人類の向かうべき方向
宇宙に人類が誕生することを予めわかろうがわかるまいが、現在、ここに既に人類が存在するのであるから、それを議論するよりも、人類がこれからどこへ向かって歩むべきか?ということを議論する方が建設的かもしれません。
確かに、漫然と何もせず生きることも生きることの理由にはなりますが、それを以て人類の目的とする訳にはいきません。人類には通常の生き物とは異なり、高度な思考と意志が備わっており、それをどう生かして寿命を全うするか?を考えるべきでしょう。
佐治晴夫氏は《宇宙はささやく》の中で「自分を見るための“目”として人間を創ったのかもしれません」と述べています。宇宙が自分を見るためには、自分と同じ目を自分の中に持たないと見ることができないという発想は面白いです。けれども、そうであれば、既に地球の人類は既に目的を達しているのでしょう。人類の目は精巧にできていますが、宇宙を見るには限界があります。夜空で見える範囲が宇宙であるという認識にしかなりません。しかし、宇宙は人類が計り知れぬ程、無限に広いのです。そして、万能な宇宙であれば、他の星にも多くの人類を配置すべきでしょう。一方で、桜井邦朋氏は《命は宇宙意志から生まれた》で「宇宙が・・・意志を持ってすべてに無駄が無い整合性がとれた形の宇宙をつくり出した・・・。だからこそ、私たちにはその宇宙の意志に応える義務と責任があるということを自覚せねばなりません」と述べています。そして「人類は、宇宙の意志の期待に応えるべく、地球環境を壊さないよう知性を使うべきである」と言います。私は桜井氏の意見に賛成ですが、この考え自体は人類の目的ではありません。
拙者は「地球上の生き物が調和しながら生命を維持できる策を見つけること」が本来人類の目的であると考えます。生命進化は、宇宙のプログラムの中で常に実行されていますが、それはイコール宇宙の生命でもあります。宇宙が進化するためには人類進化も不可欠です。人類があらゆる生き物の生命を永く維持し、共存できるシステムを開発することこそ、人類に思考と意志が与えられている理由と考えるのです。人類は宇宙の中の一つの細胞のような存在です。人類が他の細胞に悪影響を及ぼすようでは宇宙全体の生命も危機に瀕してしまいます。逆に人類が他の細胞にとって良い影響をもたらすならば、宇宙は永続的に生きることの方法を人類の貯えた知恵から採用できるでしょう。宇宙の中での人類の存在は小さくも、同時に宇宙を構成する一細胞であるからこそ、重要な存在なのです。その進むべき方向如何により良性にも悪性にもなります。だから人類は学習する能力と問題を解決する能力が必要なのです。学習により、ちょっとずつ進化していくべきです。人類の生命が、宇宙に比べて遙かに短いのはそれが理由です。これは生命進化のプロセスに必要な反復学習による遺伝子更新です。ある意味、地球の営みは人体の臓器と同じで、臓器がどの様に機能と細胞秩序を維持すべきか?を一つ一つの細胞ごとにシミュレートを繰り返し、その問題の解を見つけ、合理的に更新し進化するのです。だから、人類は生かされているのです。
従前より提唱している拙者個人的な考え方ですが、人類がたった一人であっても、未来の生命に対して良い影響を及ぼす解を見つけた時、その一人には必ず宇宙からスポットライトが当てられると考えるのです。人類は常に宇宙の生命についてシミュレート機能を負わされています。人類は英知を蓄積しながら、生命DNAを受け継ぎながら代謝を繰り返し、進化しています。それは取りも直さず、宇宙が生き残るための解を見つけるためです。その時代、最高の解が導かれた時、その人は聖人となり、その人の考え方も未来に残る歴史的な発見・発明となるのです。それは最終的に宇宙に採用され、生命の問題をまた一つクリアすることに繋がるのです。この宇宙の生命科学のシミュレーションこそが、人類進化の進むべき方向なのです。