

Kanagawa Castle Ruins 金川城跡

戦国時代は松田氏の居城であった。この金川は江戸時代には、備前藩家老の日置氏の陣屋町として盛えた。

城は旭川の辺りの山にある。旭川は川幅が広く、当時は高瀬舟が行き来していた。

戦国時代の城主 松田元賢は宇喜多直家の娘を室として、浦上氏に仕えていたが、彼もまた直家の勢力を拡大の犠牲になった一人だ。永禄11年(1568年 直家39才)宇喜多直家は、松田氏の重臣を謀殺、調略を行い準備万端となって金川城を攻め松田輝元/元賢親子は討死し、金川城落城。

次の目的地の落合へは旭川に沿っていく。途中は、思い出したかのように集落が現れるがほとんどは山と川の綺麗な風景が続く。岡山には水系が3つある。この旭川、吉井川、高梁川。何も川幅が広く、以前は山間部まで船が運行していた。当然、集落はこの川沿いに作られた、城ができ、城下町として発展していた。

旭川ダム ダムもこの旅行でいくつも訪れた。大体のところは公園が作られている。地域住民の犠牲を伴うので、地域に対しての貢献と地域住民の感情の緩和の為で作られているのだろう。多くはこの公園は使われていないようだ。ここもそうなってしまったようだ。ここに人を呼び込む事も同時に考える必要があるだろう。しかし自転車で走っていると実に気持ちよく、楽しい。この景色を楽しめるのは自転車だけだ。自動車は早すぎてじっくりとは見れないだろうし、ここにくるハイカーは殆どいないだろう。

Kada PostTown 鹿田宿

落合にある鹿田宿。ここに来たのは大学の同級生が落合出身だった事。何故か、落合出という事が何十年たっても覚えていた。だから行ってみたくなった。今は町村合併で真庭市となっている。大山道と落合往来の宿場町で、街道であったという雰囲気は今だに残っている。

親友の家の場所に行ってみた。更に田舎だった。よくこんな田舎から出てきて一流企業の役員まで務めたものだ。ここでは有名人かもしれない。どこか分からずウロウロしていると、車が入ってきて運転手がこちらを見ていた。親友に顔がそっくりでお兄さんとすぐにわかった。不審者と間違われないように挨拶をして何故ここにきたかを話した。それからしばし話をする。気さくに話をしてくれた。ここでも過疎化が問題で、町おこしが課題だが、行政が本腰を入れていない事を嘆いていた。

この真庭市にきて少し怪訝に思った事がある。真庭市は、平成17年に当時の勝山町、落合町、湯原町、久世町、美甘村など9町村が合併して誕生した。人口4万4千人 面積は岡山県の11%も占めており、広い市だ。気になったのは高校。落合には真庭高校落合分校があった。この時はそれほど気に留めなかったが勝山に向かう途中の久世にも真庭高校久世分校があった。距離がそれほど離れていない6km程。生徒数は両分校合わせて450人。普通科と専門科3つで普通科、看護科は落合にそれ以外は久世にある。何故分けたのだろう。設備なのか、コストが倍かかるだろうに。

Takada (Katuyama) Castle Ruins 高田城(勝山城)跡

ここも宇喜多直家に関わり合いがある。

高田城は築城時から代々三浦氏が居城としてきた城。三浦氏は中国地方の有力豪族の侵攻に常にさらされていた。備中高松城の三村氏、毛利、尼子、宇喜多などがこの城を攻めた。城を奪われたり奪い返したりが続く。宇喜多直家が絡んでくるのは、毛利の傘下の三村家親に永禄7年(1565年)に攻められ、落城し貞勝は自刃。貞勝の妻お福 は虎倉城主伊賀久隆家臣土井を頼る。伊賀久隆の妻は直家の妹の関係で直家とお福は知り合いのちに妻となり、秀家を生むことになる。直家にとっては三村との戦いの大義ができ、永禄9年(1566年)三村家親を暗殺し、三浦家臣団は貞久の末弟・貞盛を擁立して高田城の奪還を果たす。その後も毛利に城を取られ、尼子の山中鹿之助の助けで奪回。宇喜多直家が毛利方につくと、毛利に城明け渡さざるを得なくなった。その後は毛利が城代を置き、関ヶ原以降は小早川秀秋、そして津山藩の森の配下へ。明和元年(1764年)、三河国西尾城より譜代大名の三浦明次が2万3千石をもって真島郡を領し勝山藩が成立。以降勝山城と呼ばれた。

この城に登ろうと勝山駅の観光案内所で登り口を訪ねる。親切な担当者が教えてくれ、城の案内図と美作地域の中世の城の説明書を頂いた。滅多に人が登らないので草がぼうぼうになっているかもしれないと済まなそうに言っていた。教えられたとおりに登り口まで行くが、途中かなりの急坂になっていたので道路の脇に自転車を停めてて後は徒歩にて向かう。登り口に到着。案内板で城の構造を確認。2つの山にまたがっている。多分本丸がある山だけ登り時間切れになるだろう。今日はセンチュリーライド(100キロ超え)になるだろうから。

