「宇田川源流」【土曜日のエロ】 少女に声をかけて写真を撮ることは犯罪を構成するという意見は権利編重の行き過ぎではないのか?
「宇田川源流」【土曜日のエロ】 少女に声をかけて写真を撮ることは犯罪を構成するという意見は権利編重の行き過ぎではないのか?
土曜日のエロの日になった。やはりこの文章を書くのがやっぱり一番書いていて面白い。最近では日曜小説の「マンホールの中で」も書いていて面白いのであるが、やはり人間がエロくできているからか、エロの話が一番書いていて面白いのである。
今週は年金の2000万円不測の話が多かったのか。正直に言って「今更年金に期待している若者がいるのか」ということがもっとも面白い。だいたい年金という制度そのものが徐々におかしくなっているのに、何を言っているのかというような感じがする。一つは、マスコミと野党の「こじつけた政府批判」と、もう一つは金融庁というそもそも年金行政とは全く関係がない(年金の担当省庁は厚生労働省である)のにかかわらず、突然年金のことを言いはじめて政治を混乱させているのである。まあ、金融庁とすれば自分の管轄企業、つまり、機関投資家企業を何とかしたいということになる。そのような「省庁のエゴ」少し前の言い方では「国益ではなく省益」で物事を対処し、そして国民を混乱に巻き込むということになる。
単純にこれらは、「金融庁の役人をはじめとした役人が、自民党政権でも、野党が政権をとっても自分たちの雇用は安泰である」ということから発生し、また省庁が「縦割り行政で、厚生労働省の管轄する年金のことがよくわからない状態になっている」ということが大きな問題なのである。まあ、現在の内閣は、このような国民を混乱させた金融庁職員をすべて開国するくらいの責任の取らせ方がなければ、このようなことはなくならないのかもしれない。
一方、それに文句を言っている野党やマスコミもおかしい。はっきり言って「年金制度とは何か」ということがよくわかっていないばかりか、そもそも消えた年金などといって第一次安倍内閣を退陣に追い込んで、民主党政権になり、その政権の時に「持続可能な年金制度」などといっていたにもかかわらず、「持続できない制度だけが残った」という自分たちの責任を完全に転嫁している。まさに「責任」が全くなく「権利の主張だけ」というようなことになってしまっている。そのようなことを言って大丈夫なのであろうか。
まさに「権利の主張だけ」というようなことがそのままになっているのが社会全体の風潮になっている、いや、エロの世界まで波及している。
「声かけ写真展」法的問題はないのか 被写体は女子小中学生...3年ぶり開催で抗議殺到
女子小中学生に声をかけて撮影した写真を展示する「声かけ写真展」の開催をめぐり、中止を求める声が相次いでいる。
2016年に開催された際は、「児童ポルノを助長する」などと批判を集めた。
保護者からの許可は得ず
声かけ写真展は、「街角で遊ぶ少女」をテーマに、中年男性が女子小中学生に声をかけて撮影した写真の展示・販売会だ。
2016年5月に第一回が開催され、公式サイトでは「声かけ写真はフィルム式コンパクトカメラが普及した1970年代から数十年にわたりアマチュア写真家に好まれたテーマで、中でも街角に遊ぶ少女は格好の被写体でした」と説明していた。
しかし、水着やブルマ姿の写真が展示され、被写体となった子どもの保護者からは撮影許可を得ていなかったため、「児童ポルノを助長する」「親から許諾を得ていないのはおかしい」と批判が寄せられた。
会場となった「IID 世田谷ものづくり学校」(東京都世田谷区)は会期後、展示内容の事前確認が不十分だったとして「多くの皆様に不快を与える内容の展示を許可したことに関して、深くお詫び申し上げます」と謝罪した。
第二回開催に向け資金調達
第一回と同じ主催者が現在、大阪での開催に向け、公式サイトで資金を募っている。約52万円の目標金額に対し、2019年5月31日時点で約31万円を集める。
さらに「第1回声かけ賞」と題し、展示作品の公募もする(現在は終了)。「過去現在を問わず、『大人が子供に声をかけて知り合い、仲良くなった風景』」を募集し、要項では
「こども(学齢期以下の人物)に声をかけて、承諾を得て撮影した、未発表の写真作品」
「被写体に声をかけ、本人の同意を得て撮影したものにかぎります。親権は同意を意味しません」
「応募作品が展に使用された結果、撮影者および被写体に対する不利益が発生した場合、すべての責任は、応募者が負うものとします」
などと明記する。
こうした動きに対し、ツイッター上で「#声かけ写真展中止しろ」「#声かけ写真展を止めろ」とのハッシュタグが作られ、署名サイト「Change.org(チェンジドットオーグ)」では開催中止を求める署名が立ち上がり、約1万4000筆(5月31日時点)集まっている。
主催者は批判を一蹴
主催者は雑誌『実話BUNKAタブー』2019年2月号で、ネット上での批判に反論している。
「親から許諾を得ていないのはおかしい」との意見には、「それは親が子供を自分の所有物と見ているからそういう発想になる。子供にだって人権はある」と一蹴。
「児童ポルノを助長する」との指摘には、「私はこの写真展では子供と大人のつながりを見ていただきたい。そこに性とかエロなんでない。性的に見て興奮するのは個人の自由ですけど、こちらとしてはそういう見方を求める気持ちはまったくない」との主張だ。
