菊池エリアdeフットパスの記録
菊池市を歩く
菊池市養生園の健康セミナーに参加した折、ご縁をいただいて「フットパスの企画委員」
をさせて頂きました。
スタッフは七名、各人の経験値を結集し知恵を出しあって開催しました。
1,旭志岩本町円通寺deフットパス
初回は、旭志の円通寺へ
旭志体育館〜杉井川水源(いがわさん)を経て道路原植木線を歩き「円通寺公園」へ歩きました。
今思えば、円通寺とご縁が繋がったのは、奇遇な事?かも知れません。
というのも …
スタッフの方に円通寺の生立ちを記した手書きの資料を頂いて「コレを文書化して欲しい」と言われPCに打ち込みました。
その不思議なストーリーと言ったら…
未だ、菊池一族を知る前の頃のこと。
岩肌に「大悲」の文字が読める。
訪れると岩から癒しのエネルギーが流れ出ていました。
とても心休まる体感を致しました。。
円通寺の石門は県文化財に指定されている。
日本離れした造形に目を奪われて、「ホウ?こんな奥まった山里に石門?なんだろう?」
この菊池市の不思議さに触れたようで、ワクワクしました。
2,菊池公園deフットパス
第二回目のフットパスは菊池公園を巡りました。
菊池公園は元を辿ると、菊池一族が山城として利用した城のこと。本丸跡には菊池神社が勧請され、二の丸、三の丸は菊池公園市民の森として公開されています。
二の丸から見る月見殿。その間に広がる谷は、春には桜の谷となる。
この界隈に24種の桜が咲き競う。
二の丸広場から見ると、赤い橋が見える。
「あの橋は何かな?渡れるのかな?」
この谷の満開の桜の下を歩いたらどんなに気持ち良いだろうか!
そんな思いを持って、歩いてみました。
遊歩道は舗装されていて、けっこう起伏があり脚にきました。
そして橋の袂に着くと橋の名があった。
「守山橋」 へぇ?
モリヤマ?どう云う意味かなぁ?
⇨ホントに、何も知らなかった!(^^)
菊池神社は菊池氏の山城だったそうで、名を守山城と云う。
一つには隈府の町を守る意味がある。
もう一つある?
この時それ以上のことは理解できなかった!
二の丸公園の西の端にベンチがあった。
腰掛けると空中を歩いているようで楽しいので「天空のベンチ」と命名したい。
ベンチに座ると、菊池市内(隈府)が一望できる。眼下に「菊池市民の広場」がある。
余談だが、
菊池物産館があり特産品の販売をしている。
墨染め桜に緑色の桜の花、八重桜、枝垂れ桜、月見殿、輪足山東福寺、亘の築地井出、加藤清正公の像、横穴古墳跡などがある。
3, 䑓(ウテナ)台地de footpath
第三回目は、菊池市七城町の北部にこんもりと在る森「䑓うてな」を巡る。
䑓・台(ウテナ)という名は、私の耳には珍しい響きだった。其処は台地状の岬の突端みたいに平野に突き出ている。
䑓の井出 このラインが昔からの水田との境と聞いたがイメージは湧かなかった。
富田甚兵衛氏の灌漑施設
䑓環濠集落跡
七城の一つ、䑓城跡
瀬戸口の横穴古墳群
茂賀の裏の遺構・舟繋ぎ
綿津見神社
妙見の大楠
此処が菊池の要だった!
4,隈府地区de footpath
菊池は菊池一族の城下町であり、隈府はその中心である。
菊池一族15代武光公が築いた要塞都市である。
本城(現、市民広場界隈)と背後の山城守山城(現、菊池神社)、御所通りは将軍木と御囃子場、壱番館、菊池高校内の遺構が発見されている。
菊池武光公の像
第15代菊池武光公は、菊池一族の全盛期に活躍した当主である。
百戦百勝 戦いて勝利の神とも云われている。
菊池に旅したら、菊池一族のヒーロー菊池武光公に会おう!
すべて謎解きは此処から始まる。