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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

帝国対王国9-帝国マックスの結婚攻勢

2019.06.21 03:12

1492年はいろんなことが起こった年である。この年に神聖ローマとフランスが対決する。しかしその前に89年に遡る。ローマ王となったマクシミリアン1世、マックスは、ドイツ領内の問題解決にあたった。一族でオーストリアに大きな領土のあるジークムント公は、バイエルン公アルブレヒトに大きな借金を背負っていた。

バイエルン公は、チロル地方を抵当に取ってここを領有しようと狙っていた。そこへマックスは割って入り、借金を肩代わりすることでチロル領有に成功した。チロルは、ドイツ、イタリアの間で、フランドルに入る交通の要衝だったので、この地を取ることで、フランドルと連絡がより密となった。さらに鉱山から銀と銅、塩が産出された。この採掘権をフッガー家に与えることで、フッガー家はハプスブルクを支えていく。

マックスは、チロルのインスブルックに居を構え、改革を行い、武器工場を建設し、芸術家も養成した。93年にはジークムント公が放蕩のあげく嫡子なく亡くなったので、マックスはオーストリア全土を戦いなく手に入れることになった。

1490年、フランスで問題が発生。フランスが海に突き出した角の一つ、ブルターニュ公国も、王権の支配を受けない国であった。ブルターニュ公フランソワ2世は縁談を各国にもちかけて独立を保とうとしており、マックスはこれに乗って娘アンヌと婚約をした。ライバルのフランス王シャルル8世は結婚しているので手出しできないはずだった。

下は美女の誉れ高きアンヌ・ド・ブルターニュ。実はたいへんな賢女