田辺聖子 著『ナンギやけれど……』
骨のくせに笑てるわ――
関西の筋金入りの女流作家なればこそ
85時限目◎本
堀間ロクなな
田辺聖子さんが91歳で逝かれた。わたしはもう四半世紀前に、講演会でその謦咳に接したことがある。
1995年4月19日(水)午後、東京・有楽町朝日ホールで「田辺聖子さん阪神大震災チャリティー講演会『ナンギやけれど……』」が開かれた。田辺さんは足が不自由な事情もあったのだろう、かねて講演嫌いを公言していたが、このときは阪神・淡路大震災から3か月が経ち被災者支援のためにご自身で企画されたとのこと。壇上に立たれた1時間半のあいだ、「本当は引っ込み思案で」と口にしながら、しばしば客席の爆笑を誘った名調子ぶりはのちに書籍にまとめられた。そこから、とくにわたしの印象に残っているフレーズを紹介したい。
伊丹市の自宅でマグニチュード7.3の地震に襲われた早朝。田辺さんは前夜に親族の集まりがあったため就寝中で、もしいつもどおり徹夜で執筆していたら一命が危ぶまれたくらい、書斎では書棚から本や資料が飛びかって一面に散乱していたという。そのようすを解説して――。
これは私、普通の投げ方じゃないと思いました、よっぽどのエネルギーがなければ、こんな物の傷み方、本や箱の傷み方というのはありません。例えば女の人が嫉妬に狂って、ええいっとばかり投げつける、思いのままにねじったり投げつけたりするという、そういう力ですね。男の人がけんかで投げつけあったって、あんなにきつくなるものじゃありません。
やがて、震災の想像を絶する状況が徐々に明らかになっていくにつれて、あちらこちらで被災者を救出・支援する動きがはじまった。田辺さんの知人の知人にあたる西宮在住の夫婦も、まずご主人のほうが声を挙げて――。
すぐ奥さまに、〈とにかく米を炊いて、子供の頭ぐらいの大きなおむすびをつくってくれ〉って、〈どうなっているかわからないけれども、すぐ持っていってあげる〉。その奥さまは、何かにつけ一言あるかたなんだそうです。ふだんご主人に〈はい〉とおっしゃったことがないそうなんですが、そのときばかりは黙ってすぐ、釜が一升炊きなので、それを三升炊いて、大分大きなおにぎりをつくられた。四十二個できたそうです。
文字だけではニュアンスが伝わりにくいけれど、大阪弁の柔らかい口調がいまも耳元にありありとよみがえってくる。死者・行方不明者6,437名、負傷者43,792名を出した厳しい現実を直視しながらユーモアを忘れない、田辺さんのおおらかな人柄がいつしか会場を包み込んで、みんなの共感がひとつになり、当日集まった義援金は1,121,190円にのぼったという。
いま思い返してみると、いかにも稀有なイベントだった。それはおそらく、関西に生まれ育ち、関西を愛し抜き、『源氏物語』につらなる筋金入りの女流作家なればこそ成り立たせることができたものだろう。みずから震災の「語り部」をもって任じて田辺さんは、講演の結びでこんなふうに述懐された。
私は、考えている死に方があるのですが、お棺の中に足を突っ込むときに、おもしろかったと思い出し笑いしながら突っ込みたいですね。周りの人が〈あんた、なに笑うてはりますねん〉と、〈笑うてる場合やないやないか〉という。(中略)もし、そういうふうな死に方ができましたら、私のお骨が焼けましても、挟んだ人が、〈あらこのお骨、骨のくせに笑てるわ〉というふうになるかもわかりません。
きっと、この言葉どおりに大往生された、とわたしは拝察している。合掌。