比喩(直喩・暗喩・擬人法) シンボル
大宝八幡宮
境内の清掃中に、四葉のクローバーを見つけました!
ちょっと分かりにくい所にあるけれど、より多くの人に幸せをお届けするため、
手折らずにそのまま残してあります!見つけたらラッキー
http://0209ko.sakura.ne.jp/haiku/hiyu1.htm より
俳句の比喩
比喩には直喩法と暗喩法がある。直喩法は「ごとく・ごとし・ようだ」というように物を何かに例えて、「~のようだ」と記述する方法である。俳句では「ごとく」と表現する場合が多い。直喩の代表的句は次の二つである。
一枚の餅のごとくに雪残る 川端茅舎
ところてん煙の如く沈み居り 日野草城
暗喩法とは、「何々は何々である」という風に直接対象を他に表現することである。二つの句を暗喩法で作り替えてみよう。
一枚のお餅なりけり雪残る 改
ところてん煙となりて沈み居り 改
どちらを使用するかは俳人の好みであるが、直喩は「如く・如し」という言葉を付けなければならないので、俳句のような短い詩形ではやや使いづらいという気もする。しかし好みの問題である。
比喩は詩にとってもっとも重要な要素であるが、俳句に比喩を全く入れない方もいる。俳句に比喩は似合わないという理由からである。俳句と詩とは異なるという考えに立脚しているのであろう。写生派はあまり使用しないようである。
さて、直喩法は分かりやすいのであるが、暗喩法は少しわかりにくい面がある。暗喩だからである。暗に示していることがあるからである。一見気がつかないのである。
母の日や大きな星がやや下位に 中村草田男
この句は暗喩法の句であり、大きな星は母のことであり、母親の昔の家族における位置をも示しているのである。母親の比喩とその位置の比喩とを二段がけした実によくできた句である。暗喩法は二段がけができるのであり、ここが直喩法よりも高級な点なのある。草田男は正真正銘の詩人であり、俳壇史に歴然として輝く俳人である。前衛派といってもよいくらいである。
前衛派は暗喩を巧みに使用して詩歌を造形するのである。詠むという言葉は彼らには相応しくないのである。前衛派は基本的に詩人なのである。敢えて俳句を選択する必要もないのである。しかし、偶然か必然かは分からないけれど俳句を選択したのである。よって俳句が巾の広いものとなったのである。俳句から暗喩が消えたら実につまらないものとなったであろう。一流といわれる俳人は全て詩人である。これは真実なのである。
http://kurohime.japan-mind.net/kurohime_lesson.html#lesson_102 【比喩(直喩・暗喩・擬人法)】より
一、はじめに
比喩は韻文学(詩・短歌・俳句)の表現方法としては、しばしば用いられる手法で、叙述したり、写生をすのではなく、短い字句(物、仕草等)で暗示をし、己の思想、感情を表現しようとする方法である。擬人化、象徴化する場合はこの方法が手っ取り早い手段である。反面、安易な比喩、巧緻な比喩、誇張のある比喩等による鼻持ちなら無い作品により、作者の表現力の貧しさが見透かされるので、くれぐれも注意しなければならないと思っている。秋元不死男の言葉によると比喩するものと、比喩されるものが適切無碍で、しかも飛躍しながら高い所で吻合しなければ、比喩は何等イメージをつくることなく、単に羅列の世界、説明以下の形容で終ってしまう。とあり、比喩の本質をついているので、参考にしたい。(北童)
二、比喩の具体的表現
比喩には、直喩と暗喩がある。
直 喩
性質の違った二物を直接的に結び、二者間の共通点や類似点を求める。
具体的には「如く」 「のような」・・・と表現する。
一枚の餅のごとくに雪残る 茅 舎
咳き込めば我火の玉のごとくなり 々
良寛の手鞠の如く鶲来し 々
朝顔やおもひを遂げしごとしぼむ 草 城
水仙や古鏡の如く花をかかぐ たかし
