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地蔵菩薩のすごい10のこと

2019.06.13 09:44

傘地蔵のお話や、道祖神としてのお地蔵さん(道端にひっそりいるお地蔵さん)は、元々、仏教の経典に登場する1人の菩薩である。


地蔵菩薩は主に『地蔵菩薩本願経』、『大乗大集地蔵十輪経』、『占察善悪業報経』、『仏説地蔵菩薩陀羅尼経』に登場する。


お経というのは、何やら不気味な言葉をお坊さんやお婆さんが唱えているイメージがあるが、翻訳すると、一つ一つのお経が、菩薩や仏や如来の物語となっている。

怒られるかもしれないが、だからお経は文学であるともいえる。


今日はそんなお経や様々な文学に登場する地蔵菩薩について、すごいところは無限にあるが、10個に絞って、述べたいと思う。



1つ目。

地蔵菩薩というのは仏教においては脇役である。

だから、地蔵菩薩を本尊とするお寺は僅かである。

仏様がいなくなり、次に仏となる弥勒菩薩の修行が完成するまでの間、代わりに地蔵菩薩が衆生を救う旅をしている。

だが、地蔵菩薩は自分が脇役などということは考えない。

さぼったり、不平を抱くこともなく、自身の使命である衆生救世に一心に向かっている。そこがすごい。



2つ目。

この世にはまだ不幸が度々起きる。そのことで、地蔵にはまだ力が足りないと批判を受けることもある。仏様や弥勒であったなら、すべての人を幸せにできると言う人もいる。

地蔵菩薩はそのような言葉を真摯に受けとめ、本当は地蔵菩薩も仏になる力があるのに、すべての人を幸せにした後で、最後に自分が救われれば良いと、菩薩として活動しているのである。そこがすごい。



3つ目。

菩薩というのはだいたい裙(くん)の衣を纏い、その上から綺麗な条帛(じょうはく)を身体に巻いている。

装身具として、腕釧(わんせん)、足釧(そくせん)、イヤリング、冠などを身に付けているが、地蔵菩薩は袈裟を一枚着るだけで、ほとんどの場合は、装身具というものを身に付けていない。

方便として、綺麗な姿をしていた方が、人々は相手の言葉を聞くのかもしれない。手を合わせてくれるかもしれない。

それでも地蔵菩薩は、言っては悪いが、ボロを着ている。

綺麗な姿をするのは、綺麗になりたい女の子だけで良いと地蔵菩薩は考えている。

地蔵菩薩は左手に如意宝珠、右手に錫杖を持っているが、それだけあれば、人を助けるのに何も必要ないと、本気で思っているのである。そこがすごい。



4つ目。

地蔵菩薩は率先して弱い者に救済の手を差し伸べる。

だから、頻繁に賽の河原に行き、功徳を積む前の子どもや知識のない子どもが三途の川を渡れず、功徳を上げるために石を積み上げては鬼に破壊されているのを助け、行くべき道を示してくれる。

そこがすごい。



5つ目。

地蔵菩薩はすべての迷える存在を助けるために、地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道を日々渡り歩いている。

菩薩というのは天道で蓮の上に座り、優雅にティーを飲み他の菩薩や天女と談笑しながら日々を過ごす存在だが、地蔵菩薩はわざわざ地獄や人の住む世界までやってきて、解決策をメールで指示するわけでも、お金を配るわけでもなく、救いが必要な存在の元に直接やってきて、直接救済する。そこがすごい。



6つ目。

地蔵菩薩は左手に如意宝珠を持っているが、その珠(たま)はサンスクリット語ではチンターマニと呼ばれ、思ったことを叶える珠という意味を持っている。

私は若い頃、この珠があればどんなことでも意のままになると思い、チンターマニを欲したことがあった。

すると夢に地蔵菩薩が現れ、私にその珠を差し出してくれたことがある。

私は嬉々としてその珠を手に持とうとしたところ、珠のあまりの存在感という重さが、私の手の甲を貫き、地球の地面すら貫き、珠は宇宙を飛来していってしまった。

その珠は、地蔵菩薩が持つ宇宙そのものであったことを感じ、私のような者が一生どころか何億年何兆年と何度転生を繰り返し修行を積んだとて、その珠を掴むことさえできないだろうと悟ったのである。

