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いろは歌

2022.11.19 07:50

あらたまる年のいろはや片瀬波  高資

潮風に年あらたまるいろはかな  高資

https://true-buddhism.com/teachings/irohauta/ 【いろは歌の意味とは?】  より

いろは歌は、「あいうえお」の五十音を覚えるために昔は一番最初に使われていた歌です。

ところが、天才作家と言われた芥川龍之介は、「我々の生活に欠くべからざる思想は或は「いろは」短歌に尽きているかも知れない」(『侏儒の言葉』)と書き残しています。

いろは歌は、日本人が人生をスタートする上で、ほとんどの人がいまだに気づいていない、私たちが生活していく上で、やがて直面する本当に怖い問題をあらかじめ知らせ、その解決の道を教えているのです。

それは一体どんなことなのでしょうか?

いろは歌の元はさとりの言葉

いろは歌はもともと『涅槃経』に説かれるさとりの歌を和訳したものといわれます。

お釈迦さまが過去世、「雪山童子(せっせんどうじ)」と言われていたとき、深い雪に覆われたヒマラヤ山で、さとりを求めて修行しておられました。

人里離れた雪山の奥深くで、遠くさとりを求めて難行苦行しておられたある日、どこからともなく、かすかな風にのって、

「諸行無常(しょぎょうむじょう)是生滅法(ぜしょうめっぽう)」

と、清らかなさとりの言葉が流れてきました。

雪山童子は、ビクッとして聞こえてきた方角を向くと、言葉が話せるようなものは何もいなかったのですが、それは長い間求めていたさとりの半分だったので、飛び上がって喜びました。

「一体どなたがこんな尊いさとりの歌を歌われたのだろう」

と辺りを見回しますが、深い深い雪に覆われたあたり一面、人間はおろか、アリの子一匹見当たりません。

ところが、今聞いたさとりの言葉は、さとりの半分しか言い表されていないので、命をかけてさとりを求めていた雪山童子は、何とか残りの半分も聞きたいと、夢中で探し始めました。

やがて雪山童子は、高い岩山に、恐ろしい鬼の顔をした羅刹がいるのを見つけました。

羅刹は微動だにせずに、怖い顔で遠くを見ています。

「まさか、あんな羅刹に尊いさとりの言葉が説けるはずがない」

と雪山童子は思いましたが、他に言葉をしゃべれる者がないので、

「今は醜い業の報いを受けてはいても、過去世に諸仏から教えを聞いたことがあるのかもしれない」と思って、一応聞いてみることにしました。

「ちょっとすみません。今、尊いさとりの言葉を説かれたのは、あなたさまでしょうか。

さきほどは、さとりの半分でしたので、もしご存じでしたら、もう半分を教えて頂けないでしょうか」羅刹の前に手をついてお願いすると、羅刹はギョロリと雪山童子をにらみました。「修行者よ、おれはそんなさとりの言葉など知らん。しかし、ここ10日ほど何も食べていないので、意識がもうろうとして何かうわごとのように言ったかもしれん。しかし腹が減ってもう何も言う力はない」と突き放します。

「やっぱりさとりの歌の主はこの羅刹だったか」喜んだ雪山童子は「お願いでございます。どうか残りの半分を教えてください。そうすれば、死ぬまで何でも言うことを聞きます。財施は限りがありますが、法施は限りがありません」とお願いしました。

「お前は修行者なのに自分のことばっかり考えている。おれはもう腹が減って何もしゃべる力が残されていないのだ」というと、「失礼いたしました。あなたさまはどんなものを召し上がられるのでしょうか。私が何でもご用意いたしますので、何なりとおっしゃってくださいませ」と尋ねると、羅刹は、「わしの食べ物は、人間だ。それも死体ではダメだ。生き血したたる生きた人間でなければ食べられぬ。修行者のお前には用意できぬだろうから、地道に修行に励め」ニヤリと冷たく笑いました。

