業界の将来と僕の夢と現実と人の思いとアレとアレ。
僕は性格が悪い。自覚がある。
この繊維業界に興味を持ってくれる尊い若者たちに対して、大多数の過去の栄光にすがりついた汚いやり口の商売の実情を伝えて、「それでも本当にやりたいか?」を問う。前職時代に新卒や中途採用予定者と面接をする際にも必ず『明暗』なら『暗』の部分を伝え、「それでもやるか?」と問い続けた。
身内に対しても、この業界に来たいという人に対して、当人の従来の生き方の甘さを指摘した上で「舐めすぎ」と伝えたが、結局はこの業界に来た。あとは知らん。現状に文句を言いたくても自分で選んだ道だ。「自己責任で」としか言えない。
もっと他のやり方があるのかもしれないけど、業界に過度な期待を抱かせて現実で心が折れてしまう人を量産したくはない。採用する側も、入ってくれる人の意志が固いものと期待して、給与を払いながら教育をする必要がある人間に対して、現実に折れたから辞めるという選択をされるのは時間もお金も無駄になることになる。
かと言って、現場に人は足りていない。
とは言え、業界の現状は人を甘やかしておけるほど楽観的な状態ではない。
先日、弊社としては初めてのインターン生を受け入れた。僕はまさかの肺炎で一週間ほど前職に彼を預けることになったが、その後一週間は一緒に行動をした。
彼は夢に満ち満ちていた。漠然としてたけど、業界を変えていきたいという強い思いもあった。僕はわざわざその芽を摘むようなことはしないけど、従来のスタイル通り、『8割はクズ』の現状を伝えることにした。
生きていく上では、現在の世の中の仕組み的に、必ずお金がかかる。雇われる場合、この生活費を確保するために労働をするわけだが、労働の対価として得られる給与に対して、自分の思っている水準とズレが生まれると、雇用主に対して不満を持つようになる。
これはおそらく、理念や夢が経営側と社員できちんと共有できていないからではないかと思っている。
僕の会社は僕の夢が活動の源泉でもあるから、この夢に心から賛同してくれる人であれば、おそらく同士として一緒に仕事をしてもらっても現実で夢が折れることはないと思う。そして目下夢であるその目的の手段として現在の事業売上があり、その事業売上を作るために日々営業生産活動をしている。その営業生産活動にレバレッジをかけてくれるのが、夢に賛同してくれて現在の事業の労働力になってくれる人たちの仕事でもある。そして、僕は給与という形でその労働に対してお金を払い、会社を通して実現したい夢についてまた語る。
だからと言って、義のために薄給で良いとも思っていない。その水準を向上させるために、現実と向き合って商売を取っていかなければいけない。「産地を潤していきたい、技術を残したい」という思いも、この経済活動で勝ち抜いた者にしか出来ない。前向きな言葉だけでは実際人の生活を潤すことは出来ない。実戦、行動と結果。これが前向きな結果を生むことはもうみんなわかってるはずだ。
僕が思うに、おそらく『8割のクズ』は、経営活動の中に『夢』や『理念』がすでに無く、ただダラダラと続く経済活動になんと無く存在意義を求めているように見える。だから夢や希望を抱えて入ってくる若者たちは憧れと現実のズレに耐えられずこの業界を去っているのではないか。
だが、僕はこの経営理念を失った経済体自体を否定しない。彼らには彼らの別軸での思いもあるだろうから。表面に見えている実態だけを取り上げて非難することはない。ただ便宜上、この業界に期待を持って来てくれる人たちに伝える際は『8割のクズ』という言い方をさせてもらっている。(内心は不要な活動で生産者や従事者を苦しめるくらいなら淘汰されてしまえb、、おっと誰か来たようだ)
そしてこの『8割のクズ』も経済活動を行なっている以上、直接では無くても、商売の相手にもなり得るということを忘れてはいけない。理念は認められなくても、自社の目的のガソリンになることだってあるのだ。
産地における工業の人材不足は深刻だ。後継者問題など様々あるが、何より業界全体の売上のパイが縮小していく中、無策な未来予想図などで人を集めようとすることなど、僕なら出来ない。従事者として、もちろん興味を持ってもらえることは嬉しい。だけど、先にも書いた通り、業界自体が拡大している事実は認められない。これを大きなものにしていくには相当の壁が立ちはだかる。従来のやり方では多分無理だろう。新しい方法が求められる。そしてそれを実現しようと活動を始めたら、多くの人たちから強烈なブレーキを踏まれるだろう。
そんな険しい道のりではあるけれども、それでもやりたいっていう人がいたら、一緒に頑張ってみような。