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ZIPANG-3 TOKIO 2020「愛媛県内子町 ・大分県大分市の歴史的風致維持向上計画を認定(愛媛県内子町編)」

2019.06.11 11:05

はじめに 記事をお届けするに当たり、先の北海道における地震災害、関西地方ならびに中国四国・九州地方における大雨・地震災害で未だ行方不明、並びに亡くなられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、被災された全ての方々に心よりお見舞い申し上げます。


内子町 深山橋。深山渓谷の景色に見とれていると・・・確りと足元を見て渡ること

石畳の宿 内子町の山・川・畑・水田で採れるここでしか味わえない地元料理でおもてなし

えぇっ⁉〜木曽のな〜中乗りさんは〜♫…といつの間にか口ずさむ目を疑うような光景が…内子町川登筏流しの川まつりでも法被を着た中乗りさんによる筏流しが行われる



歴史的風致維持向上計画認定証の交付

「地域における歴史的風致の維持及び向上に関する法律(通称:歴史まちづくり法)」第5条に基づき,愛媛県内子町,大分県大分市の歴史的風致維持向上計画について,6月12日付けで主務大臣(文部科学大臣,農林水産大臣,国土交通大臣)が認定します。当日は,田中国土交通大臣政務官が,主務大臣連名の認定証を市町長に対して直接交付します。

愛媛県内子町は八日市護国(ようかいちごこく)伝統的建造物群保存地区の町並み

八日市護国の町並み

八日市護国の町並 観月会


本計画は,歴史上重要な建造物及び周辺の市街地と人々の営みが一体となった「歴史的風致」の維持向上を図るためのもので,愛媛県内子町は八日市護国(ようかいちごこく)伝統的建造物群保存地区保存修理事業等を,大分県大分市は重要文化財 柞原(ゆすはら)八幡宮本殿他4棟保存修理事業等を位置付けています。


歴史的風致維持向上計画とは

「地域における歴史的風致の維持及び向上に関する法律(通称:歴史まちづくり法)」は、地域の歴史的な風情、情緒を活かしたまちづくりを支援すべく平成20年5月に公布され、同年11月に施行されました。

「地域における歴史的風致の維持及び向上に関する法律(歴史まちづくり法)」に基づき、国土交通省、農林水産省、文化庁の3 省庁が連携して推進しています。


この法律は、我が国固有の歴史的建造物や伝統的な人々の活動からなる歴史的風致について、市町村が作成した歴史的風致維持向上計画を国が認定することで、法律上の特例や各種事業により市町村の歴史まちづくりを支援するものであり、これまで金沢市、高山市等76市町の計画を認定しています。


このたび、愛媛県内子町・大分県大分市の歴史的風致維持向上計画を6月12日に認定し、認定都市数は78市町となります。


内子町の歴史的風致

「歴史的風致」とは、「地域の歴史や伝統を反映した活動や営みと、それらが行われる歴史上価値の高い建造物及びその周辺などが一体となって形成してきた良好な市街地の環境」をいい、計画書の中では、内子町の特徴的な歴史的風致を「維持向上すべき歴史的風致」として定め、位置づけています。 



町並み、村並み、山並みが美しい持続的に発展するまち  内子町


内子町 八日市・護国の町並み

内子町 村並み 新緑の棚田風景

内子町 山並みの手前にはそば畑(石畳地区)

内子の町中に小田川が流れているということは、その存在がどれ程町の経済的発展と人々の生活文化を支えてくれたであろうことか…ひいてはこの町づくりにおいて斯くも高い美意識を培ったかがよく分かります。


町の概要

内子町は、愛媛県のほぼ中央部に位置し、県都松山市から南南西約40Kmの地点にあたります。町の中央部を一級河川・肱川の支流である小田川が流れている風光明媚なまちです。

面積は299.43km2で(国土地理院)、その広がりは東西30.0km、南北17.9kmにもなります。

2005(平成17)年1月1日に、旧内子町、旧五十崎町、旧小田町の3町が合併して誕生しました。


内子町のキャッチフレーズ

キラリと光るエコロジータウン内子
住んでよし、訪ねてよし、美(うま)し内子


内子町は小田川をはじめとする豊かな自然の中で、町内各地の特色ある地域文化を大切にしながら、小規模であっても、生き生きと輝く町をめざしています。この姿勢と町の将来像を集約しこのキャッチフレーズを掲げています。


町章

「エコロジータウン内子」をイメージし、左側の水色部分は小田川を、右側の黄色部分は太陽、緑色部分は植物を表しています。また、全体で内子町のUchikoの「U」の文字を表しています。

高昌寺ねはん像 毎年高昌寺ねはん祭がおこなわれます。ご年配者も進んで参加

内子町 いかざき大凧合戦は男たちの祭りです。大人も子供も一緒になって楽しめますよ~
そういえば、浜松の浜松まつりで行う中田島砂丘の凧揚げ合戦も見事です

内子町 内子笹まつり(内子地区)は、女の人たちの楽しめる祭りです


内子町 歴史的風致維持向上計画(愛媛県内子町 認定申請日 H31.3.29)

重要伝統的建造物群保存地区「八日市護国伝統的建造物群保存地区」や、国指定重要文化財である「本芳我家住宅」「内子座」及びその周辺地域と、高昌寺ねはん祭の稚児行列や県指定の無形民俗文化財「いかざき大凧合戦」等にみる歴史的風致の維持向上を図るため、内子座や重要伝統的建造物群保存地区内にある歴史的建造物等の保存修理事業や、手漉き和紙など伝統産業の職人、学芸サポーター、まちあるきガイド等の人材育成に関する支援事業などを位置づけています。


