「日曜小説」 マンホールの中で 第一章 3
「日曜小説」 マンホールの中で
第一章 3
「た、助けは来るのか」
善之助は焦った。マンホールの中、それもいつ、なぜ自分がこのようなところに自分がいるかもわからない状態で、いつまでここで待っていなければならないのか。
そのうえよくよく考えてみれば、ここにいる次郎吉という男はここに住んでいるという。まあ、それを信じるかどうかは別にして、少なくとも、誰にも存在を知られることなく、このような場所をねぐらにしている泥棒を名乗るものがいるのである。つまり、ここに自分がいるということの確実性がなければ、誰もここには助けに来ないということになるのである。
そういえば、今まで自分も毎日のようにここの上を歩いていた。目が見えていたころも目が見えなくなってからも、もう数え切れないほどこの上の道を歩いているはずだ。しかし、自分自身、自分の足の下にこのような空間が広がっているなどということを考えたことはないし、また、その空間に人がいるなどということを想像したこともない。もちろん、マンホールの下に空間が広がっていることは十分に承知しているつもりであるが、しかし、その下に人が生きている世界があるということが全く気にかけていなかったということである。
そうであるならば、自分がここにいるということを想起する人が何人いるのであろうか。いつもの自分を考えてみても、また、ここにいる次郎吉の存在をほとんどの人が認識していないことを考えても「助けがくる」ということを期待するのは、かなり大きなリスクを伴うということになるのである。いや、永遠に助けが来ないかもしれないのである。
「はあ」
善之助は、助けが来るのかという問いに何も答えない次郎吉の無言の時間の後、深くため息をついた。
「爺さん、まあそんなに落ち込むなよ」
「落ちこまないでいられるかだいたい、他人に知られることがないから泥棒がアジトに使っている場所だろ。助けが来るのを待つといっても、いつ来るのか全く分からないではないか」
「まあ、そういわれちまうとそうだな」
次郎吉は面白そうに笑い声を立てた。目の見えない善之助にとって、その笑顔がどんなものかわからない。善之助をバカにしているものなのか、あるいは、痛いところを指摘されての苦笑なのか。それでも、真剣に心配している善之助にとって、笑いで返されるのは何となく不愉快であった。
「なぜ笑った」
「爺さん、笑わないわけにはいかないだろう」
「なぜだ」
「そりゃそうだ。人間ってのは『待つ』ってことを知らないんだよ。それが爺さんみたいな人でもそうなんだと思ったら、何となく面白くてさ」
「無礼な」
「失礼だったら謝るよ。でも、本当に面白いのだから仕方があるまい」
善之助にとっては、いささか予想したものとは全く異なった答えが出てきたので驚きであった。まさか自分が待つことを知らないといわれるとは全く思っていなかった。現役時代、まだ若かりし頃ならば、そのようなに言われても仕方がない部分があったかもしれない。確かに自分は待つことを知らない性格であったのかもしれない。しかし、目が見えなくなって、白いステッキを持つようになってから、様々なことに対して慎重にもなったし、待つことも考えるようになったと自分では思う。しかし、まさかこのようなところで、待つということができないなどといわれるとは全く思っていなかったのである。
「『待つ』ということができないとはどういうことだ」
「そりゃそうだろう。爺さんみたいな光のある世界で暮らしている人は、『待つ』ってことは、何か終わりが見えていて、そこまでの時間をつぶすことだと思っている。しかし、我々泥棒というか、まあ、人目をはばかって生きてる者にしてみれば、『待つ』っていうのは、永久に来ないかもしれないチャンスをずっと待たなきゃなんないんだ。そして、そのチャンスだって、一度逃したら永遠にチャンスが来ないかもしれない。それでも、待たなきゃならないんだ。そんな『待つ』ってことしたことないんだろうな」
待つ、ということ一つをとっても、自分とここにいる次郎吉と全く異なる。そういえば、自分は待つといっても期限がわかっているような待ち方しかしたことがない。もちろん、終わりがわからない時間はあったかもしれないが、しかし、それでも経験上で何となくどれくらいというものがあり、それが大幅にずれることはなかった。