葡萄食ふ一語一語のごとくにて 草田男
直喩の使い方の注意・・(秋元不死男の俳句入門より)
巧みな直喩は、異質な離れ離れのものが、対比から同質へ移り、互いに響きあいイメージをつくるのである。だから、ものの深い意味や感じを探ることなくしては、高度の比喩は生れない。既に言い古された比喩、先人の発見した直喩を借用するのは極力避けるべきだ。直喩は暗喩と違って比喩がはっきりしている。だから、拙劣で思わせぶりも注意しなければならない。
暗 喩
二者間の類似点や共通点がどこにあるかは分かり憎く、きわめて、主観的に、暗暗裡に喩えられてるので、比喩の範囲は広く、すこぶる不明瞭になる。読者の解釈が分かれ、作者の喩えたものの本質を見失う場合もあるので、暗喩の場合は読者の鑑賞力も大いに影響する。暗喩は句意の独自性がポイントになる。例句にあるような作者の鋭い洞察力による個性的な表現こそ、暗喩句の目指す点である。中途半端な暗喩句には、作者の一人よがりの思想、心理、寓意が込められしまい、読者には難解句になる。作者の謂わんとしている事が読者に理解できるかを想定した暗喩句作りも必要である。
次の例句で暗喩の内容を発見してみよう。
近海に鯛睦み居る涅槃像 永田 耕衣
壮行や深雪に犬のみ腰をおとし 中村草田男
蝶堕ちて大音響の結氷期 富澤赤黄男
真中に金鈴を振る虫一つ 高浜虚子
酌婦来る灯取虫より汚さが 〃
大空に羽根の白妙とどまれり 〃
ピストルがプールの硬き面にひびき 山口誓子
水枕ガバリと寒い海がある 西東三鬼
例示の比喩・・・「例え」「例示」も比喩の範疇に入る。
たましひのたとへば秋のほたるかな 飯田蛇笏
辛崎の松は花より朧にて 松尾芭蕉
金剛の露ひとつぶや石の上 川端茅舎
他界とは桜に透ける向う側 宇他喜代子
以上、比喩の使い方について述べてきたが、俳句に使う比喩は作者独自の表現がもとめられるので、安易に用いずに己の言葉になっているか、自らの思い(感動)に適合しているかをよく確かめる事が大切である。特に、直喩は類句・類想が沢山あるので、その確認が必要である。(実際に我々が句作の時、確認を取る事は難しいので各自の判断によるしかない。)類句、類想を恐れ、直喩の句を全く作らないことにも問題がある。「直喩の俳句の良さ」を知る上にも、直喩の表現を学ぶための句作の試みが必要と私は思っている。但し、己の感性の直喩が読者に共鳴してもらえるかどうかは、別問題と考える覚悟が必要であろう。又、暗喩の俳句は、第五章・取合せ(配合)で述べた、「全く無関係なものの取合せ」と似ているので、その区分を見極めなければならない。
次の句は暗喩とみるべきだろうか。配合の句とみるべきだろうかを考えていただきたい。
そして、暗喩とは何であるかをもう一度、考えてみよう。
十薬の蘂高くわが荒野なり 飯島 春子
北颪白き手が来て髯を剃る 赤尾 兜子
天渺渺笑ひたくなりし花野かな 渡辺 水巴
次に、参考までに比喩の短歌を掲げる。(俳句の比喩と比べてみよう。)
たとへば君ガサットと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか 河野裕子
おいとまをいただきますと戸をしめて出て行くやうにゆかぬなり生は 齋藤 史
青春はみづきの下をかよふ風あるいは遠い線路のかがやき 高野公彦
三、擬人法の具体的表現
擬人法は人間ではないものを、恰も人間の如く喩えて表現する方法で、俳句のみではなく、文学では度々表現される手法である。これも、比喩(暗喩)の一つとして考えなくてはならない。擬人法は古く俳諧の時代から使われていた。
憂きことを海月に語る海鼠かな 召波
戸をたたく狸と秋を惜しみけり 蕪村
擬人法は俳句古来の性質から現れるアニミズム的表現と西洋文芸から直接、間接のと影響と思われる理知的でレトリック的な表現に分かれる。(小野裕三氏・・・擬人法の名句鑑賞より)
