『ラ・ロシュフコー箴言集』
太陽も死もじっと
見つめることはできない
82時限目◎本
堀間ロクなな
フランス17世紀中葉のブルボン朝の宮廷とは、いったいどんな世界だったのだろう? 当時の名門貴族たるラ・ロシュフコー公爵フランソワ6世が残した『箴言集』(1664年初版)に接するたび、その辛辣な舌鋒にのけぞりながら、こうした言葉を吐かせた人間模様について想像をめぐらさずにはいられない。
もっと単純な世界を生きているわたしも折りに触れ、そこに盛られた薬と毒を味見させてもらってきた。ただし、かつては「野心」や「恋愛」の項目に目が向いたのが、最近はおのずから「老い」をめぐる洞察のほうに惹かれるようになったけれども。以下、そのいくつか(二宮フサ訳)にささやかなコメントを添えて紹介しよう。
・われわれは生涯のさまざまな年齢にまったくの新参者としてたどり着く。だから、多くの場合、いくら年をとっていても、その年齢においては経験不足なのである。
鏡に映っている顔が自分とは思えない。
・若者は血気に逸って好みを変え、老人は惰性で好みを墨守する。
昨日今日でコロコロ好みが変わるという好みを墨守する。
・年寄りは、悪い手本を示すことができなくなった腹いせに、良い教訓を垂れたがる。
終活もそのひとつ。
・誰も彼もが自分の記憶力を慨嘆し、誰一人として自分の判断力を慨嘆しない。
大丈夫、運転免許の返納はまだ早い。
・いったいどうしてわれわれは、自分に起こったことを細大もらさず覚えているだけの記憶力を持ちながら、同じ人にその話を何遍したかを思い出すだけの記憶力がないのだろう?
しょせん、ひとに聞かせられる話はそれしかないから。
・人は自分について何も語らずにいるよりは、むしろ自分で自分の悪口を言うことを好む。
だから、せめて懺悔でもしたくなる。
・大きな欠点を持つことは大きな人物にしか許されない。
もっとも、大きな人物は決して懺悔などしまい。
・野心や恋のような激しい情念でなければ他の情念を征服できない、と信じるのは間違いである。怠惰はまったく柔弱ではあるが、にもかかわらず、しばしば他の情念の支配者にならずにはいない。それは人の生涯のあらゆる意図、あらゆる行動を侵蝕し、知らぬまに情念も美徳もつき崩し、消尽するのである。
結局、怠惰ほど心地よいものはないのだ。
・太陽も死もじっと見つめることはできない。
そのくせ、夜中にふと目覚めて、死への恐怖のあまり死にそうになる……。