そんな宇宙と等しい如意宝珠がすごく、また、それを手に持てる地蔵菩薩がすごい。



7つ目。

地蔵菩薩は助けが必要な人を、当たり前だが無料(無量)で助ける。知っている知識についてセミナーを開催したり、メルマガに登録させたり、ましてや、お金を求めることもない。

必要なことはその場で教えてくれる。出し惜しみも、出し渋りも、見返りも求めない。困っている人を助けたいという一心のみである。そこがすごい。



8つ目。

地蔵菩薩は困っている人を助ける。

仏教を信奉しようがしまいが関係ない。

困っている人を助ける。

地蔵菩薩を好もうが嫌おうが関係ない。

困っている人を助ける。

男も女も老も若も関係ない。

困っている人を助ける。

極悪人も善人も関係ない。

困っている人をすべて助ける。

そこがすごい。



9つ目。

地蔵の本願はもっとたくさんあるが、これまで書いてきた本願だけでも地蔵菩薩のすごさは伝わったのではないだろうか。

仏教に関係なく、峠や海岸や街中といったあらゆるところに、地蔵菩薩の像が建立されている。

それはなぜかと考えると、昔の時代に峠や海岸で不幸があったりした場合に地蔵菩薩を立て、魂を救済していたからである。

もちろん、不幸がなくても、人々の願いのために地蔵菩薩の像を立てることもある。 

立派な仏像や有名な仏師の名が入ったお寺の仏像も素晴らしいが、街の茂みの中に何の銘もなく、ひっそり佇むお地蔵さんは、それは誰かの祈りが形になったものである。

誰かが誰かの幸せを願い、それを形にしたものである。

だから、お地蔵さんには一つ一つに祈りがある。

それだけ人々に愛され、人々を祈ってきた地蔵菩薩という存在がすごいと思う。



10。いよいよ最後の項である。

地蔵菩薩がなぜこんなにも迷いなく救世を行っているかというと、それが地蔵の本願だからということの他に、もう一つ理由がある。

現在、宇宙が誕生し、137億年以上が経過した。

その宇宙に地球が誕生し、46億年以上が経過した。

その地球上に原始生命が誕生し、39億年以上が経過した。

その生命が進化し現生人類となり、20万年以上が経過した。


人間は、他の動物を殺傷したり自分以外の人間から搾取したりすることでも、生きることができる。

宇宙でおきるすべてのことは、宇宙はそれを認めているということである。

そういう世界にあって、地蔵菩薩は何とかこの世を少しでもよくしようと誕生した。


人類は少しずつ成長していき、いつしか心の痛みを知ることで、慈悲を覚え、愛を覚えた。


人類は立ち上がることを覚え、火を使うことを覚え、言葉を覚えた。

世界をよりよくしたいという祈りは世界に伝播し、さまざまな文明、文化、風習、風俗を誕生させた。

長い長い年月が経ち、慈悲の心を知る者の1人が、2000年以上前に地蔵菩薩の物語を誕生させた。


世界をよりよくしようという思い。

誰かの力になりたいという思い。

誰かを応援する思い。

誰かを愛する思い。

誰かを勇気づける思い。

誰かに感謝する思い。

それらを仏性と呼称することもあるが、仏性と言わなくても構わない。

誰かを助けるその祈りのような思いは、地蔵菩薩が1人で世界を助け歩くよりも、世界をよりよくすることができる。


私欲の中にも、誰かのためになることがあり、世界は少しずつ前に進んでいる。


誰かの祈りのおかけで道ができ、

誰かの祈りのおかげでビルが立ち、

誰かの祈りのおかげで世界ができている。

その祈りに満ちた世界であなたは誕生し、今、生きている。


日常に溢れる祈り。

美味しいご飯。

楽しいアニメ。

綺麗な洋服。

水洗トイレ。

電化製品。

自転車。

書物。

太陽の輝き。

恵みの雨。

地上の酸素。

地球の自転。

すべてに祈りが宿っていることを知ったとき、あなたという存在もまた、誰かのための祈りとなる。

あなたという存在は存在するだけで、世界を少しよくしている。世界を前に進めている。


あなたの存在は、地蔵菩薩と同じようにすごい存在である。