韓国は平凡な人を大切にしてきた社会なのか?①
韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領はこの5月7日、ドイツの日刊紙「フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング」(F.A.Z)に「平凡さの偉大さ 新たな世界秩序を考えて」と題する文章を寄稿した。原稿用紙80枚に及ぶ大作だそうだが、ドイツの新聞は、これだけの字数でも一挙に掲載できる余裕があるということなのか?それにしても、これを最後まで読み通す人がドイツにいるとしたら、それはどういう人なのかにも興味がある。
それはともかく、文在寅氏の寄稿文は彼の政治的な信念や寄って立つ基盤がよく分かる興味深い文書でもある。全文は以下ので聯合ニュース記事で、見ることができる。
文大統領はこの文章のなかで以下のように述べている。
(以下、引用)<「韓国ではちょうど100年前、平凡な人々が力を合わせて新たな時代を開きました。日帝(日本)による植民地支配を受けていた人々が、1919年3月1日から独立万歳運動を始めました。202万人、当時の人口の10%が参加した大規模な抗争でした。木こり、妓生、視覚障害者、鉱員、作男、名前も知られていない平凡な人々が先頭に立ちました。
韓国で三・一独立運動が重要である理由は二つです。一つはこの運動を通じて市民意識が芽生えたことです。一人一人に国民主権と自由と平等、平和に向けた熱望が生まれ、これによって階層、地域、性別、宗教の壁を超えました。」>(引用、終わり)
3.1独立運動によって「市民意識が芽生え」、これによって「階層、地域、性別、宗教の壁を越えた」と言っているが、本当だろうか?日本が統治するまで、人口の30%は奴隷状態に置かれ、姓もなく、教育を受ける権利も文字を習うことも禁止されてきた。そんな古代身分制度をそのまま引きずってきたような国が、わずか1、2か月ほどの3.1独立運動で、全国津々浦々の老若男女すべてが市民意識に芽生え、「近代的な市民・国民」とは何かを理解したとは信じられない。そもそも、従来の身分制度を撤廃し、全国に学校をつくり、ハングルの教科書をつくって文字を教えるようにしたのは、日本の植民地政策だった。当時の身分制度については、のちに詳しく論じることにしたい。
半島の人々が100年前に本当に近代的な市民意識や人権感覚に目覚めたというのなら、たとえば「慰安婦の強制連行」や「徴用工の強制動員」が実際にあったとして、なぜ、そのとき近代市民として、人権の不当な侵害に抗議し、正当な市民の権利の回復を求めなかったのか?
いや植民地統治時代より、はるかに多くの一般市民が犠牲になったのが、朝鮮戦争であり、諸説あるなかで、南北の一般市民を含めて300万人から500万人が犠牲になったと言われる。内戦の過程で起きたのが、「堅壁清野作戦」によるいわゆる「良民虐殺事件」だった。「堅壁清野作戦」とは「確保すべき戦略拠点は壁を築くように堅固に確保し、やむを得ず放棄する地域は人員と物資を清掃し、敵が留まることができないよう野原にする」作戦だという。それこそ、平凡な一般市民を邪魔モノ扱いで、ゴミを片付けるごとく「清掃」したのである。数々の「良民虐殺事件」や、一説には114万人の犠牲者がでたと言われる「保導連盟事件事件」については、本ブログ記事「この百年であなたたちは何を学んだのか③」に詳しく書いたことがあるので参考にしてほしい。
https://fujinotakane.amebaownd.com/posts/5901643
犠牲は一国一民族に留まらなかった。朝鮮戦争は、38度線で互いに留まればいいものを、南北の民族統一という政治的野心を抱いた当時の指導者、李承晩の命令で、38度線を越えて侵攻することになり、本来なら犠牲にならなくても済んだ各国の若い兵士たちに多大な犠牲者を出した。「抗美援朝義勇軍」という名の中国軍には100万人が参加し15万人の戦死者、34万人の負傷者を出した。米軍を中心にした国連軍には36万人の死傷者を出し、うち米軍の死者は4万人に及んだ。このどこが、名もない平凡な人たちを守る国だったのか?(参考「戦争による国別犠牲者数」)