登り口は3つある。行きと帰りは別の山道にする。

登り口のあるここは近世の調練城跡と案内板にはあるが、別の案内板は二の丸跡となっている。少し案内板に食い違いがある。遺構などはなくグラウンドになっている。

山道はちゃんと整備されていて、歩きやすい。標高310mの山頂にあるのだが、もうすでに標高200mぐらいなので実質100mぐらい登ればつく。少し急な道ではあるがものの15分ぐらいで山頂城跡につく。ちゃんと案内板もあり、なるほどと見学。標識が無ければただの山。

馬洗場

二の丸

本丸へ

本丸

ここから別ルートで下山。今日はとにかく暑い。玉のような汗が次から次へと溢れ出す。持ってきた飲料水も残り僅か。あとでコンビニで飲料水を買わなければ。この暑さで、食欲が激減。もう3時半だが、食欲はない。ただ喉が乾くだけ。

途中小屋の段というとこがあった。三浦家の家臣宅跡

下山し麓にある三の丸へ。三の丸は城下町の城側にあり、発掘調査が行われ遺構が発見されている。

三の丸から本丸のある山

反対側には出丸があった別の山。

城の麓の三の丸付近は城下町として盛えた。現在は街並み保存地区となっている。

武家屋敷

商店街も昔風に

津山にもあったがここにもだんじり祭りがある。津山と違い喧嘩だんじりだ。津山のだんじりに比べ少し小ぶり。

これで今日予定していた訪問地終了。ここから30km先の宿のある津山に向けて出発。もう5時を過ぎている。津山に着く頃は日が落ちているだろう。

津山へ向かう道は国道181号線。出雲街道が通っていた道。所々集落があり国道から道が分かれる。その道を行くとまた国道に戻る。この道こそ旧出雲街道で、宿場や間宿の場所。勝山宿、久世宿、坪井宿、津山宿と続く。いつかこの出雲街道を走ってみたい。

坪井宿に向かう所に城跡があった

Iwaya Castle Ruins 岩屋城跡

嘉吉元年(1441年)、美作守護 山名教清により築城。山名氏の管理下から応仁の乱以降は赤松氏の領土となる。永正17年(1520年)に赤松義村に対して反逆した浦上村宗に同調た美作守護代中村則久が岩屋城を奪取。浦上家臣宇喜多能家も中村則久に協力していた。

天正2年(1574年)に宇喜多直家が浦上宗景より独立するにあたって備前と美作の連絡路にあたる岩屋城に目を付け、この城を奇襲によってわずか一日で陥落させた。その後、城は毛利に奪われるが、天正11年(1583年)、豊臣秀吉と毛利輝元との間の和睦の協議で高梁川を境界にそれ以西が毛利領となり、それより東は宇喜多秀家の領地となり、岩屋城は宇喜多領となる。

山城で城跡は山の中にあるのだが、今日はその余力が残っていないのと、時間がないので、登らず。山のみを見ただけだった。

あと20キロぐらいで津山。今日は長丁場でかなり脚にきているようだ。ちょっとした上り坂もきつくなってきている。どこかで休憩をしよう。国道沿いに久米というところに道の駅があったのでそこで休憩。もう6時なので、道の駅は閉まっている。キャンピングカーが停まっている。今日はここで泊まるのだろう。いつも思うのだが、道の駅は車中泊は許されるが、自転車やバイク泊は禁止。テントを張ってはいけない。キャンプ場を併設して有料にすれば良いのにと思う。車中泊も少額の有料にしてもっと積極的に旅人向けにサービス拡充すればと思う。人が集まればその地域で必ず金を意図していく。日本は初めにルールを決めるとそこから抜け出せない。道の駅も、長距離運転手の事故を減らすため休憩地として作った。せっかく作ったのだからもっと積極的に地域に貢献できるアイデアを出せば良いのに。北海道はその点、進んでいた。大体温泉やレストランが夜まで営業。キャンプ場併設。博物館や遊園地併設。結構、人で賑わっていた。北海道は旅人に優しい。話を戻すと、ここにはガンダムのミニチュアが展示されている。ミニチュアと言っても元が巨大なので、かなりでかいのだが.... 地元の技術者が趣味で作り寄贈したそうだ。人が乗って動かせるように作っているそうだ。安全対策上動かしてはいないのだが....  あいにく時間外で格納されて実物は見れなかった。

これは良いアイデアだ。話題性は高い。同じようなものがあと数個あれば、かなりの観光客が増える。多くの所で、「うちは観光資源が無いから、観光は無理だよ。」という言葉を聞いた。無ければ作れば良い。みんな今あるものでなんとかしようとしているが、発想を変えれば良い。無ければ作る。それで成功しているとこともある。境港のゲゲゲの鬼太郎はその成功例。境港の例を分析すれば、どこでも可能だ。ただ、境港は観光では成功してはいるが、それが過疎化には歯止めにはなっていない。そこは境港にとっても課題だ。

やっと津山に到着。ここには5月19日から数日いたので、2度目。今回は寝るだけだが、岡山に入ってから3週間が過ぎた。まだまだ岡山には見たいところがあるのだが、この調子で旅を続ければ、いつ東京に戻るのだろう。まだ2ヶ月後?

今日は結局126キロ移動した事になった。疲れてはいるが充実した1日だった。(大体いつもそう思うのだが) 遠くを目的地に置くと初めは少し、気後れがするのだが、いつも無理しても来てよかったと思う。宿で汗を流し寝るだけだ。明日も長距離で岡山に戻る。