HakoniWa戯言Vol.17文化についての考察ーHakoniWa的文化へのアプローチを考えるー
・「文化」とはなにか?
・「文化」にいかにアプローチするか?
【文化】
出典:デジタル大辞泉(小学館)
1 人間の生活様式の全体。人類がみずからの手で築き上げてきた有形・無形の成果の総体。それぞれの民族・地域・社会に固有の文化があり、学習によって伝習されるとともに、相互の交流によって発展してきた。カルチュア。「日本の文化」「東西の文化の交流」
2 1のうち、特に、哲学・芸術・科学・宗教などの精神的活動、およびその所産。物質的所産は文明とよび、文化と区別される。
3 世の中が開けて生活内容が高まること。文明開化。多く他の語の上に付いて、便利・モダン・新式などの意を表す。「文化住宅」
この一般的な定義を踏まえて…
私はこう考える。
「社会」と「文化」は、ともにヒトの営みの蓄積と集合を表すものである。
「社会」とはその総体を表現し、「文化」とはその総称である。
つまり、「社会」はこのヒトの営みの総体、人の世のことを言い、「文化」とは有形・無形を問わず、ヒトの営みの総称を言う。
その要素は、制度(政治や行政、法律等)から、その生活様式や、芸術、哲学等
あらゆる営みを指す。
それらの蓄積を歴史と言うんだと考える。
一人の人で例えるなら、「社会」とはその人そのもの人体を指す。
背の高い人、低い人、小太り、痩せ、肌の色、とか特徴があるように社会もその時々、規定する場所場所によってその形状(総体)にも様々ある。
そして、「文化」はその人の行動を指す。
その手とか、足とか、骨格、筋肉や脳、思考、経験、知識など(これら要素)を駆使してどんな行動をとるか、歩く、走る、寝る、飛ぶ、といった様にである。
では、その「文化」にいかにアプローチするのか?
「文化」とはヒトの営みそのものである。
ここでHakoniWa的考察を加えて考えると…
これまで見てきたように、文化の要素とは、まさに、「あるもの」である。
それらをいかに楽しむか?ということが、いかにアプローチするか?ということになる。
それら要素において通底することはなにか?それが「文化」の本質であろうと考える。
それはなにか?
私はこう考える。
文化の本質とは、「真善美」を追究する営みである。
つまり、ヒトの営みとは、「真善美」を追究する営みである。
要素の例に出した、社会制度は集団のあり方についての「真善美」の追究であるし、
芸術や哲学に限らず、生活様式までも、その意識/無意識の差、またはその程度問題はあるにしろ、それらすべては「真善美」を追究することの表現と言えるのではないか。
そこにアプローチしていきたい。
なにもこの考え方自体も新たな創出ではなく、これも「あるもの」を「あるもの」として
見た結果である。
「真善美」を追究すること、これにいかにアプローチするか?
それは、「真善美」を追究すること、つまり自分にとって「良い」を追究すること、「価値観」や「感性」とも言い換えることができる、その感覚を養うことだと考える。
それは何か?と問われると、それが修養であり、教養を積むことではないだろうか。
では、教養とは何か?
きょう‐よう〔ケウヤウ〕【教養】
[名](スル)
1 教え育てること。
「君の子として之(これ)を―して呉れ給え」〈木下尚江・良人の自白〉
2
㋐学問、幅広い知識、精神の修養などを通して得られる創造的活力や心の豊かさ、物事に対する理解力。また、その手段としての学問・芸術・宗教などの精神活動。
㋑社会生活を営む上で必要な文化に関する広い知識。「高い教養のある人」「教養が深い」「教養を積む」「一般教養」
また、修養とはなにか?
しゅう‐よう〔シウヤウ〕【修養】
[名](スル)知識を高め、品性を磨き、自己の人格形成につとめること。「刻苦勉励して修養を積む」「精神を修養する」
教養を積んで、自らを修養する
それが、各自各々の志向を生み、その集合や蓄積が文化を生み、社会をも形成する。
志向とはその「真・全・美」の追究することの発露であり、行動、つまりどうするか?
に対する指針を示すものであろうと考える。
で、それが私にとっては、「後世への最大遺物としての社会形成へ貢献すること」もその一つであると考える。
それは、やはりなんとなしに生きてきたかもしれない、うん十年の間に培われてきたほんの少しの修養の結果なのかなと…
今日はこのあたりで。