公式サイトでは、「本展の取り上げる写真はもとより法に抵触するものではなく、お子様からお年寄りまで年齢を問わず鑑賞していただける内容と自負しております」と法律上、問題はないとしている。
弁護士の見解は
レイ法律事務所の髙橋知典弁護士は5月31日、J-CASTニュースの取材に「全ての展示や販売等されている写真を確認したわけではないため断定はできませんが、刑事上、下着やきわどい水着姿の写真の展示・販売は児童ポルノ禁止法違反になる可能性があります」と話す。
児童ポルノ禁止法2条3項3号では、禁止される「児童ポルノ」を「衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって、殊更に児童の性的な部位(性器等若しくはその周辺部、臀でん部又は胸部をいう)が露出され又は強調されているものであり、かつ、性欲を興奮させ又は刺激するもの」と定める。
しかし、同号の適用があるかどうかに関しては、「街中で、子供から目線をもらい、引いて撮った写真であるとするならば、少なくとも性的な部位が強調されているといえるかどうかは判断が難しい面もあります」とする。
損害賠償等の民事上での責任についてはどうか。争点となるのは合意の内容だという。髙橋弁護士は「子供に写真の利用方法、すなわち『少女の写真だけを集め展示することや、来訪した人に販売すること』を明示して、包括的な合意を得たのかが疑問として残ります。さらに、子どもが内容を理解し、同意ができるとはいいづらく、親御さんからも許可を得ていないと合意に効力がないとされる可能性もあります」
以上を踏まえ、「刑事、民事のいずれにしても、子供の写真を親に許可なく撮影し、お金をもらって展示販売することは、違法性があると評価されるおそれがあります」とした。
J-CASTニュースでは主催者に文章で取材を申し込んだが、期日までに回答はなかった。
(J-CASTニュース編集部 谷本陵)
2019年06月09日 11時00分 J-CASTニュース
https://news.nifty.com/article/domestic/society/12144-301182/
前半の論調とは全く異なる話になる。
改めて言うが、ここは土曜日のエロのブログである。つまり、「エロ目線」であり社会的な内容や危険性などよりも「エロ優先」である。実際私がそのように考えているかどうかも別にして、はっきり言って「エロ」を優先することがこのブログの目的である。
さて、そのうえで上記の記事のように「声かけ写真展」に関して「児童ポルノを助長する」などと批判を集めたのに対して、主催者が反論しているということになる。そもそも「街の中で少女におっさんが声をかけること」は「犯罪なのか」ということになる。単純に「児童ポルノを助長する」ような写真ではないはずだ。このような内容は、単純に「あまり社会経験のない少女に対して、通常ではない何か意外性のあることが起きた瞬間を切り取るものであり、その意外性の一瞬の表情の機微をとる」ということにしかならないはずである。もちろん、その写真がバストやヒップなどを強調したり、そこにしか「ピントがあっていない」などということになってしまえば、それは大きな問題になるのではないか。しかし、別段その方な写真ではない。つまり「エロ」を感じるものではないのである。
ではなぜそれが「児童ポルノ助長」になるのであろうか。
水着やブルマ姿の写真が展示され、被写体となった子どもの保護者からは撮影許可を得ていなかったため、「児童ポルノを助長する」「親から許諾を得ていないのはおかしい」と批判が寄せられた。<上記より抜粋>
つまり「ブルマ」や「水着」を着ている少女を社会に出すことは「わいせつ物頒布罪またはわいせつ物陳列罪」に当たるというのであろうか。このような主張をしている人々は、何度もこのブログでは主張しているように、「普通の女性の姿を見て、そのように考えてしまうということ」であり、「指摘している人が一番の児童ポルノ脳」なのである。
まあ、世の中の男性の中には、女性を見れば、そのようなことを想像してしまうような人もいるし、またかわいいとかきれいとか思った女性に対して必ず性的な行為やその性的な魅力を想像してしまう人がいる。このように書くと反発する人が少なくないのであるが、実際に「男女関係の友情は成立するか」というような問いかけをして「成立しない」という人がいることは確かである。その人々は「男女という異性関係において、友情ではすまない性的関係を想起させる状況がある」ということを意味しているのであり、そのような人は「少女の声掛け写真を見ても、エロを想起してしまう」ということになる。逆に言えば、普通にファッションショーを見たり、街を歩いていても、常にエロを想起しているような変態であるということである。その「変態が自分を中心にすべての人が変態であるという前提で苦情を言っていることが大きな問題である」ということであり、正常な感覚の人にはエロは存在しない。
もっと言えば「変態というマイノリティが変態さんの権利を主張しそれで社会的な通念をゆがめようとしている」ということで、なおかつそのうえでエロをおかしくしているということになるのである。
「児童ポルノを助長する」との指摘には、「私はこの写真展では子供と大人のつながりを見ていただきたい。そこに性とかエロなんでない。性的に見て興奮するのは個人の自由ですけど、こちらとしてはそういう見方を求める気持ちはまったくない」との主張だ。<上記より抜粋>
主催者は至極まっとうな回答をしている。