Ride in Setouchi & San-in Day 85 (8/6/19) Himeji Castle Ruins (1) 姫路城 三の丸/外曲輪
Himeji Castle Ruins 姫路城 三の丸/外曲輪
姫路城は子供の頃から何度も来た事がある。ただ、いつも部分的にしか見ておらず、自分の中では消化不良の様な気がしていた。今回は時間をかけ、ゆっくりと消化しながら見ていきたい。一日では終わらないだろう。姫路城はそれほど大きく、数多くの遺構が残っている。
姫路城
姫路城は外側から外曲輪、中曲輪、三の丸、二の丸、本丸という構成になっている。いつも通り、外側から攻めていくことにする。二の丸、三の丸は有料地区で、ほぼ全ての観光客がここだけにいく。限られた時間で見ているので、仕方ない事だが、とても大きい所なので嵐の様に一気に駆け抜けてかざるをえないのだろう。朝8時から見学を始めたのだが、まだこの時点ではあまり人はおらず、天守閣見学の待ち時間は0と表示されていた。しかし、昼前から、入場制限がかかる程、人が多くなっている。以前来た時にこれにぶち当たり、ラッシュ時の地下鉄の様な感じで、見学と言えたものでは無かった。二の丸、本丸は休日は避けたい。今日はあまり人が見ない外曲輪、中曲輪と三の丸にとどめて、明後日の月曜日に二の丸、本丸を見ることにする。
[外曲輪]
外曲輪は外堀で囲まれていた。外堀は埋め立てられて、幅の狭い水路に変わっているが、ルートはほぼ当時の外堀のまま。この外堀に沿って走る。外曲輪は町人町で、今はそのまま商店街や住宅街になっている。江戸時代からの遺構は殆ど無いのだが、所々に石垣や門跡などが残っている。
外堀
外曲輪から外に出る門は5つあったのだが、どれも遺構は残っておらず、案内版があるのみで、案内版も見当たらないのもあった。
備前門橋跡
姫路城外曲輪の西国街道にに通じる門があった。ここが城の西の端と考えて良い。礎石のレプリカが設置されている。その他、外曲輪から城外へは数々の街道の出入り口があった。
北京口門跡
北京口門跡から見た姫路城
[中曲輪]
外曲輪が町人町だったのに対し、中曲輪は侍屋敷があった地区。中曲輪と三の丸の間には中堀が走っていたが、南部分の大半は、今は埋め立てられて国道2号線になっている。中曲輪への入り口は数多くある。西のほうから見学。
白鷺橋/千姫の小径/埋門跡
外曲輪の外輪は船場川が流れている。天守閣から見て、中曲輪と呼ばれる中濠で囲まれた地域の南西端にこの埋門があった。ここにある白鷺橋を渡り、城内に入る。ここから舟場川に沿って千姫の小径と名付けられた遊歩道がある。
埋門から
千姫の小径 中堀の中に中洲の様になっている所が遊歩道になっている。中曲輪の南西の端から城の北までずっと続いている。多くの地元の人が散歩を楽しんでいる。
車門跡/船入川碑/市ノ橋門跡
市之橋門跡と車門跡は、姫路城の西を南北に通る中濠沿いにあり、中曲輪の西の端。
鵰門跡 (くまたかもん)
門を入って所には番所があったが、今は小学校になっている。
中ノ門跡
姫路駅から城への大通りと交差している。城に近づくにつれて、土産店やカフェが多い。
中曲輪と外曲輪は濠があったのだが昭和7年に埋め立てられて国道2号線になっている。
総社門跡
ここもまだ国道2号線沿い
不明門跡
案内板では載っているが、その場所には何も無かった。地図ではここだが.... ここが載っている案内板と載っていないものがある。姫路城も時代によって形が変わっている。どの時代にか、無くなったのかも知れない。
内京口門跡/内堀
ここは城の東側になり、2号線から北川に曲がった所。内堀が残っている。
久長門跡
大きな石垣跡が残っている。
野里門跡
ここが中曲輪の北の端になる。
中曲輪は武家屋敷の地域だが、三の丸への大手門付近は重臣の屋敷が集まっており、広大な敷地を持っていた。この中曲輪跡は南と東の南側は公園、神社、公共施設が集まり東北方面は住宅地も増えてくる。
家老屋敷跡
大手門の直ぐ前には家老の屋敷があった。ここからは天守閣が見え、当時は毎日これを見ながら登城していたのだ。公園になっている。
大手門公園
家老屋敷跡から大手門への大通りを挟んだ所にある。
九州の島原で見た北村西望さんの彫刻をここで見つけた。同じデザインのものが島原の線路脇にあった。懐かしい。
姫路護国神社
消防署
[三の丸]
ここから姫路藩の行政機関や藩主の住居があった地区に入る。
桜門橋/大手門
外曲輪から三の丸に入る。門のみ復元されている。当時流行りの高麗門形式。
桜門三重櫓跡
大手門を入ったところにあった櫓跡
内堀
三の丸を囲んでいる。
観光用に船が行き交っている。
内堀からは城内の二の丸にある櫓が見える。
ヌの櫓/ルの櫓
ヲの櫓
三の丸広場
大手門から三の丸に入ると、目に飛び込んでくるのが城郭全体。とにかく大きい。
姫路動物園/千姫ぼたん園/歩兵第14連隊跡
三の丸には徳川家康の孫で、大坂落城の折、救い出された千姫の武蔵野御殿があった。藩主が政務を行った向御屋敷が西にあり、この辺りには御殿が立ち並んでいた。明治時代に御殿は撤去され、陸軍兵舎や病院が建てられていた。今は動物園と千姫ぼたん園になっている。
ぼたん園 (ここには藩主居館があった)
喜斎門
大手の桜門に対する搦手。ここから東三の丸に入る。
と四門
ここを入るとすぐに「と四門」から内曲輪に入ることができるため、諸門の中でもかなり重要度は高かった。搦め手口を一番下まで降り切ったところにあるのがとノ四門。天守から搦手門が番号が振られている。
天守閣の手前が手前の帯の櫓
喜斎門から入って「と四門」から内曲輪の石垣沿いに進むと、上山里曲輪の石垣に当たる。これは黒田官兵衛の普請と言われている。上山里曲輪の下の三の丸部分は下山里と呼ばれている。
姫路神社/岩倉稲荷神社
酒井藩の歴代藩主を祀る。明治時代に三の丸跡地に建てられた。
姫山公園
神社から庭園の好古園迄公園になっている。中曲輪にあたる。ここまではあまり人が来ない。
北勢隠門跡
清水門は船場川に沿って中曲輪に設けられた城門
清水門跡/鷺の清水
鷺の清水と呼ばれた井戸が復元されている。
南勢隠門跡
これで、外曲輪と中曲輪 (三の丸) は、ほぼ全て見ることが出来た。丸一日かかった。明日は日曜日なので混雑が予想されるので、内曲輪 (二の丸/西の丸/本丸)は明後日の平日に行く事にして、明日は英賀城にいく。