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キャンピングカーで日本一周

6月11日 安曇野市 → 松本市[松本城・松本市立博物館]→ 長和町(60km)

2019.06.19 07:30


関東甲信越地方は数日前から梅雨入りした模様。


そんな中、今日は貴重な晴天の一日。



絶好の観光日和ということで、


KY夫婦、満を持して、松本市のシンボル・松本城へと向かう。



ウイークデーということもあり、市営駐車場は空いていた(300円/日)。


もちろん一晩中いられるわけではない。


日中だけの話である。





ここ松本城は、日本を代表する名城の一つ。



その築城は戦国時代の16世紀初め、小笠原氏によるとされるが、今のような天守が整備されたのは、16世紀末に豊臣秀吉によって松本に封じられた石川数正によるものだ。



やたらと大きな鯉が口をパクパクさせている内堀を回り込み、日本庭園のように松の木が配置された公園を歩く。




さすがに観光地だけあって、外国人観光客も多い。



 

まずは天守の隣にある「松本市立博物館」を見学。



ビデオコーナーでは、松本城の保存に貢献した二人の人物について主に紹介していた。


まずは、市川量造



明治時代に入ると、旧物破壊思想が広がり、松本城天守も競売により売却し、いずれは破壊されるという運命に直面した。


当時この地域の副戸長(今の副村長)だった市川はこの動きを憂い、当時自らが参画していた地方紙・信飛新聞を通じ、松本城天守の保存を訴えた。


そして民間から資金を集め、自らの私財も投じて、天守を買い戻すことに成功する。


こうして競売・破壊から逃れた松本城天守だったが、その後も荒廃が進んでいく。


明治の新しい時代に、西洋を追いかけることには忙しくとも、封建社会の象徴ともいえる城郭の保存には、社会の意識はなかなか向かなかった。



松本城の敷地には、松本中学校が置かれていた。


校長だった小林有也は、日々見上げる天守の荒廃する様(傾いてさえいた)を憂い、市川量造の意志を継いで、天守の本格的な保存に動き出す。


1901年に天守保存会を設立、なんと12年間もの歳月を費やして、松本城天守「明治の大修理」を終える。


松本城を倒壊の危機から救った小林は、大修理完成の翌年、この世を去った。



こうした二人の努力、および松本市民の協力により、松本城は今では松本市のシンボルとして愛され続けているのである。


(左が市川量造、右が小林有也)



「松本市立博物館」には、遺跡からの出土品や鎧や刀剣、籠、竹細工などの工芸品や人形、道祖神など、松本市に関わる様々な文物が展示されているが、なんとなく、今まで各地で見てきた博物館と比較すると展示内容が薄く感じる。



これは、博物館の数が日本一という長野県だけに、収蔵品が分散してしまうせいなのか。


はたまた、松本城を本拠とする松本藩の領主が6氏(石川・小笠原・戸田・松平・堀田・水野)にわたり代わってきたことが影響して、城は残っても松本藩としてのカラーを残すことが出来なかったせいなのか。




これまで見てきた城は、熊本城なら加藤清正と細川氏、会津若松城なら松平氏、青葉城なら伊達政宗といった具合に、それぞれの名城には何らかの固有のイメージが存在した。


世界遺産登録を目指すという名城・松本城。


これから、新たに博物館をオープンさせるということなので、歴史の検証、掘り起こし作業がもう少し進めば、展示内容にも厚みが加わるはず。


今後の展開に乞うご期待‼︎




さて、次はいよいよ松本城天守に登ることに。




天守閣への道すがら、武者姿のスタッフに遭遇し、声を掛けられる。


ディズニーランドにおけるミッキーマウス的な存在か。




ついに、やって来ました‼︎  天守閣。



この松本城を含め、日本に現存する天守閣は全部で12ヶ所。


松本城のほかには、弘前城・丸山城・犬山城・彦根城・姫路城・松江城・備中松山城・丸亀城・伊予松山城・宇和島城・高知城しか残っておらず、小田原城や熊本城など、それ以外の天守閣は復元されたものだ。




急な階段に何度も頭をぶつけそうになりながら、6階まである天守の最上階まで登る。



ちなみに、天守閣は外から見ると五層の造りに見えるのだが、内部は六層になっており、外から見えない第三層が存在する。


南側の格子からわずかに光が入るだけの、薄暗いが安全な場所で、戦のときに武士が集まるところとされていた。



とはいっても、実際に天守完成後の松本城が戦闘の舞台になったことは、一度もなかったらしい。



途中の2階部分には、火縄銃と関連資料のコレクションが展示されている。




鉄砲の弾作りは、女性や子供の仕事だったらしい。




戦の最前線で闘った足軽の体験を綴ったという「雑兵物語」の展示も。




天守の最上階からは、西に北アルプスが遠く望めるらしいが、今日は雲がかかって近くの山までしか見えない。




最上階からの降りる際に、月見櫓を通る。



三方が吹き抜けとなる開放的な櫓で、このような櫓を持つ城は、他に岡山城しかないそうである。



屋根の上には、鯱鉾(しゃちほこ)。





地には、鳩。




戊辰戦争、明治維新と、荒れ狂う時代の中で影響を受けず、破壊も免れた松本城。


そこには、そこはかとなく、平和なムードが漂っていた。




松本市を後にした一行は、国道254号経由で有料の三才山トンネルを通り、長野県中央部に聳える山々を抜け、上田方面へと向かう。



小一時間ほどで、道の駅「マルメロの駅 ながと」に到着。




この道の駅は、駐車場も広く、コンビニ、温泉も完備。




道の駅のレストランが、夜10時まで営業の居酒屋(火曜日ビール半額)だったので、久々に飲んだ。



道の駅「マルメロの駅 ながと」 ⭐️おすすめの道の駅認定⭐️  で決まり‼︎