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薔薇と脳髄の向こう

愛すべき自宅へ

2019.06.19 10:29

ママンに褒めてもらえるかな、可愛いって言ってもらえるかな。

そんな不安をどこか抱きながら賑やかなロンドンの街を歩くと、見慣れた、懐かしさも少しだけ感じるようになってしまった自宅が見えてくる。

チョコレート色のドア。小さな庭から伸びている木が僅かに道路側にせり出してきている。木々の間から覗く屋根はワインレッドのレトロでお洒落な色だ。クラウスは、この家も好きだった。

幼い頃からずっと過ごしていて、自分の家以上にお洒落な家は見たことがない。

母は良く「お父さんの趣味よ」と言っていた。クラウスは父の記憶がほとんどない。船乗りの彼の父が家にいることはほとんどなかった。そのせいもあり、顔も覚えていないし、遊んでもらった記憶もない。

会いたいと言われたら会ってみたい気はするが、クラウスは母がいれば十分だった。

父に関してほとんど関心はないが、この素敵な家を建てたというところは誇りに思っている。きっと父もお洒落な人なのだろう。

そんな自慢の我が家の前に立つと一度深呼吸した。大好きだからこそ、嫌われないようにきちんとしなくてはという想いが強くなる。

それだけではなく、溺愛されている父の違う弟をみてもヤキモチ妬かないためにクラウスは自分を奮い立たせた。

ドンドンドン

ライオンの口から出ている金属の輪で木製のドアを叩くと、鈍い音が響く。人通りの多い道路に面している家は大きめに叩かないと喧騒に紛れてしまうのだ。

少し緊張して体を強張らせていると、バタバタと家の中から足音が聞こえてくる。

「はーい、おまたせしました」

その足音が近づいてきたと思うと同時にドアが開く。

「ママン、ただいま」

「あら!クルゥーー!!」

ドアから顔を覗かせたのは、大好きな母だった。顔を見ただけで嬉しくて泣きそうになったのを堪えて挨拶をすると、母は勢いよくクラウスを抱きしめた。

安心するいつもの香水の匂い。優しい母の声。

学校も好きだけれど、やっぱり母のいる家が大好きだとクラウスは思った。

「どう?元気だった?ちゃんとご飯は食べてるかしら?」

「大丈夫だよママ。ママこそ、元気だった?」

照れ臭くなってクラウスはわざと大人ぶった答え方をした。母はクラウスから少し離れてその顔を見つめる。

「ママが元気じゃないように見える?いつも元気よ!」

明るく太陽のように笑う彼女に嬉しくなって、今度はクラウスが抱きついた。


「クルゥが帰ってくると思って、美味しいくるみパンを焼いておいたの。あと、ココアも買ったのよー!」

家の中に入るなり母が歌うように言った。自分が帰ってくるのをきちんと覚えて待っていてくれたことが嬉しくて、クラウスも弾ける笑顔を見せた。

「やったー!嬉しい!ママのくるみパンが一番大好き!」

「当たり前でしょう。一番美味しくなるようにしてるもの」

悪戯っぽく笑う母を見ながらリビングのソファに腰掛ける。暖炉の上に、弟の写真が増えていた。

そういえば今どこにいるんだろう。そう思ったが、母との時間を邪魔されたくない気がして黙っていることにした。

「それにしてもクルゥ、今日も可愛い格好してるわね。流石ママの息子よ」

「でしょ!?前に買ってもらったこの服、やっと可愛く着こなせるようになったんだよ!決め手は帽子だったみたい」

一番気づいてい欲しかったところに気づいてくれる母の言葉に喜んで立ち上がり、その場で一回転した。キッチンでココアを作っていた母がクラウスを見て微笑む。

「流石よ。とっても似合っていて可愛いわ」

クラウスがそのままキッチンカウンターに近づき、少し背伸びして肘をつく。得意げに笑みを浮かべたまま、「ママの今日のワンピースも可愛いね」と言った。

小花の散ったAラインワンピースだが形は最新型で、肩からのパフスリーブが大きくてロマンチックな形をしている。裾にもうるさくならないレースが縫い付けられていた。シンプルだけれど美しいワンピースだとクラウスは思った。それに、金髪で巻き髪の母によく似合っている。

「でしょうー!これもデザイナーさんからの最新コーディネートなのよ。ロンドン女は流行にうるさくなくちゃね」

ふふふ、と彼女も得意げに笑うとウインクした。笑うとクラウスによく似ている。

手際良く温めた牛乳の中にココアを入れて練り上げたものをカップに注ぐ。

「さあ、出来たわよ。ほらクルゥ、ソファに座って。学校であった楽しいことを聞かせてちょうだい」

母の言葉に頷くと言われた通り元いたソファに座った。クッションを手繰り寄せて抱きしめ、母がカップとパンを運んできてくれるのを見守る。

湯気の立ち上る暖かそうなココアと、パンの香ばしい香りが食欲をそそった。そういえばまだお昼ご飯を食べていなかった。

ひと段落つき、落ち着いた彼女もソファの隣に腰を下ろした。再び良い香水の香りがする。

「さあ、クルゥのお話聞かせて」

「うん!」

渡されたココアを一口飲んでから、クラウスは嬉しそうに笑った。