「お待ち下さい。それなら、私の肉体でもよろしいのでしょうか?」「それはいいが、できるわけなかろう」というと、「もし残りのさとりの半分を聞かせて頂けるなら、喜んでこの肉体を差し上げましょう。どんなに大切にしたところで、50年か100年で滅びる肉体です。どうか永遠に生きるさとりの言葉をお聞かせください」と合掌しました。

すると羅刹は、姿勢を正して、残りのさとりの言葉を

「生滅滅已(しょうめつめつい)寂滅為楽(じゃくめついらく)」と口にしました。

それを聞くと同時に雪山童子の迷いは晴れわたり、さとりが開けたのでした。

童子は「私の出世本懐は成就した」と喜んで、後世の人々のためにこのさとりの言葉を石や木にきざみつけた後、近くの高い木にするすると登り、羅刹に向かって身を投げました。

その瞬間、羅刹は帝釈天(たいしゃくてん)の姿を現すと、雪山童子を受け止めて、地上に降ろしました。帝釈天は、雪山童子を敬って礼拝すると、「善いかな、善いかな、あなたこそまことの菩薩である。その決心があってこそ、さとりを開くことができるのです」とほめたたえました。羅刹は、雪山童子の求道心を為すために姿を変えた帝釈天だったのです。

この時のさとりの歌は、「無常偈(むじょうげ)」といわれますが、どんな意味なのでしょうか。

涅槃経の無常偈の意味

雪山童子が命がけで求めたさとりの言葉は、諸行無常(しょぎょうむじょう)是生滅法(ぜしょうめっぽう)生滅滅已(しょうめつめつい)寂滅為楽(じゃくめついらく)のわずか16文字でした。

「諸行は無常なり 是れ生滅の法なり 生滅滅しおわりぬ 寂滅をもって楽と為す」と読みます。

まず、「諸行無常」とは、「諸行」とは、この世のものすべてです。

「無常」とは、常が無い、続かない、ということですから、この世の一切は続かないということです。

「是生滅法」とは、「法」とは、いつでもどこでも変わらない真理のことですから、この「諸行無常」ということは、生じたものは必ず滅するという、いつでもどこでも変わらない真理である、ということです。

「生滅滅已」とは、この「生滅」が滅しおわった世界がある、ということです。これを「寂滅(じゃくめつ)」といいます。それが本当の幸せなんだ、ということのが、「寂滅をもって楽となす」ということです。このさとりの言葉を和訳したのが、「いろは歌」なのです。

このように和訳されています。

「諸行無常 是生滅法」   いろはにほへとちりぬるを(色は匂えど散りぬるを)

              わかよたれそつねならむ(我が世誰ぞ常ならむ)

「生滅滅已 寂滅為楽」   うゐのおくやまけふこえて(有為の奥山今日越えて)

              あさきゆめみしゑひもせす(浅き夢見じ酔いもせず)


このいろは歌には、実に仏教の旗印である「三法印」が詠み込まれているのです。

三法印のうち、前半が諸行無常印、後半が涅槃寂静印です。

それぞれどんなことが教えられているのでしょうか?

いろは歌の前半・迷いの世界

前半の「諸行無常 是生滅法」は、迷いの世界を表された歌ですが、いろは歌ではそれを、

「色は匂えど散りぬるを 我が世誰ぞ常ならむ」と歌われています。

「色が匂う」とは、花が咲き誇ることです。

花は色鮮やかに咲き誇っているけれども、やがて必ず散ってしまう儚いものだというのが、「色は匂えど散りぬるを」ということです。

ちょうどそのように、「我が世誰ぞ常ならむ」人間も盛者必衰、誰も長くは続かないのだ、ということです。

日本で一番成功した人といえば、尾張中村の水のみ百姓から、一代で太閤にまでのぼりつめた豊臣秀吉が有名です。この豊臣秀吉は、死ぬ時に、私たちに重大なことを言い残しています。

