Ride in Setouchi & San-in Day 88 (11/6/19) Gochaku Castle Ruins 御着城跡
Gochaku Castle Ruins 御着城跡
播磨別所構居跡
播磨国分寺
Hiromine Shrine 広峯神社
Gochaku Castle Ruins 御着城跡
広峯神社の後この御着城を訪問。赤松氏の一族で西播磨最大の領主の小寺政隆が築き、本城とした。岡山で、黒田家の墓所を訪れたが、黒田家と言っても、官兵衛の曽祖父までで、官兵衛の祖父の重隆は姫路に移り、小寺氏の重臣となった。官兵衛の父の職隆も小寺政隆に使え、官兵衛は政職の近習として仕え、家督を継いだ後は、重臣となる。官兵衛も毎日ここに登城していたのか。城跡は本丸と二の丸が案内板には書かれてが、遺構は殆ど残っておらず、二の丸の土塁跡のみ。平城なので、市街地になっているので、仕方ない。この時代に平城は珍しい。小寺氏は余程、自信があったのか、たまたまなのか。本丸跡には、城をイメージした姫路市東出張所が建っており、官兵衛の顕彰碑もある。御着もこの官兵衛で町おこしをしようとしていたのだろう。今は訪れる人もまばら。ただ、御着の人の御着城に対する愛着は感じる。やはり、日本人にとって城は、今でも特別なものがあるのだろう。150年前までは、人の生活や経済は城地理的に各城を中心になされてきていたのだから。
小寺氏の神社。地蔵は羽柴秀吉が御着城を攻めた時に討ち死にした兵士の供養のため地元の民が作ったものと考えられている。
二の丸は運動場になっており、その周囲に土塁跡が残っている。
羽柴秀吉は、この御着城は黒田官兵衛の主君の小寺政職の居城である事より、攻める事を躊躇していたが、御着城が三木城への兵站補給基地になった事で攻略を決意したという。天正7年12月に秀吉は1万の軍勢で攻め寄せ、御着城の南の火山に陣を敷いた。対する小寺勢は2千で多勢に無勢、防ぎようもなく落城、政職は英賀城に逃れた。(小寺氏は後に黒田家の客分になる。)
秀吉軍が陣を敷いた火山
黒田家廟所
御着城跡公園にある木造廟屋。中の2基の五輪塔は、左が官兵衛の祖父・重隆、右が母明石氏(職隆夫人)の墓標。ここは少し変な気がする。なぜこの二人なのかだ。息子の嫁と並んでいる。普通は自分の妻の墓なのが普通だし、重隆の奥方はここ妻鹿の出身だった。彼女の墓はどこ?
播磨別所構居跡
この地は別所という地区。三木城別所氏家臣大塩半左衛門尉が城主という。三木城の別所氏から出張所のようなものだ。遺構は残っていない。秀吉の御着城攻めの時、小寺氏に味方し一緒に滅ぼされた。三木城は姫路の後、訪問する予定だが、別所氏も一族で毛利派と秀吉派に分かれていた。自分の先祖は毛利派の別所長治にあたると言われている。母の父親が14代当主で三木長政。今は従兄弟が16代。詳しい話は三木城訪問時に書く事にする。
播磨国分寺跡
ここの国分寺跡は発掘もされて、現在は公園として整備されている。跡地の一画にはその後には建てられた西国33寺の国分寺がある。この地は当時からこの地域の中心地だった。
Hiromine Shrine 広峯神社
この山道は当時から民がお参りに通った道で、三分の二程登った所に、牛岩と呼ばれる大きな岩が道の真ん中にある。これより上は神聖な橋で、牛馬の通行はここまでという印。道の傍には加工途中で放棄されたのだろう大きな岩が数々ある。神社や山道に使ったのだろう。
白い鳥居。この色の鳥居を見たのは初めて。由来が知りたい。何故、白なのか?この鳥居を通過して、すぐに神社に到着。
広峰神社も周りには数々の祠がある。
御師(おし)達の居住跡。城の曲輪跡の様に、山の斜面が段々になって、それぞれが石垣と土塀で囲まれている。御師とは下級神官の事で、東は若狭から西は秋までお札を配って廻った。当時は50軒程あったと言う。今は2軒にまだ人が住んでいるが、残りは廃墟になっている。目薬の行商人を兼ねてもらっていたほどだから、御師と黒田家との繋がりはかなり深かっただろうし、御師から各地の情報を集めてもいただろう。
境内の案内板では、官兵衛が子供の頃はここに遊びに来ただろうと書かれていた。まさか子供がこんな急な山道を登ってこないだろうと思っていると、麓にある広峰幼稚園の園児達が登ってきた。しかも登ってきた直後にもかかわらず境内で遊んでいた。みんな元気で大きな声で挨拶をしてくれる。子供のエネルギーは凄い。楽しい事には疲れないのだ。自分もそうだった、山があると登りたくなる。そんな事を思い出した。
ここに官兵衛物語がパネルで紹介されていた。官兵衛の生涯が簡単にわかるのでここに掲載しておく。官兵衛人気はまだ続いているのか、ここに官兵衛神社を建設中。参拝客、観光客が増えればいいのだが、先日あった地元に人は、大河ドラマが終わると暫くすると、観光客はばったり途絶えるといっていたが.....