しかし、待つというのは、本来そのようなものではないのかもしれない。次郎吉がうまいこと言って知ったが、我々が「待つ」と表現していることは「時間をつぶす」ということだけであって、本当に不定期な状態でチャンスが来ることを「待つ」のとは異なることなのかもしれない、少しニュアンスは異なるが、嵐とか干ばつなどで、自然現象を待ったり、あるいは大地震の後になって余震が終わるのを待つというように、自然を相手に待つということをしている場合は、「時間をつぶす」では済まされないことが少なくないのだ。
「いや、次郎吉さんには勉強させられるな。本当にそうだ。『待つ』というのは、本当はいつ来るかわからないことをじっと待たなっればならないんだよな」
「そうよ。だから、待つしかない。つまり、いつ来るかわからないものを『待つ』ということになるんだよ。」
「しかし、それでは先が見えないではないか。そのような場合どうするのだ」
「何を言っているのだ。爺さん、じゃあ、善之助さんはこのマンホールの落ちるということを先が見えていたのかい」
「まさか」
「つまり、先が見えていない予想外のことが起きたのに、その先が見えるようにしてくれというのは無理ってもんじゃないのかい」
何となく屁理屈のような気がする。善之助は何か言い返したい気がする。こう話していればよくわかるが、自然現象を待っているならば、自分では測れないことだ。しかし、今は違う。人為的に事故に遭い、人為的な空間に落ち込んでしまい、それを人が助けに来ることを待っているのである。それを自然現象のようにいつ来るかわからないというのもおかしな話だ。
しかし、次郎吉の言うように、予想外のことが起きた時に、予想をつけて先が見えるようにしろというのも確かにおかしな話だ。また、ここにいる次郎吉にとっても、善之助が上から落ちてくることは想定していないに違いない。それでもこのように落ち着いていられるのは、次郎吉が善之助に比べていかに「待つ」ということを重要に考え、なおかつ、待つことになれているのかということもある。屁理屈といって無視し、怒鳴りつけるのは簡単だが、それ以上に、この次郎吉という男の持っている素質や経験に興味がわいてきたのである。
「そうか、『待つ』ということは、本来は期限がないものをじっと待つということしかないんだな」
「まあ、爺さんみたいに明るい場所で生きてきた人にはわかんないだろうが、こんなマンホールの中で生活していれば昼も夜もわかんない。だから待つことになれちまうのかもしれないな」
「そんなもんか」
「逆に、我々泥棒稼業で期限がある『待つ』ことって言えば、捕まったときの懲役くらいしかないから。期限がなく待っているほうが気が楽なんだよね。期限がなく待っているということは、捕まらないってことなんだよ」
「なるほど」
妙に納得してしまう。善之助は、改めて自分の前にいる男が自分とは全く相いれない『泥棒』という職業であるということを考えた。確かに、自分と泥棒とでは生活も感覚も全く違う。違うということは、それだけ自分とは違ったものを持っているということだ。
まあ、ここで次郎吉と対立しても、結局助けが来ないということには男の代わりもないのだ。それならば次郎吉に会って自分にないものを聞いておくのも面白いかもしれない。
「泥棒というのは、そんなもんか」
「ああ、そうだよ。盗むタイミングも、相手の生活や警備の状況を待たなきゃなんないし、また、盗んだ後逃げ出すのも、タイミングを待たなければならない。泥棒なんて、簡単とか単純な犯罪と持っているかもしれないが、実際は待つことができないと成立しない。逆に、爺さんみたいに先が見えている人とか待つことが苦手な人の方が、一般では仕事ができる人なのかもしれない。そう思うことはあるよ」
次郎吉の声が、なにか哀愁に満ちた感じになった。何か様々な思いが込められているのかもしれない。
「次郎吉さんよ。ところでなんで次郎吉さんは泥棒なんかになったんだい」
「ええっ」
次郎吉はまさかこのような問いかけが次郎吉からくるとは思っていなかった。このまま待つこととか、いつ助けが来るかというような話に付き合うと思っていたようだ。しかし、善之助が突然変わって、次郎吉自身の話に振ってきた。
一瞬答える必要はないと次郎吉は考えた。
しかし、ここで答えなくして、会話を遮っても、自分も怪我していて動けないのだ。助けが来るということは、自分も救助される、そして素性が明らかになり、そして逮捕されるということに他ならない。そうすれば話す機会などは永久になくなってしまうのだ。どうせ、そのような未来しかないならば、今のうちに好きなことを話しておけば良いのではないか。
次郎吉は、善之助が変わったように彼自身の心の中も少し変わった。
「そんなに次郎吉様の話が聞きたいか」
「ああ、頼むよ」
助けを求めるときよりも、はるかに穏やかな声に、二人ともなっていたのである。