豊臣秀吉が後悔したこと

豊臣秀吉は、ゼロからスタートして、草履取りになったり、足軽になったりしながら、戦で功績を重ね、ついには天下をとり、大阪城や聚楽第で栄耀栄華を極めました。

ところが死んでいくときには、「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 難波のことも夢のまた夢」と辞世の句を詠んでいます。

「露」というのは、儚いものの代名詞です。夏の朝、キラリと光る朝露も、お昼にもならないうちに、あっという間につるりと落ちて消えてしまいます。そんな儚い朝露のような、あっという間の人生だったと豊臣秀吉は言っています。

「でも、あれだけ努力が報われて、金の茶室とか作って、栄耀栄華を極めたからいいじゃないですか」と聞くと、「難波のことも夢のまた夢」と言っています。

「難波」というのは、大阪を中心として築いた栄耀栄華のことです。「夢」というのは、覚めてしまえば何も残りません。どんなに夢の中で恋人と楽しく過ごしていても、宝くじにあたって1億円手に入れても、目が覚めれば、あとかたもなく消えてしまいます。「色々やってきたけれど、すべて夢のように消えていくものばかりだった。

そんなたよりにならない、儚い幸せではなくて、死が来ても崩れない、本当の幸せになりたかったな」ということです。

「色は匂えど散りぬるを 我が世誰ぞ常ならむ」

豊臣秀吉ほどのお金や財産、地位、名誉を手に入れても、死んで行くときには、すべて夢のようにはかなく消えてしまう、ということは、私たちも早晩、死がやってきて、同じ後悔に直面する、ということです。

そうならないための道が、いろは歌の後半に教えられています。

いろは歌の後半・迷いの解決の道いろは歌の後半は、雪山童子が命と引き替えに聞いた

「生滅滅已 寂滅為楽」の、さらに一歩進んだ内容が教えられています。

それが、「有為の奥山今日越えて 浅き夢見じ酔いもせず」ということです。

「有為の奥山」の「有為」とは、生滅のある、苦しみの世界ですから、苦しみ悩みのこの世界を、奥深い山にたとえて「有為の奥山」と言われています。

ところが、涅槃経より一歩進んでいるのは、次です。

「生滅の滅しおわった、寂滅の世界」は、どんなに修行しても、この世で到達することはできません。それは、さとりを得るための修行がいかに難行かを知れば分かります。

ところが、いろは歌には「今日越えて」とありますから、生きている今のことです。

生きている今ということは、厳密にはさとりではありませんが、死ぬと同時に仏のさとりを得ることが定まった絶対の幸福のことをいろは歌では言われています。

絶対の幸福は、豊臣秀吉の手に入れた、お金や財産、地位、名誉のように、臨終に夢のように消えてしまうものでもなければ、酒に酔って、現実逃避するようなものでもありません。

「人間に生まれてよかった」と大満足できる、ハッキリした世界ですから、「浅き夢見じ酔いもせず」と言われています。

その絶対の幸福になることが、仏教に教えられる、人間に生まれてきた目的であり、本当の生きる意味なのです。

では絶対の幸福になるにはどうすればいいのかというと、それには、苦しみの根本原因をなくさなければなりません。

この苦悩の根元はどんなもので、どうすればなくせるのかは、仏教の真髄ですので、滅多に知る機会はないと思います。

そこで今回、小冊子とメール講座にまとめておきましたので、今すぐ見ておいてください。


http://www.joukyouji.com/houwa0604.htm  【 いろはうた】  より

いろはにほへと ちりぬるを     ( 色は匂えど 散りぬるを )   

                  匂うがごとき 喜びや楽しみもすぐ散ってしまう

わかよたれそ つねならむ      ( 我が世誰ぞ 常ならむ )   

                  人の世の移り変わりを誰がとどめられようか

うゐのおくやま けふこえて      ( 有為の奥山 今日越えて )   

