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Kazu Bike Journey

Ride in Setouchi & San-in Day 90 (13/6/19) Okishio Castle Ruins 置塩城跡

2019.06.13 21:22

Nagoyama Cemetery 名古山霊園

Okishio Castle Ruins 置塩城跡

今日は赤松氏の居城であった置塩城に行く。市内ではこの城の観光案内はそれほど見当たらなかった。黒田官兵衛ゆかりの地の案内には載っているのだが、この案内書も置いているところが限られているようだ。見つけたのは一ヶ所のみ。

通り道に水尾川沿いに遊歩道があり、そこを通って行く。

前方に塔が見える。昨日から気になっていた。通り道ならば寄ってみよう。

近くまで来て墓地である事がわかった。道路標示がある。観光地なのか?

Nagoyama Cemetery 名古山霊園

名古山の山上一帯に葬儀会場、斎場、寺院、各種慰霊碑などを併設する墓地で、公園の設備もあった。一番の目玉は1960年(昭和35年)に完成した仏舎利塔で、1954年(昭和29年)にインドのネール首相より贈られた仏舎利が収めてある。

戦死者慰霊塔

仏舎利塔

仏舎利塔を囲む5つの納骨堂

東塔

Okishio Castle Ruins 置塩城跡

姫路市から北10kmのところにある置塩山 (標高370m) の山頂に赤松政則により築城された山城。以後、赤松氏(宗家)の居城となる。天正5年 (1577年)、赤松則房の時、播磨国に侵攻してきた羽柴秀吉に戦わず降伏。天正8年 (1580年)、秀吉の城割令によって廃城、建物や石垣は解体して姫路城に移された。現存する姫路城の「との一門」は、この時移築。

築城から秀吉に屈服するまで100年に渡り、赤松氏5代が城主であった。この5代を見ると赤松宗家の変遷がわかる。

城へは夢前川のほとりから登山口がある。ここは標高50m、山頂が370mなので300m強登ることになる。

南曲輪群 曲輪が何段にも続いている

茶室跡

南西曲輪群

大石垣

ここからの風景

二の丸

三の丸

西曲輪群

ここでまむしに遭遇した。かなりの至近距離だった。早く気が付いてそれ以上近づかず難はなかった。気がつかずに近寄れば危なかった。

台所跡  湿地で水たまりが多くある。そのせいか、木の高いところに蛙の卵がぶら下がって、水たまりには黒山のオタマジャクシ。こんな山中で生存している。たくましい!

二の丸北曲輪群

本丸

瀬戸内海の島々が見える

赤松宗家支城

本丸南曲輪群

北曲輪群があるのだが表示が見つからない。案内図では北曲輪群から下山道があるはず。それらしき所を通って北曲輪群を探すも遂に見つからず。道に迷ってしまった。とにかく下に降りる。杉林の中を下る。少々不安だが、なんとかなるだろう。

麓に到着。策に沿って出口を探し無事に下山。登り口とは随分離れてしまった。

思っていた城の規模より大きく、かつ、下山に手間取ってしまい、夕方になってしまった。5時間の滞在であった。