https://www.hns.gr.jp/sacred_place/material/reference/03.pdf
文大統領の文章の続きは、以下のようになっている。
(以下、引用)<「一人一人が王政の百姓から国民に生まれ変わりました。そして大韓民国臨時政府を樹立しました。1919年4月11日、国号を大韓民国と定めて『臨時憲章』を公布し、大韓民国は君主制ではなく民主共和国であることを明確にしました。臨時憲章第3条では『大韓民国の人民は男女、貴賤、貧富、階級を問わず平等だ』と明示しました。女性を含む全ての国民の選挙権と被選挙権も保障しました。」
「臨時政府は27年近く、亡命地で植民地解放運動を展開しました。世界の植民地解放運動史において極めて珍しいケースです。臨時政府があったからこそ、列強の国々はカイロ宣言を通じて韓国の独立を保障することになるのです。」>(引用、終わり)
「亡命地での植民地解放運動」とは具体的に何を指すのだろうか?せいぜい、日本の要人を狙ったテロ指令を出して、手榴弾を投げたり爆弾を仕掛けたりする「義士」というの名の数人のテロリストを生み出したに過ぎないのではないか。
そもそも「大韓民国臨時政府」を、当時、世界のどれだけの人が知っていたのだろうか。いや、当時の朝鮮半島の人々もどれくらいの人がその存在を知り、支持をしていたのだろうか?上海で設立され、国民党の撤退とともに中国各地を転々とし、臨時政府の所在地は上海から重慶まで7カ所も変わった。臨時政府の代表である大統領もころころと変わり、戦後まで27年間にのべ17人に及んでいる。しかし、どこでどう決まったのか、外部からは全く分からない。民主共和制を標榜しながら、選挙をしたことなど一度もなかったからだ。
「臨時政府があったからカイロ宣言で韓国の独立を保障させることなった」と言っているが、臨時政府の要人が蒋介石に会い、カイロ会議で韓国の完全独立が認められるよう合意するよう要請したことを指すのだろうが、実際のカイロ宣言では「(米英中の)三大国ハ朝鮮ノ人民ノ奴隷状態ニ留意シ軈(やが)テ朝鮮ヲ自由且独立ノモノタラシムルノ決意ヲ有ス / The Three Great Powers, mindful of the enslavement of the people of Korea, are determined that in due course Korea shall become free and independent.」と記されているが、韓国の独立は「軈て / in due cource=適当な時期」という但し書きがついた。終戦後の即時完全独立を主張していた金九らの願いとは遠いものだった。実際に、戦後の南北分断の過酷な歴史を考えると、民族の完全独立まで「適当な時期」がかくも長く続くことなど、予想もできなかったに違いない。
文大統領が「平凡な人」の偉大な貢献を強調するのには、彼なりの理由がある。彼を政権につかせた「ろうそく革命」は、「3.1独立運動」の精神を引き継ぎ、まさに平凡な人々が起こした偉大な革命だというのが、彼の政治的基盤だからだ。ドイツの新聞への寄稿文では次のように言っている。
(以下、引用)<「韓国の近現代史は挑戦の歴史でした。植民地と南北分断、戦争と貧困を超え、民主主義と経済発展を目指して前進してきました。その歴史の波をつくったのは、平凡な人々でした。三・一独立運動後の100年間、韓国人は誰もがそれぞれの胸に泉(力の源泉)を抱いて生きてきました。危機のたびに一緒になって行動しました。『豊かに暮らしたいが、一人だけ豊かに暮らしたくはない』『自由になりたいが、一人だけ自由になりたくはない』という気持ちが集まり、歴史の力強い波となりました。」>(引用、終わり)