               今日、悟りを完成して苦しみの山々を超えることができた

あさきゆめみし ゑひもせす     ( 浅き夢見じ 酔ひもせず ) 

              浅はかな夢を見ることも快楽に酔うこともすでに無くなった

いろは歌は四十七のかな文字を使って作られている歌で、文字を習得する手習い歌として、近代に至るまで長く使われてきました。七五調四句からなる今様形式の歌です。

古くから弘法大師空海の作と伝えられていましたが、その当時に今様形式の歌が存在しなかったなどの理由によりその可能性はきわめて低く、もう少し後の時代に作られたようです。

仏教の世界観・人生観を歌った内容で『涅槃経』の中の無常偈として知られている「諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽」の意味であるともいわれています。

いずれにしてもこのいろは歌が手習い歌として、日本人の心に仏教への親しみを持たせる大きな役割を担ってきたことでありましょう。

今一度、現代に生きる私たちはこのいろは歌の内容である有為から無為へ、迷いから悟りの世界へという仏教の根本を再認識し、次代へ伝えるということが非常に大切であると思うのです。

『涅槃経』の「無常偈」は、「羅刹と雪山童子」の物語としてお釈迦様の過去世の話として語られます。それをご紹介します。

*羅刹と雪山童子 (らせつとせっせんどうじ) 

昔、雪山(ヒマラヤ)にひとりの求道者がいた。彼は雪山童子(せっせんどうじ)と呼ばれ、衆生利益(しゅじょうりやく)のために自分を犠牲にして顧みず種々の苦行を修めていた。

しかし、帝釈天(たいしゃくてん)はそんな雪山童子の法を求める態度に疑いを持っていた。悟りを開こうとする者は多いが、ほとんどの求道者はわずかな困難に出会うとたちどころに退転してしまう。それは、ちょうど水に映った月が水の動くままに揺らぐようである。多くの者は鎧や杖で身を固め、物々しいいでたちで賊の討伐に向かうけれど、いよいよ敵陣に臨むと恐怖に駆られて退却する。同様に悟りを開こうと固い決意をした人も、生死の魔軍に出会えば求道の心を失う。雪山童子の苦行は本物なのだろうか。

 車に車輪がふたつあれば運搬の用に立つ。鳥に双翼があれば空を飛べる。同様に修行者も、戒を保つだけでなく、正真の智慧がなければ悟りに到ることはない。はたして、雪山童子が修行を完成できるだけの人物であるかどうか試してみよう。

 そう思った帝釈天は、見るも恐ろしい羅刹(らせつ=鬼)に姿を変えると、天上から雪山へ下ってきた。そして、雪山童子の間近までやって来て、立ち止まると、過去世の仏が説いた偈文(げもん=詩句)の半分を声高らかに唱えた。

 諸行無常 (しょぎょうはむじょうなり)〔世界中のものはみなどんどん変化してゆく。山も川も町も家も身体も心も。〕

 是生滅法 (これしょうめつのほうなり)〔子どもは大人になり、大人は年をとり、あらゆる存在は変化してゆく。〕

 羅刹は偈文の半分を唱え終わると四方を見回した。これを聞いた雪山童子は大いに喜んだ。それはまるで、深 山で伴とはぐれた旅人が恐怖とともに闇夜を彷徨ったあげくに、再び伴と出会ったような思いだった。喉の渇いた人が冷水に出会ったようでもあり、長く病床にある人が名医に逢ったようでもあり、海に溺れた人が船に出会ったようでもあった。雪山童子は辺りを見渡したが、恐ろしい羅刹以外は誰もいなかった。

 よもやとは思ったが、童子は羅刹に訊ねた。

童子:「大士よ、あなたはどこで過去の仏の説いた偈文を聞いたのでしょう。その偈文は過去・現在・未来の三世に渡る仏の教え、真実の道です。世間の人間でさえほとんど知ることのない教えです。本当にどこでその偈文を聞いたのですか。」