(広辞苑参照)
アニミズム・・・呪術・宗教の原初的形態のひとつ。自然界のあらゆる事物は、具体的な形象を持つと同時に、それそれの固有の霊魂や精霊などの霊的存在を有すると見做し、諸現象はその意志や働きによるものと見なす信仰。レトリック・・・修辞法、修辞学のことで、修辞とは、言葉を適切に用いて、修飾的な語句を巧みに用いて表現することで、言葉を飾り立て、巧言を言うことでもある。そこから発して「修辞学」が生まれた。修辞学とは、人を説得する時、相手に感動を与える様に最も有効な方法を研究する学問で、アリストテレスの修辞学(弁論術)に始まると謂う。
アニミズム的擬人法
枯菊も留守守るものの一つかな 高浜虚子
海に出て木枯帰るところなし 山口誓子
冬菊のまとふはおのがひかりのみ 水原秋櫻子
レトリック的擬人法
夏の海水兵ひとり紛失す 渡辺白泉
故郷やどちらを見ても山笑ふ 正岡子規
砂浜が次郎次郎と呼ばれけり 阿部完市
いずれの擬人法にも特徴があるが、前者のアニミズム的擬人法では、誇張や独りよがりの表現を注意することが大切であり、後者のレトリック的擬人法は、作者の意図が読者に読み取れない飛躍した表現があったりするので、充分に推敲が必要となる。「参考・・折口信夫の類化性能・・・」・・中澤新一著・折口信夫より。
擬人法を考える時に役立つ思考方法である。今的言い方をすればアナロジーのことであり、詩のことば等が活用する比喩の能力がそれに当る。ひとつの物事を別のものと重ね合わせることにより、意味を発生させるやり方である。音・形・意味・イメージの間にある「類似・どこか似ている」という感覚をもとにして、普通なら離れた所に分離されてある様なものごと同士が一つに結び合わされ一つのイメージを作り出す。この類化性能により、世界を捉える能力を発達させたのが古代人である。古代人には「神・霊・精霊」が重要であり、「あの世」と「この世」つなぐ精霊が生まれたりする。
http://karapaia.com/archives/52260701.html より
【古代エジプトで使用されていた10の象徴的文字や記号とその意味】
1. アンク
image credit:Wikimedia Commons .
「アンク」はヒエラティック、デモティックと並んで古代エジプトで使われた3種のエジプト文字のひとつ、ヒエログリフの中で、最も知られているものだ。
「生命」あるいは「生きること」を意味する。また、アンクの力を信じる者は一度だけ生き返ることができると信じられていた。
エジプトの神々の多くがアンクを手に持っている事が多く、必ずといっていいほど壁画やファラオと共に描かれている。
2. ウラエウス(蛇形記章)
image credit:Wikimedia Commons
コブラの形をした蛇の形をした記章はウラエウスと呼ばれる。エジプトに棲息するアスプコブラが鎌首を持ち上げた様子を様式化したもので、古代エジプトの主権、王権、神性の象徴とされていた。
蛇形記章は女神ウアジェトの象徴である。ウアジェトはエジプト神話の中でも最古の神の1つで、コブラとして描かれることが多い。エジプト第18王朝のツタンカーメン王の仮面にはこのウラエウスが象られている。
3. ホルスの目
image credit:Wikimedia Commons
古代エジプトのシンボルとして有名な「ホルスの目」。この記号が入ったエンブレムには保護、王権、健康の力があると言われている。
古代エジプトでは非常に古くから、太陽と月は、ハヤブサの姿、あるいは頭部を持つ天空神ホルスの目だと考えられてきた。
天空神ホルスの二つの目はやがて区別され、左目は「女神ウアジェトの目」として月の象徴に、右目は「ラーの目」は太陽の象徴とされた。
4. ロータス(蓮の花)
古代エジプトで生命、創造、再生の意味を持つ記号の一つが「蓮の花(ロータス)」である。蓮の花はエジプト初期王朝時代に登場した記号だが、その後の王朝でも使用されていたようだ。
