塩坂越
塩坂越
もしこの峠の名を初見で読めたら、それは地元民かよっぽどの道路趣味者でしょう。
麓に同名の集落もあって、福井県内で比較的メジャーな難読地名となっています。
この峠の名は
「しゃくし」
くしゃみをしたわけではありません。
これがこの「塩坂越」の正式名称なのです。
ここには古い変態的な隧道があるので、行ってみたのですが・・・
そこには謎が謎を呼ぶ展開が・・・
それでは峠レポ「しゃくし編」
スタート!
福井県道216号常神三方線、それがこの隧道があった県道です。
現在は、ピストン県道としては不釣り合いなほど立派なトンネルに主役を奪われた旧道の隧道。
それが今回ご紹介する
「塩坂越隧道」(しゃくしずいどう)
今回はこの県道216号の終点からレポを開始します。
さてここがその終点。
国道162号との交差点です。
ちなみにこの写真では、撮影地点から左折するのが国道162号。
直進するのが県道216号となります。
ちなみに左折すると以前紹介した「世久見峠」に行けます。
世久見峠も塩坂越も同じ峰を越える峠だということがよくわかります。
国道162号を走っている頃からずっと右側には、
国定公園であり、ラムサール条約湿地にも登録されている「三方五湖」を望めます。
三方五湖は5つの湖の湖面の色が違い、景勝地としても大変人気のある場所です。
写真は5つの湖面全てを望むことが出来る「三方五湖レインボーライン」の入り口です。
恋人の聖地にも登録されていますので、ぜひ一度お立ち寄りください!
いよいよ見えてきました。
写真に写っているのは当然、現道の「塩坂越トンネル」。
用があるのは隧道だよ!
旧道は短くすぐに目的の隧道は姿を見せてくれます。
う~ん、相変わらず凄い違和感。
歩道用の隧道を大きくしたような、直線の側壁。
地圧等のことを考えれば、これは弱い穴の形。
まぁ後ほどわかるんですが、この隧道のある山は岩山の為、地盤が非常に安定しているのでこういう形を採用したのかもしれませんね。
飾り気のない鉄道由来の雰囲気もある(雰囲気だけですが)ポータル。
凝りに凝ったポータルも好きですが、
シンプルイズベストなこういうポータルも嫌いじゃないです。
ステーキとそーめんを比べるようなもんです。
どちらも好き!
プレートには昭和3年竣工の文字が。
ポータルは大正生まれ(飾り気なが無く、断面がアバンギャルド)の雰囲気があったので、
そうかと思ってたんですが、ぎりぎり昭和に入ってたんですね。
この道がかつてから重要な路線ということがあることがわかります。
この写真は隧道内から振り返って撮影した写真です。
変態的な断面がよくわかります。
え?なんか写ってる?
またまたそんな・・・!
驚かせようったってそうはいきませんよ。
隧道内格差ひどい!!
北口はこんなに立派な姿なのに、
南口は大正時代を思わせる、骨董品具合。
賢明な皆さんならもうお分かりだとは思いますが、これだけ断面が大きく変化して洞内が無事で済むはずがない。
先ほどの洞内の写真に写りこんでいたのは、
1車線幅にも及ぶ道内での幅員減少という暴挙。
この幅員減少地点までが、初代「塩坂越隧道」
そこから北口までが延長工事によって生まれた2代目「塩坂越隧道」と呼べるのではないでしょうか。
現道のトンネルも合わせれば3代もの隧道を有する歴史ある道ということになります。
しかも全部、現役!かっこいい!!
※2021年現在、残念ながらこの隧道は廃止されたことを付け加えさせていただきます。
やっぱ一番渋い初代のポータル。
重厚感が違います。
ん?
ポータルの上に石碑??
開通記念碑にしちゃ妙な所にあるな。
見れば見るほど妙な位置にある人工石。
そして角度を変えてみたら、奥になんか手すりみたいのが見える!
これはネット上には旧道は廃れたというのが定説となっている塩坂越の旧道を辿れるかも!
うん。
道だね。
翼壁と一体化してるので犬走りにも見えますが、ポータル上へは行けそうなので辿ってみることにしました。
どうやら隧道関係の碑ではなく、どちらかと言えば古道由来の碑な様子。
山神信仰のものでしょうか?
現在では来る人も少なそうな場所ではありますが、ちゃんと手は行き届いているようです。
出来れば正面で撮りたかったんですが、正面は・・・、
これだもの。
無理無理、僕空飛べないし。
眼前には、明らかに峠にたたかいを望むような線形の山道。
そして謎の手すり。
いいだろう!
今日は山に登る準備は何もしていないが、
行けるとこまで行ってやる!!
やっつけ仕事のバリアフリーのような山道。
手すりと階段がセットとかもう意味わかんない。
近くでこの手すりを見て驚きました。
S字を繋げたような波状の構造が施されていたのです。
つまり僕が考えるこの手すりの正体は、
「産業用モノレール」
山菜や竹の子等収穫物を持って山を下るのは非常に大変な作業なので、このようなモノレール構造のものに荷物を載せつ運ぶシステムがあるのです。
モノレール軌道と古道は仲良く山を登っていきます。
沢を越える時も・・・。
切り通しを越える時も、ずっと一緒です。
しかしこの切り通しは古そうです。
苔むした感じが時代を感じますね。
その中心を貫くモノレール軌道。
動いているところを見たかった。
隧道の紹介の辺りでも書きましたが、
この山はもともと土山ではなく、岩山なのでしょう。
皆さんも子どもの頃、砂遊びで山を作ってトンネルを掘ろうとした経験はないでしょうか?
結論から言う砂山では100%素掘りのトンネルはできません。
トンネルの維持管理しやすさと言うのは、延長や深さが同じなら、「地質」に集約されます。
砂よりも土山の方が、土山より岩山の方のが、維持管理しやすいのです。
それがあんな変な形の坑口でも、半世紀以上耐えてこれた理由と言えるでしょう。
「塩坂越」着
軌道は峠の麓を目指していましたが、僕はここで踵を返します。
なぜなら、反対側のトンネルわきに出れる確証がないから。
なにぶん夕暮れでして、もしここで無理に下って、
どこかわからない浜にでも連れていかれたらもうアウト。
皆さんも山歩きは慎重に行きましょう。
麓へ降りて、3代目塩坂越トンネルを通って帰りました。
平成4年開通の20歳としては若づくりかも。
最後に・・・、
これは三方五湖ではありません。
リアス式海岸でも有名な若狭湾です。
この海の水で作った塩を担いで坂を越えたことに由来する「塩坂越」の地名。
明治の文献には「余りの道のひどさに貴重な塩を担いだ男が何名も泣きながら峠を越えた」
そんな記述もありました。
なにはともあれ、新たな峠をレポできるとは思いませんでした!
やっぱ見つけた道は行ってみるもんですね!
以上、塩坂越編