羅刹:「出家者よ、そんなことを聞いても無駄だ。私は、もう幾日も食べ物が手に入らないので、飢えと乾きで心が乱れてでたらめを言ったのだ。」

童子:「大士よ、もし残りの偈文を説いてくれるならば、私は終生あなたの弟子になります。先ほどの偈文だけでは字句も不完全だし、義も尽きてはいません。どうか残りの偈文を教えてください。」

羅刹:「出家者よ、私は飢えて疲れているから、説くことができないのだ。」

童子:「大士よ、あなたは何を食べるのですか。」

羅刹:「私の食べ物は、人肉だ。飲み物は、人の生き血だ。」

童子:「大士よ、話は分かりました。残りの偈文を聞くことができたら、私はこの肉体をあなたに差し上げましょう。たとえ天寿を全うしても、どうせ、私の死体は獣か鳥に食われるだけです。しかも、食われたからといって何の報いがあるわけでもありません。それならば悟りの道を求めるために、この身を捨てる方が良いでしょう。」

羅刹:「では何か。わずかな偈文のために肉体を捨てようと言うのか。しかし、そうは言っても誰も信じないだろう。」

童子:「あなたは無智ですね。瓦の器を捨てて七宝を得ることができるなら、誰でも喜んで瓦を捨てるでしょう。」

羅刹:「お前が本当にその身を捨てるというなら、残りの偈文を説いてやろう」。

 雪山童子は羅刹の言葉を聞いて、身につけていた鹿皮を脱いで羅刹のために法座を設け、

童子:「大士よ、どうかここにお座り下さい。」

と言うと、合掌してひざまずいて一心に残りの偈文を求めた。羅刹は、厳かに残りの偈を説いた。

生滅滅已 (しょうめつめっしおわりて)〔身をわずらわし、心をまどわす煩悩のとらわれを離れて〕

寂滅為楽 (じゃくめつをらくとなす)〔清らかで静かな仏さまのような心になるのは本当に楽しいことだ。〕

こう説いてから、羅刹は約束通り雪山童子の肉体を求めた。

「出家者よ、お前はすでに偈のすべてを聞いた。願いはかなえられたのだから、約束通り私に肉体を施してくれ。」

 雪山童子は覚悟の上のことだから、肉体を捨てることに何のためらいもなかった。しかし、このまま死んでしまっては他の人々のためにはならない。そこで、辺りの石や壁、道や樹木に、手当たり次第にこの偈文を書き留めてから、死後に身体の露出することを懼れて衣服を整えると高い木に登った。そして、羅刹との約束を守って地上へと身を投げた。

 ところが、雪山童子の身体がまだ地上に落ちないうちに羅刹は帝釈天の姿に還り、空中で童子の身体を受けとめると地上に置いた。

 時に帝釈天を初め、諸天の人々は足下にひれ伏して童子にこう言った。

「あなた様は無量の衆生を利益して、無明の闇の中に大法の炬(たいまつ)を燃やそうとする以外には何も求めようとしない。あなた様こそは真の菩薩です。そんなあなた様を苦しめたのも、ただただ仏の大法を愛すればこそです。どうか私の懺悔をお聞き届け下さいまして、未来に悟りを得られた暁には、お救い下さいますようお願い致します。」

 半偈のために身を捨てた求道者の雪山童子は、後の世のお釈迦様である。

 またこの物語にちなんで、「諸行無常 是生滅法 生滅滅巳 寂滅為楽」を、雪山偈と呼び慣わしている。(涅槃経第十四)

雪山童子の姿は親鸞聖人の姿とも重なって仰ぎ見ることが出来ます。

「如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし 師主知識の恩徳も 骨を砕きても謝すべし」と、ご和讃されるように真理のためならば身命をも捨てるという、私たちの聞法の心構えを教えて下さっています。