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薔薇と脳髄の向こう

ちょっとした憂鬱

2019.06.19 14:19

室内が暗くなり、母がランプをつけた。それまで夢中になって学校であった事を話し込んでしまっていたのだ。気づけば窓に当たる雨の音がし始めている。

「あら。雨ねー。あの人傘持って行ってないわ」

アスランと遊んだときのことを話し終わった時にぽつりと呟いた母の言葉に首をかしげる。

少しだけ嫌な予感がした。

「あの人って?」

クラウスは反射的に聞き返してしまった。

「テリィよ、ほら...」

そこまで言って母は言葉を濁した。

いつも明るく物事をはっきり言う母だが、この事になると途端に歯切れが悪くなる。その名前を聞いたクラウスは悲しくなってしまった。

テリィは母の恋人で、クラウスの前の家庭教師だ。母は自由な人なので父がいなくて寂しい間に家庭教師と恋に落ちてしまったのだ。それからめっきりクラウスと遊ぶ回数が減り、しまいには弟までできてしまったためクラウスにとっては天敵だった。

...まだあの人住んでるんだ。

もう完全に同棲しているらしい。自分の家がどんどん知らない場所になっていくようで寂しかった。

父が帰ってきた時どうするのだろうと疑問に思いながら、母を心配させないよう笑みを作る。

「そうなんだ。濡れてないといいね」

取ってつけたような適当な台詞になってしまったが、頑張った方だと思う。

「そうね...タオルでも用意しておこうかしら」

心配そうに呟いた母はソファから立ち上がり洗面所の方へと歩いて行ってしまった。その背中を見送って無理矢理作り笑いしたまま空になったカップの目を落とす。

窓にぶつかる雨音が強くなった。明るくて楽しかった部屋の中がよそよそしくてどこか重い雰囲気になってしまった。

ぼんやりとしたランプの明かりの中クラウスはひとり視線を手元に落としたままだ。

ママはテリィの事が大好きだ。僕はもしかしたらいらないのかもしれない。

1人そんなことを思ってしまえば急に寮に帰りたくなってしまった。あそこに行けば、アスランと楽しい話ができるし、ウィリアムの姿を見てわくわくすることもできる。ルドルフの事は嫌いだけれど会わなければいい話だ。

ウィリアムがルドルフに好きだと言った事はもやもやするけれど、それでもクラウスはウィリアムが好きだった。

「ただいまー!雨が酷いよ」

泣きそうになった時、玄関のドアが開いた。雨の音が急に近く聞こえる。ゆっくりそちらを振り向くと、丸い眼鏡を掛けたたれ眉のテリィが、弟のチャーリーを抱きかかえて入ってきているところだった。

「あぁテリィ、心配したわ!やっぱりびしょ濡れね」

洗面所から駆けつけた母がチャーリーを受け取り抱きかかえながら、タオルを渡す。濡れた服や顔を拭いながらテリィはリビングに入ってきた。

「やあ!クルゥ!もう帰って来てたんだな。久しぶり」

「久しぶりです、テリィ先生」

片手を上げて楽しそうに言う彼に違和感を抱きつつクラウスは他人行儀に挨拶した。ちょっぴり嫌味を交えてしまった。

「先生、だなんて言わないでおくれよ。ははは」

しかしテリィの方は気にしていないらしく朗らかに笑うと着替えのためか寝室の方へ行ってしまった。

使っていない部屋はあるけれど、そこに住んでいるのかと思うとなんだか悔しくなる。

「クルゥ、チャーリーよ」

母は嬉しそうに笑いながらクラウスの隣にチャーリーを座らせた。

まだ2歳か3歳くらいにしかなっていないチャーリーだったが、くりくりとした目が可愛らしい。

悔しいがクラウスも可愛いと思ってしまった。

「クルゥ!まま!」

頭を撫でるときゃっきゃと笑いながら膝の上に乗ってくる。少しだけ悔しくなるが、弟は愛しいような気がする。

「チャーリー、お兄ちゃんが帰って来て嬉しいわね」

うふふとその様子を見て母が笑う。クラウスもそれにつられて笑った。

「にいに、クルゥ」

「そうだよ、チャーリー。大きくなったね」

抱っこをしてあげながら頭を撫で、あやすように言うとチャーリーが抱きついて来た。

恥ずかしいような、嬉しいような。なんとも言えない感覚になりながら、クラウスも幼い弟を抱き締め返すのだった。