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Geographic Institute

つねにアンテナを張って、敏感に。

2019.06.21 13:20

立正大学地球環境科学部地理学科に入学して、地理学を学んでいくなかで、地理学というアンテナを自分自身に身に付けたことによって、日々の生活を地理学というアンテナ(視点)を通して、新しい発見や今まで身に付けてきたことなどを見て、さらに新たな自分の知識・教養として身に付けてきました。


地理学というアンテナ(視点)は、“地理学”という一本のアンテナではなく、地理学そのものが多様な研究分野を有しているように、自然、農業、人の動き、町の発展(衰退)など、様々なアンテナを身に付けることができました。


その地理学のアンテナを、つねに伸ばして、敏感に受信しようとしていると、新しい発見というのは、思わぬところから出現することがあります。


朝のワイドショーがテレビ局各局で放映されている時間帯、私は録画していたドラマやCSのドキュメンタリ番組を見ていることが多いのですが、今日はずっとワイドショー番組をザッピングしながら見ていると、次のようなものが映像として流れてきました。

(Googleアースより、画面をスクショしました)


横浜市泉区和泉町および中田町に位置するところに上の画像のようなサークル状の土地があるというのです。


私は、この土地を見るのは初めてでしたが、似たようなものを千葉県船橋市で確認したことがあります。


それが次の画像です。

(Googleアースより、画面をスクショしました)


少々見にくいですが、行田公園と書かれているところを中心に、サークル状の土地が見えると思います。


こちらの千葉県船橋市のサークル状のものは、元々、日本海軍の無線電信施設である“海軍無線電信所船橋送信所”の跡地で、戦後、進駐軍に接収された後、1960年代後半に返還され、団地・学校・県立公園などが作られた。


画像を見てお分かりの通り、北西に中山競馬場があり、その間を縫うように武蔵野線が通っています。


なぜ、サークル状なのか?


それは、円の中心に送信用の細長い鉄塔を建て、円周上にその鉄塔を支えるための支柱を何本か建てていたためです。


そして、船橋送信所の能力を上回るような送信所を作ろうと、横浜に一枚目の画像のような形で、“深谷通信所”という名前で作られました。


深谷通信所は、戦後に米軍に接収され、2014年に土地全体が返還された経緯を持ちます。

船橋送信所とは異なり、つい最近になって返還されたので、周辺が宅地化されていても、深谷通信所の跡地に緑が残っているのですね。


深谷通信所の南東から北へ走る、少し幅員のある道路は県道で、戸塚バスターミナルや大船駅から立場駅へのバス路線にもなっています。


近くには、元ドリームランドで現在はドリームハイツや大学が立地しているような場所です。


高校の日本史の授業でも、このような電信施設のことなどを勉強していません。

船橋送信所の存在も、大学卒業後に日本史のことを色々調べていくうちに知ることができました。


このような施設が、どのような目的で作られ、その後保存されたのか、もしくは解体され違う用途で利用されたのか。

そのようなことを調査・研究していくことも、地理学の大切な研究分野の一つです。


テレビの一つの場面ではありましたが、新しい発見をすることができましたし、点であったものを線にすることもできました。


また、現地へ赴いて肌で感じてみたいという気持ちも湧きました。


地理学というアンテナを張っていたからこそ、見逃さずに吸収することができたのです。


これからも大切にしていきいたいです。