亀が政事を変えた?
元号はある特定の期間の年数の上に付ける名称(号)を言います。中国前漢の武帝時代、建元(けんげん)元年(紀元前140年)に始められたものと言います(《亀》矢野憲一より)。さて、元号は祥瑞や慶事、吉事を契機にして改元されることもあり、中でも亀が関わり元号を改めたという嘘のような本当の話が日本にもあります。亀が関わっただけに元号にも亀の字が付き、霊亀、神亀、宝亀、文亀、元亀などがそれです。基本的に珍しい亀が出現したり献上されれば、無条件に祥瑞として認められた感は否めません。尤も、亀は良いことがあるようにと願う当時の為政者の気持ちを反映し、元号に採択されたのだろうと考えられます。亀の祥瑞に関する記述は以下のようなものがあります。
●元明天皇霊亀元年(715年):左目が白、右目が赤、七星を背負う霊亀が献上。
この(めでたい験のある)霊亀の貢物を受けたことが改元の契機となっています。
●元正天皇養老七年(723年):両目が赤い白亀が献上。また同時期、白亀が出現。
●聖武天皇神亀三年(726年):大倭国から白亀が献上。
●聖武天皇神亀六年(729年):背に「天王貴平和百年」の文字のある亀が献上。
など、基本的にアルビノ系と思われる赤眼の白亀が献上されることが多かったようです。
献上されれば、された方の為政者はこれぞ「天のしるし」「天地からの賜りもの」「国家の大瑞」などと表現し、正に自らを鼓舞し、天命を受けた為政者としての証としてプライド(誇り)を掻き立て、験を担いだという訳なのでしょう。日本の古典にも、数多くの亀の記述が出てきます。霊亀や瑞亀として信じられた亀には、黒亀、黄亀、赤亀、金色亀、毛亀、緑毛亀、両頭の亀、三頭の亀、三足の亀、六足の亀、物言う亀?などがあり、さらに、中国では五色の亀や六眼の亀など、ここまでくるとオドロオドロしい感じになってきます。
長い歴史の中ではメラニン色素欠乏症のアルビノ系や奇形も出現することは、今の科学を照らしても自明でありますが、当時、亀の祥瑞信仰は加熱しており、飛鳥時代と奈良時代にこうした亀に関する記述が集中しているようです。そして、亀の験担ぎのピークと言えば、明日香村の亀形石造物や亀石が全国各地で作られた頃です。しかし、この亀ブームも、本家本元の中国で廃頽的享楽をイメージするということや、亀と鬼(死者の亡霊)が同音である等の理由から疎まれ始め、日本でも平安時代になると、いくら白亀が珍しい存在とは言え、科学的な知識も次第に発達し始めたことから、奇亀の出現如きで元号を変えることも次第に無くなって行ったようです。