高野公男・船村徹『友情無限』
「私の作曲の原点は高野との7年間にある」と船村徹に言わしめた高野公男。
「別れの一本杉」「「男の友情」など、多くのコンビ作品を遺した、船村徹と高野公男の友情とその作品を
船村徹の内弟子五人がしみじみと語り、歌いあげます。
出演:鳥羽一郎・静太郎・天草二郎・走裕介・村木弾(内弟子五人の会)
特別ゲスト/松原のぶえ
演奏:仲間たちバンド・司会:荒木おさむ
■
日時:2019年9月23日(月・祝)14:00開演(開場13:30)
会場:ザ・ヒロサワ・シティ会館大ホール(茨城県立県民文化センター)
料金:S席6,500円 / A席5,500円
お問合せ:ヒロサワ・シティ会館 ☎029-241-1166 茨城放送企画事業部 ☎029-243-4111
船村徹同門会事務局でもお申込を受け付けております。☎050-7109-1720✉doumonkai2766@gmail.com
高野公男・船村徹 男の友情
昭和24年、17歳で音楽の道を志し上京した船村徹が東洋音楽学校(現 東京音楽大学)で出会ったのが、
2歳年上で茨城出身の高野公男だった。同じ訛りの北関東出身者同志はすぐに意気投合をする。
今に日本中を二人の歌で埋めるんだと夢を語り合う毎日。高野の詞に船村が曲を付け、
二人の作品はどんどん増えて行ったが、レコード会社に売り込みに行ってもなかなか採用されず、
アルバイトをしながらの苦しい日々が何年も続く。
ようやくチャンスが訪れ、「別れの一本杉」が大ヒットしたのは昭和30年のことだった。
しかし、ようやく二人の時代が来ると喜んだのもつかの間、高野は結核で倒れて入院してしまう。
船村は治療費を稼ぐため、高野と二人揃ってというのを条件にコロムビアの専属となり、精力的に仕事をした。忙しい仕事の合間を縫って水戸の病院へ高野を見舞っていたことは言うまでもない。
夢にまで見たレコード会社の専属になった高野だったが、昭和31年9月8日、びっしり書き込んだ3冊の作詞ノートを枕元に遺し、26年の短い生涯を閉じた。
高野の母からこの作詞ノートを託された船村は、これからも二人の作品を世に出していくことを亡き友に誓った。その誓い通り多くの作品がレコードになって残っている。
二人の交流はたった7年間だったが、船村は高野を生涯の友として、どんなに忙しくても毎年の命日の墓参を欠かさず、節目節目の追悼コンサートを行ってきた。
平成28年9月、84歳の船村は「これを最後の節目の供養にする」と、
高野公男没後60年祭「友情無限」と銘打ったコンサートを、高野の故郷、茨城の水戸で開催。
自らの心臓の大手術後にもかかわらず、北島三郎、鳥羽一郎と共に「男の友情」を唄い、会場の涙を誘った。
そして、安心したかのように船村が天国へ旅立ったのは、コンサートからわずか5か月後のことだった。
主催 茨城放送 イベントページはこちら