人にはたくさんの「顔」がある
こんにちは。
こころの健康支援室 そらいろのmirineです。
人にはさまざまな「顔」があります。
家族といる時の顔
職場での顔
友だちといる時の顔
好きな人といる時の顔 etc., etc.…
同じ人でも、いっしょにいる人やいる場所によって、異なる「顔」を使い分けています。
分析心理学の用語では「ペルソナ」と呼ばれるものです。
人にはさまざまな側面がありますが、自分が相手について捉えられているのは、自分と相手との関係の中で表れる部分だけと言えます。
親の仕事中の顔を子どもが知ることや、子どもが学校にいる時の普段の顔を親が知ることは難しいかもしれません。
自分にはとても素敵な人に見える彼もしくは彼女は、他の人から見るとあまりいい人間ではないかもしれません。
大好きな趣味の仲間といる時は、家や職場、学校にいる時とはまったく違う顔をしているかもしれません。
自分ですら気づいていない「顔」もあるかもしれません。
人は、相手との関係性や場面によってさまざまな「顔」を使い分けています。
しかし、特定の関係性の中では、一貫して特定の「顔」を使っているものです。
上司に対して配偶者用の顔を使うことはなく、子どもに対して上司用の顔を使うことはないでしょう。
子どもに対する時は親としての顔で、配偶者に対する時は配偶者用の顔で、上司に対する時は上司用の顔で相対すると思います。
ここではこの「顔」と定まっているのは便利ではありますが、それによって、知らずしらず自分が知っているのが相手のすべてであると感じてしまうことも少なくありません。
「あの人はこういう人だから」と、自分との関係の中で表れる側面だけを見て決めつけてしまう。
自分が誰かに対してそうしているかもしれませんし、誰かが自分のことをそういう風に決めつけてしまっているかもしれません。
固定された観点から見続けていては、いつまでも相手の同じ側面しか視界に入りません。
「親」という役割を超えた観点を獲得することで、子どもは親も一人の人間であることに気がつきます。
いつもの立場、いつもの役割、いつもの関係性を超えた観点に立つことで、見えるもの、感じるものが大きく変わるかもしれません。
かしこ