マンロウ演奏『リコーダーの芸術』
音楽を数学的秩序の
呪縛から解き放った天才は
83時限目◎音楽
堀間ロクなな
リコーダーは、日本人一般にとって最も親しい楽器のひとつだろう。ホイッスル型の吹き口があり、背面に1つ、前面に7つの指先で押さえる孔が開いている縦笛のことで、そう、かつて小学校の音楽の授業でみんなで口にくわえたアレである。その懐かしい思い出をもつ者にとって、デイヴィッド・マンロウが演奏した『リコーダーの芸術』(1975年)は意外な発見に満ちたアルバムに違いない。これがあの素朴な楽器なの? と――。
中世からルネサンス、初期・後期バロックを経て、現代に至るまでのリコーダーのための作品がCD2枚、計32トラックにわたってずらりと並ぶ。演奏時間では、16世紀フランスのセルミジが作曲したシャンソン「悲しまずに私を愛して」(55秒)と、イギリスのディキンソンが1973年に作曲した「リコーダー・ミュージック」(13分07秒)を両極として、それぞれに意匠を凝らした楽曲が咲き乱れる。あたかも音楽の花園を眺める趣向なのだ。
しかし、だれが聴いてもいちばんインパクトがあるのは、冒頭に置かれた13世紀の「イングリッシュ・ダンス」(1分39秒)と14世紀の「サルタレロ」(4分09秒)の、いずれも作者不詳の舞曲ではないだろうか。マンロウ自身がライナーノーツで「当時は独奏楽器としてはフィドル(ヴァイオリンの祖先)が好まれていましたが、様々な種類のホイッスル型の楽器もよく使われる楽器でした」と紹介している。このころ、教会音楽ではいわゆる「グレゴリオ聖歌」の男声合唱が新たな発展段階を迎え、リズム、メロディ、ハーモニーを基本要素として、今日につながるヨーロッパ音楽の構造化がはじまる一方で、教会が忌み嫌った楽器は世俗社会の庶民のものであり、そこでは自由奔放でいかがわしいばかりの音楽のエネルギーが息づいていたことを、これらのリコーダー演奏が教えてくれる。
「赤い奇妙な帽子をかぶっていた男は小路で笛を吹き鳴らした。やがて今度は鼠ではなく四歳以上の少年少女が大勢走り寄ってきた。そのなかには市長の成人した娘もいた。子供たちの群は男のあとについて行き、山に着くとその男もろとも消え失せた」
グリム兄弟の『ドイツ伝説集』の一節だ(阿部謹也著『ハーメルンの笛吹き男』より引用)。ドイツの小都市ハーメルンで1284年6月26日に130人の子どもが姿を消した史実にもとづくというこの説話については、だれしも幼い日に恐怖を覚えた経験があるはずだ。もしそんな笛吹き男が目の前に現れたら、自分もきっとついていってしまうような……。あるいは、モーツァルトがフリーメーソンの光と影の世界を再現したジングシュピール『魔笛』で、王子タミーノに吹かせた魔法の笛もまた、単純な正義の象徴などではなく、ほんの少しでも使い方を誤ればたちまち奈落の底に引きずり込まれてしまう恐怖が隣り合わせになっていた。
ヨーロッパの人々は、こうした人知を超えて善悪の彼岸へといざなう危険な力を削ぐため、ルネサンス以降、音楽を厳重な数学的秩序のもとにがんじがらめにしたのではなかったか。20世紀のイギリスで、その呪縛を解き放って古楽の大道を開いたデイヴィッド・マンロウは、天才の名をほしいままにしながら、この『リコーダーの芸術』を制作した翌年にわずか33歳で自死を遂げている。