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さいたま自死遺族の集い*星のしずく

若葉の季節を愛で(めで)追って

2019.06.08 08:24

若葉の季節、新緑や空の色、パステルグリーンやパステルブルーはあの子が好きな色でした。

富士山の散策コースで、家族でわいわいプチハイキングをしたときに撮ったこの写真を見ると、あの日のやわらかい陽射し、澄んだ空気、風に揺れる木々の優しい葉音を思い出し、元気に走り回っていた子供たちの姿も一気に甦ってきます。

しかし、よくある家族の、よくある思い出アルバムの『ヒトコマ』になるはずだった写真が、そうではなくなりました。

この写真も、ある意味『遺影』なのです。

ある日、私は『自死遺族』になってしまったからです。

   *

『自死』『自死遺族』という言葉は、我が子に先立たれてから初めて知ることになりました。

それまでは馴染みがないどころか、知らない言葉でした。

我が子は『いしょ』と題した封書を学校の机の上に遺し、離れた場所に住む親友たちへはそれぞれ手紙を郵送してから、学校の敷地内で自ら命を絶ちました。

その手紙の中に『私がなぜ自殺したのかというと―――』という一文があります。

たぶん『自死』という言葉を知らなかったであろうからそう書いたのだと思いますが、そのせいもあり『自殺』という言葉がダイレクトに私の心に突き刺さっていて、『自死』という言葉で伝えるなら、何か別のもののようにも感じることがあります。

でも、『自殺』は残酷で冷ややかなイメージ、ストレートに強烈な言葉だとも感じますから、その文字を目にするたびにグサリグサリと心を刺されるようで辛いのです。


事後、自身が混沌とした精神状態で、ウェブ検索したその言葉にヒットして知ることになったのが『自死』『自死遺族』でした。

正直、一生知らなくてよかった言葉かもしれません。


 ――なぜうちの家族に?

 ――なぜうちの子が?

 ――星の数ほどの人がいるのに、なぜあの子なの?


自死も然り自殺という言葉も、それまで私の辞書には無いに等しいものでしたので、一体どこから降ってきたのかと、その直後はまるで巨大な隕石に押し潰されたようなショック状態でした。

その日まで部活も休むことなく塾に通って、朝もいつも通り『行ってきまーす』と学校へ登校して行ったあの子からは、まるで想像できない『事』でした。

なにかの間違いじゃないのか、なにか……、間違ってパラレルワールドみたいな別の場所へ足を踏み外してしまったのじゃないのか……、間違い、そう間違い、間違いなんだ、これはなにかの間違いです!……と、必死で自分に都合よく『間違い』を変えよう、元に戻そうともがき始めました。


しかし、変えられるわけがない事実です。

それからは悪夢のような現実に震えながら眠り、朝は目覚めた途端にその悪夢が現実なのだと思い知らされる毎日が続きます。

とにかく、その日一日をなんとかやり過ごすことだけでいっぱいいっぱいの中、呼吸して、物を食べてきただけのように思います。

我ながらよく生き続けていられたなと、今ではあのときの苦しい心境を顧みることも可能になりましたが、それでもあまり深く思い出すと呼吸が乱れてしまうこともまだあります。

(無理は禁物ですね)

   *

新緑の写真は、そんな未来を知る由もなかったおめでたい私がシャッターを切った、あの日の幸せが詰め込まれた、お気に入りの思い出アルバムの扉になりました。

実際に私の力では開きませんから、開けて中に飛び込んで行って元気な我が子に直接触れることはできません。

でも、当時のことを思い出して、心で味わうことはできます。


晴天の富士山散策コースの小道を、ワンコみたいにじゃれつきながら歩いている我が子を、ガラスの扉越しに愛で(目で)追うこちらサイドは、事後当初はずっと土砂降りでした。

止まない土砂降りの中、体温も体力も奪われて、身動きもとれなくなっていて、近いうちに逝くんだろうな私は……と、悲しみの底無し沼にぶくぶく沈んでいきます。

ぶくぶく……、呼吸はしていたようです。

そして、ぶくぶくに混じってお腹が鳴る音が聞こえます。

不快感と空腹に我慢ならなくなって、底無し沼から蔦を手繰り寄せるようになんとか這い上がり、なにか食べています。

お腹がある程度満たされると、眠気もやってきます。

 ――なんだ? 生きる気なのか? 私の体は、私は。

 (中略)


さて、今現在はどうでしょう。

こうやってブログにちまちまと綴れるようにもなった今は……、なんとなく感覚的にいえば小雨モード。

しかも時々ですが、雲間から陽の光がほんの少しだけ射し込んでくることもあるように感じます。


そこで、諸行無常という言葉を突然……(^_^;)思い出しました。

人間も自然も、形あるもの無いもの(心や感情)この世に在るものは、良い意味でも悪い意味でも常に同じ状態でいることなど不可能なのですね。

ふむ……、身をもって知りました。

愛する大切な人を自死で喪したという悲しい事実は変えられません。

けれど、悲しみは無くなりはしなくとも、この世に生きている我々の感情や心の情景、それらが全く同じ状態でいることなどないのですね。

   *

愛する子に先立たれて、今年で3年目になります。

まだ3年? やっと3年? もう3年? たった3年?

……

愛で(目で)追う、ガラス扉越しのこちらサイドが、完全に晴れ渡ることは(今は)考えられませんが、小雨モードが霧雨モードへ、少し陽が射してきたら、遠くに虹が見えることもあるかもしれませんね。

いつか、もしかしたら、夜空から降るような星を見れる日も来るかもしれません(そのためには晴天になる必要があるのじゃないか?)。

ひょっとしたらオーロラも……。

……や(; ̄▽ ̄)見たいですね……リアでも、いつか生きてるうちに。←欲も変動?


   しょぎょうむじょう


肩の力を抜いたり入れたりで、更新していけたらと思います。

また(^^)/


星のしずく*管理人


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