オッと、忘れるところでした内子町 大洲和紙(天神産紙工場)です
美濃と石州、越前で和紙づくりを体験したことがありますが、凍てつく頃に楮(こうぞ)、ミツマタを手の切れるような川で洗って干して更に冷たい水で皮を剥ぐ大変な作業です。


内子町の維持向上すべき歴史的風致

内子町は、まちの中央を小田川が東西に流れ、江戸時代からその水運を活かした製紙業、製蠟業、林業等で栄えました。中心部では往時の隆盛を語る歴史的建造物や町並みとともに人々の営みやそれを支える技などが今に続きます。

また山間部においては、石積みの棚田、ため池や堰などによる農業、森林資源を生かした林業、寺社信仰や祭礼など、特色ある地域文化が点在し、現代まで継承され、良好で多様な歴史的風致を形成しています。

これらを内子町の維持向上すべき歴史風致の特徴ととらえています。


内子の町並み保存

昭和40年代は、高度経済成長の中で全国的に開発が進み、地方の画一化やスクラップアンドビルドの波の中で、歴史的な建物が急速に失われていく時代でした。また、地方においては過疎が大きな問題になり、地域の存続が危うい状況も生まれていました。


そのような中で、昭和47年、文化庁は全国の集落町並の調査を実施。その時にリストアップされたのが八日市・護国の町並みです。時を同じくして、住民の中からも町並み保存運動を提唱する声が上がり、教育委員会を中心に保存の方策について検討を始めました。

しかし、古い民家を保存するということは、個人の資産である住宅や土地に制限がかかるということにもつながります。住民の理解は簡単には進みませんでしたが、先進地視察や研修、勉強会を重ね、また多くのメディアに取り上げられ、徐々に保存の気運が高まっていきました。


昭和52年度には文化庁及び広島大学の鈴木充教授の指導・協力により本格的な調査が行われ、全国的にも良質の保存地区という評価を受けました。町は保存条例や補助制度を整備するなど保存対策を図り、住民も保存修理に着手するなど保存事業が進み、昭和57年、四国で初めて、重要伝統的建造物群保存地区に選定され、今日に至ります。


内子町の町並み保存の目的は、そこにあるものを生かすまちづくりにあります。都会を目指すのではなく、歴史・風土に培われてきた伝統や文化に価値を見出し、まちに誇りを持って人々が暮らすまちづくりです。この考え方を根底に、内子のまちづくりは進められています。


守られた内子座

内子町民の誇りナンバー1の内子座。大正5年、地元の旦那衆18名が発起人となり創建された木造芝居小屋です。

内子町民の誇り内子座の外観

内子座の内観 客席は昔ながらの桝席を保持。

開場以降、歌舞伎や文楽、活動写真など様々な興行が行われてきましたが、時代の流れとともに映画館に改造されたり、商工会の事務所になったりと変遷をたどりました。その後、老朽化に伴い解体するという案が浮上。駐車場をという声もありましたが、くしくも町並み保存運動が軌道に乗り始めた頃。「数少ない地方劇場の一つ。保存しては」という問題意識のもと、昭和57年に町に寄贈され、本格調査を実施。同年9月には町指定文化財となり、昭和58年から3カ年かけて修理・復原されました。


復原後は、内子座を拠点とする住民による興行グループや劇団が結成され、再び活気を取り戻しています。現在でもプロによる伝統芸能はもとより、住民の発表会などの場として愛されています。


他にも歴史的な建造物は「木蝋資料館上芳我邸」(重要文化財)や歴史民俗資料館、町家資料館などの伝統文化施設として生かされており、さらに住民の中では歴史的な建物を店舗や宿として活用する事例も増えています。


新築の公共事業においても保育園、学校、自治センターや町営住宅などを木造とするなど、内子町の景観形成において重要な役割を担っています。



編集後記

内子町民の誇り内子座に思う

こんなに立派な芝居小屋ではないけれど、岐阜県関市にも昭和20年代に芝居小屋がありました。昔はどこの村や町にもあったかもしれません。記憶では、丁度左右の二階席がなくて壁になっていました(二階席だったかも?記憶が曖昧です)。芝居のない時には時代劇映画が上映され皆、板妻・大河内伝次郎・嵐寛寿郎などに夢中になってみていました。

当時は、村や町の祭りになるとやって来る旅芝居の一座が祭の会場で、筵がけの即席の小屋で演じる芝居や、映画館擬きの芝居小屋の映画などが、子供や大人の楽しみな娯楽の一つでした。

そんな、時代の芝居小屋が立派に残され、現在も現役で活かされているなんて嬉しいですね


鎹八咫烏 記

伊勢「斎宮」の明和町観光大使



協力(順不同・敬称略)

文部科学省〒100-8959 東京都千代田区霞が関三丁目2番2号 電話:03-5253-4111(代表)

農林水産省〒100-8950 東京都千代田区霞が関1-2-1 電話:03-3502-8111(代表)

国土交通省〒100−8918 東京都千代田区霞が関2-1-3 (代表電話) 03-5253-8111

内子町役場 〒795-0392 愛媛県喜多郡内子町平岡甲168番地TEL:0893-44-2111

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(内子町ビジターセンター内)TEL:0893-44-3790 



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