奏法で悩むの、もったいない
原理というのはとても単純であることが多いです。
いろいろな人がいろいろな経験をして、「良い」と思ったものを口にする。伝える。同じことをさせる。
しかしその「良い」が他の人にとっても同様の「良い」である可能性は低く、場合によっては「悪い」と受け取ることも考えられます。
こうしてひとつの行為について「良い」「悪い」が混濁し、正解が何なのかがわからなくなる。
トランペットのレッスンをしていて、混乱してしまっている人が非常に多いのは、この不確実な情報量の多さにあります。
有名な奏者がこう言っていた、上手な人はこうしていると聞いた、レッスンでは先生に「こうすることが正解だ」と言わんばかりのアドバイスを受けた。
しかしそれが自分には「良い」とは思えない。
これらは結局「方法」を教わったことによる混乱です。でも実際にあの上手な奏者はそうしていると言って、本当に上手じゃないか。なぜそれを自分がやっても「上手」になれないのか。
何かがまだ足りないのか。
もっと情報が欲しい。
自分が上手になるための情報が欲しい。
あれが良いこれが良い、こうしてはいけないこれはダメだ。
そうして、熱心な人ほどどうすれば良いかがわからなくなり、上達を妨げる。
ではどうすべきなのか。
川の水質が悪いからと、その場所をどれだけキレイにしても汚染された水は絶えることなく流れてきたら何の意味もありません。原因はもっと上流にあるかもしれない。水源にあるかもしれない。いや、山の土なのかもしれない。そうやってどんどん根底にある部分まで遡り、調べていくと、大概最も中心部分、核になるところに何か原因があることが多いのがトランペットの奏法です。
上手に演奏できない、ハイノートが出ない、キレイな音色が出ないと言う方に「トランペットはなぜ音が出ているのか」と質問すると、明確に回答できない場合がとても多いです。
音の出る原理がわからなくても、上手に演奏できる可能性はあるけれど、上手に演奏できない人がそれを克服するためには、最も核になる「原理」を理解することが近道です。
原理が理解できれば「自分がすべきこと」が明確になるから、何について意識するか、研究するかがとても狭い範囲に絞られます。
誰かが言っていた「良い」という情報を鵜呑みにするのではなく、なぜその人はその方法を「良い」と言うのかをまず研究し、その方法はどういった原理で成り立っているのかを見抜くことができれば、楽器を演奏することはそれほど難しいことではないのです。
難しいのは「音楽性」「芸術性」のほうです。
奏法で悩んでいるの、もったいないです。
荻原明(おぎわらあきら)