同じ同胞である北朝鮮の人々の貧困と飢餓、人民の自由を剥奪した独裁専制体制を置き去りにしておいて、よくこんなことが言えたものだと思う。「豊かに、自由になりたいが一人だけではだめ」という気持ちがほんとにあったのなら、分断がこれほどまでに長引き、韓国の民主化の実現が1990年代まで遅くなることはなかっただろう。
3・1独立運動と臨時政府の「臨時憲章」で、国民主権と自由、平等、市民意識が確立したというのなら、それが実践されなければならない。100年前にすべての人が心に抱いていた理念、理想が、「日帝」の植民地支配のせいで実現せず、戦後も南北分断や軍事独裁体制のせいで実現できず、100年後のろうそく革命でようやく実現できたとして、その間、その理念や理想は、誰がどのように継承し、その理念・理想の実現のため、その間に生きて死んでいった人々はいったい何をしていたというのか。100年といえば3世代以上の開きがある。その世代の間に実現できない理想などというのは単なる夢まぼろしに過ぎなかったのではないか。
美辞麗句を連ねた空虚な修辞は、以下のように続く。
(以下、引用)<「ろうそく革命は親と子が一緒に、母親とベビーカーの幼児が一緒に、生徒と先生が一緒に、労働者と企業家が一緒に広場の冷たい地面を温めながら、数か月にわたり全国で続きました。ただの一度も暴力を振るうことなく、韓国の国民は2017年3月、憲法的価値に背いた権力を権力の座から引きずり下ろしました。最も平凡な人々が、一番平和的な方法で民主主義を守ったのです。1980年の光州が、2017年のろうそく革命で復活したのです。」
「今の韓国政府はろうそく革命の願いによって誕生した政府です。私は『正義のある国、公正な国』を願う国民の気持ちを片時も忘れていません。平凡な人々が公正に、良い職場で働き、正義のある国の責任と保護の下で自分の夢を広げられる国が、ろうそく革命の望む国だと信じています。」
「平凡な人々の日常が幸せであるとき、国の持続可能な発展も可能になります。包容国家とは、互いが互いの力になりながら国民一人一人と国全体が一緒に成長し、その成果を等しく享受する国です。」>(引用、終わり)
文政権の「所得主導経済政策」によって最低賃金が30%も値上げされたことによって、零細企業は人件費の高騰をカバーできず、アルバイトなど非正規雇用を解雇するか、廃業するしかなくなり、そうした政策のもとで若年労働者の失業率は10%台に達しているとも言われる。文政権の経済・雇用政策は失敗しているのは明らかなのに、良くもこんな根拠のない「夢物語」を海外のメディアに発表できるものだと、その神経の図太さにむしろ圧倒される。
文在寅氏が記した文章のとおり、「平凡な人々が公正に、良い職場で働き、正義のある国の責任と保護の下で自分の夢を広げられる国」、「互いが互いの力になりながら国民一人一人と国全体が一緒に成長し、その成果を等しく享受する国」が、文政権のもとで実現できたのか、はなはだ疑わしい。
ところで、ドイツの新聞にこれだけの理想論をぶち上げた一か月後、6月6日の「顕忠日」、つまり国を守るため犠牲になった人々を追悼する日の国立墓地での演説で文大統領は「既得権や私益を考えるのではなく、国家共同体の運命を自身の運命と考える気持ちが愛国であり、愛国の前に保守と進歩(革新)の区別はない」とし、「私は保守だろうが進歩だろうが、あらゆる愛国を尊敬する」と述べたという。要するに、ここでは自分を支持する革新派(進歩派)と保守派の間には、歴然とした分断、対立があることを自ら認めたのである。確かにソウル市内では、土日ともなると、太極旗と米国旗を掲げた保守派、つまり朴槿恵前政権を支持する人々の文在寅政権を批判する集会やデモが必ずどこかで行われている。こうした集会やデモのどこに「3.1独立運動」の精神が流れるというのだろうか。結局は、南北の分断状況ばかりではなく、南の韓国側にも保守と革新左派の間の深刻な意見の対立、埋められない認識の違いが浮き彫りになったということではないのか。(続く)