ストローブ&ユイレの映画におけるアンティゴネーとイスメーネー
今学期の「西洋古典文化論」の講義は、ギリシア悲劇をテーマとしているが、今日は、ジャン=マリー・ストローブとダニエル・ユイレが監督を担当した映画《アンティゴネ》のDVDを教材にした(DVDの詳細は下のリンクを参照)。この映画は、ヘルダーリンの翻訳を下敷きにしたブレヒトの『アンティゴネ』(1948年)が原作となっており、1991年にシチリア島の円形劇場を舞台として撮影されたものだ。
講義のなかで見せたのは、アンティゴネー(アストリート・オフナー)とイスメーネー(ウルズラ・オフナー)の姉妹が兄ポリュネイケースの埋葬をめぐって会話をする、冒頭場面だ(ちなみに、名前から推測できるように、アンティゴネーとイスメーネーを演じる俳優2人は、実際の姉妹である)。ここでの演出上の特徴は、アンティゴネーとイスメーネーが2メートルほどの間隔を置いてまっすぐ立ち、会話をしているあいだその場をまったく動かない、という点だ。彼女たちは、お互いに目も合わせず、ひたすら前(もしくは下)を見たまま自らの考えを述べ合うのである。「演劇」のつもりで見ると、この両人の振舞いは異常なものとして映る。
この場面について、学生からはさまざまなコメントをもらったが、ひとつ、興味深い見解があったので紹介したい。それは、「この演出(=目を合わせない姉妹による会話)は、アンティゴネーとイスメーネーのそれぞれの「孤独」をあらわしているのではないか」というものだ。僕もこれにはなるほどと思った。周知のとおり、アンティゴネーとイスメーネーは、兄の埋葬について互いに異なった見解をもっており、話し合いは物別れに終わる。彼女たちは、「姉妹」という点では一体の存在―父・母・兄2人がすでに死んでいるので、彼女たちの結束力はもともとかなり強いものであるはず―なのだが、それぞれが別のことを考えており、その意味でそれぞれが「孤独」を味わっているのだ。2人の倫理観(肉親への愛の深さにかんする認識)の違いがはっきりあらわれているという意味で、これは、「姉妹喧嘩」などというレベルではない。「個」と「個」がぶつかり合っているのであり、それぞれが「孤独」の世界にいるのだ。
「2人の人物が直立不動で意見を述べ合う」という、ストローブ&ユイレのこの演出は、ビジュアルの面ではかなり地味だが、画面から伝わってくる迫力は相当なものだと思う。コメントペーパーをつうじて、その演出上の仕掛けについて教えてくれた上記の学生には本当に感謝している。