子供が「Youtuberになりたい」といっても絶対に笑ったり否定してはいけない理由
先日、小学校2年生の息子が「HIKAKINみたいにYoutuberになりたい」と言い出しました。
ウチもついに来たか!と思いました。確か、小学生がなりたい職業No,1というのは聞いたことがあります。自宅でゲームしたりお菓子食べたながら面白おかしくしゃべったりするだけでお金持ちになれたらそりゃあ良いに決まっています。もちろん、そんなに簡単なことでは無いことも知っています。
僕も最初は笑ってしまいました。
しかしですよ。これ、よく考えたら笑っちゃいけない。これからの時代を考えたら実にまっとうな夢だと最近思い始めたのです。ちなみに僕は当時パイロットかプロ野球選手になりたかったですけど、そんなの全く比較にならないぐらい、Youtuberの方が現実味があってまっとうです。
これまでといえば、頑張って勉強して有名な大学に入って、大企業に就職するのが立派であり、成功だというのが一般的な価値観でした。
会社など大きな組織に属して働くということはどういうことでしょうか。
まず、大きな資本と過去の従業員が積み上げた実績・信用の余波の上で仕事ができるので、収入が安定したり、その余波に加えて既にチームが形成されているので大きな実績が作りやすかったりというメリットがあります。
反面、自分も退職したり定年になったら同様に実績を放棄しなくてはいけない。基本的に社内で作った財産は社内に置いていかなくてはならない。実に勿体なく感じますけど、これが会社に属するということです。
ただ、ITによってそのメリットが割と個人でも享受できるようになってきていて、昔ほど会社組織に依存しなくてもよくなってきています。
例えば、資本ならクラウドファンディングで集められる。信用の余波で言えば、物を売るならamazonや楽天、映像で稼ぐならyoutube、出版ならKindle・・のように、巨大な信用体(プラットフォーム)に乗っかってできる。チームに関して言えばSNSや、最近でいえばオンラインサロン等のソーシャルコミュニティで集めることができる。
個人でも十分に稼げる、他人と交わることが容易となっており「企業に属することが当たり前」という概念がもう既に変わりつつあります。そしてこの流れはこれからも加速していくでしょう。
そこで先述のようなプラットフォームを主戦場とする場合、絶対に求められるのが「他人と違うことをする」こと。amazonで他人と同じものを売ったら価格競争になって確実に疲弊しますよね。
日本は今も昔も、他人と同調することが美徳とされていました。同じような服をきて、集団で行動する。部活・就活・新人研修・飲み会・・。それがたとえ苦痛であっても生活をしていくためにそれは我慢すべきもの。でもこれからの時代は間違いなくそのままでは埋もれて息苦しくなっていきます。
堀江貴文氏や落合陽一氏は、「日本の義務教育ヤバい。子供を通わせること自体がリスクだ」と言っていました。これからは他人と違うことをする人間が求められるのに、昔から変わらず似たような人間をプリンティングしているだけだから。
地方でよくあるパターンとして学生時代に授業もまともに受けていなかった元ヤンキーや、元ひきこもり系の人が起業家として成功していたりって話もたまに聞いたりしますけど、そういうことなんだろうなと思います。もちろん、ヤンキーになれとは言わないですけど。
つまり、Youtuberというのは、これから「他人と違うことをする」ことを目指していくための、子供にとって最もわかりやすい指標なわけです。それを自ら口にしているので、絶対に否定してはいけない。
最後に余談なんですけど。
社会・経済に大きな影響・変革を与えた日本人の起業家(例えば孫さん三木谷さんZOZOの前澤さんとか。)で、野球部出身者って僕の知る限りいないんですよね。組織や権威に従属的なので、役員などある程度上のポストには行きやすいのですけど、それ以上がない。
これはまさに野球部の部活文化というか、徹底的に個性が潰され、周囲と同調することを求められることが原因だと思っています。例外的にイチローがあそこまで大きく突き抜けて成功できたのは、監督の言うことを聞かなかったからじゃないですか(笑)?
僕自身はゴリゴリの野球部出身で、今も野球は好きですけど、子供に入らせるのにやや抵抗があるのはそれが理由です。