5. スカラベ
ブルックリン美術館に存在する紀元前712年から342年に作られた「羽を広げたスカラベ」
image credit:Wikimedia Commons
古代エジプトでは、塊を転がして大きな球体を作る糞虫、スカラベの習性を神秘的なものと考えていた。
球体の糞は太陽に見立てられ、それを転がすスカラベの姿は、太陽の運行を象徴する神である太陽神ケプリと同一視されていたのだ。
この為、スカラベは、太陽は再生や復活の象徴となり、聖なる甲虫として崇拝された。
6. ジェドの柱
ジェドの柱を建てる絵画。アビドスにある「オシリスの間」にある西の壁に描かれている。
image credit:Wikimedia Commons</span>
ジェドの柱は古代エジプトの中で聖なる記号として描かれてきた。この柱は「安定」を意味しており、プタハ神とオシリス神に強く関連付けられてきたとされている。
オシリス神と共に描かれる時はジェドの柱の横縞には目が描かれ、杖とからざおを持っている事が多い。ちなみにジェドの柱はエジプト最古の記号の一つであり、その為オシリス神や信仰と強く結びつけられてきたそうだ。
また「ジェドの柱」はエジプトの安定を保つために、地球の四隅に建てられ、地球全体を守っているとされてきたという。
7. ウアス
ウアスと呼ばれる長い杖を持つ「ラー・ホルアクティ」を崇拝する男性を描いた石碑
image credit:Wikimedia Commons
ウアスと呼ばれる長い杖は、アンクと共に描かれることが多く、その上端に形式化された動物の頭がつき、石突が二又に分かれた長い杖として表される。
ウアスは力や支配の象徴とされており、幾つかの神々の手に持って描かれている事が多く、特にアヌビス神やセト神、ファラオと関連付けられている。
後にウアスは、セト神が象徴する混沌の力を制御するシンボルとしても用いられた。
葬儀においてはウアスは死者に幸福をもたらすとされ、副葬品とされたり墓や棺の装飾に使われたりした。
8. チェト(イシス神の結び目)
image credit:egyptianmarketplace
チェトはエジプト神話の女神、イシスと強い関連を持っていると言われている。
アンクにも似たこの記号は両側の腕の様な部分が下を向いており、富や生命を意味している。
初期王朝時代、チェトを形どった護符が死者と共に埋葬されていたという。
死者の書の156章によると、死者のミイラには赤碧玉の入ったチェトが共に埋葬されるべきだとされている。死者の書によれば、赤碧玉の入ったチェトは死者のミイラにイシス神の加護を与え、墓荒らしをする者を遠ざける魔力があるとされていた。
9. ベンベン
この記号はエジプト記号においてアンクの次に有名であるが、多くの人が「正式名称が分からない」と言われる記号である。
ベンベンと呼ばれる丘はアテム神が世界を創造した時、彼が立っていた丘であるとされている。
また、ベンベンを模した四角錐の石造記念物を「ベンベン石」と呼ぶ。ベンベン石の表面は鍍金されており、太陽の光に照らされると、あたかもそれ自身が光を発するかのように輝いたという。
そして何よりもベンベン石はピラミッドやオベリスクの原型とも言われている。
10. クルックとフレイル(杖とからざお)
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「杖とからざお」は王権を象徴する記号である。他の記号と同様、杖とからざおはオシリス神と強く関連しており、オシリス神が地球を統治していた初期の時代を象徴している。
エジプト王は「杖とからざお」という記号を重要な儀式などで用いている。その中でもおそらく一番有名なのがツタンカーメン王の棺桶に象られた「杖とからざお」であろう。