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源實朝『金槐和歌集』春ノ部⑥春くればまづ咲く宿の梅の花/梅が香を夢の枕にさそひてさむる/このねぬる朝けの風にかをるなり/梅が香は我が衣手ににほひ來ぬ/春風はふけどふかねど梅の花

2019.06.21 22:32





金槐和歌集


源實朝鎌倉右大臣家集所謂『金槐和歌集』復刻ス。底本ハ三種。

〇『校註金槐和歌集』改訂版。是株式會社明治書院刊行。昭和二年一月一日發行。昭和六年五月一日改訂第五版發行。著者佐佐木信綱]

〇『金塊集評釋』厚生閣書店刊行。昭和二年五月二十二日發行。著者小林好日]

〇アララギ叢書第廿六編『金槐集鈔』春陽堂刊行。大正十五年五月一日發行。著者齋藤茂吉著]

各首配列ハ『校註金槐和歌集』改訂版ニ準拠。是諸流儀在リ。夫々ノ注釈乃至解説附ス。以下[※ ]内ハ復刻者私註。是註者ノ意見ヲ述ニ非ズ。総テ何等乎ノ引用ニシテ引用等ハ凡テインターネット情報ニ拠ル。故ニ正当性及ビ明証性一切無シ。是意図的ナ施策也。亦如何ル書物如何ル註釈ニモ時代毎ノ批判無ク仕テ読ムニ耐獲ル程ノ永遠性等在リ獲無事今更云フ迄モ無シ。歌ノ配列ハ上記『校註金槐和歌集』佐佐木信綱版ニ準拠ス。

十四。

   花間の鶯といふことを

春くればまづ咲く宿の梅の花香をなつかしみ鶯ぞなく

[※是『校註金槐和歌集』改訂版]

[※註。

〇花間ハかかん/くわかん是≪[名]花の咲いているなか。花のあいだ。

※菅家文草(900頃)二・早春内宴、侍仁寿殿、同賦春娃無気力「花間日暮笙歌断、遙望二微雲一洞裏帰」[※菅家文草かんけぶんそうハ≪平安時代前期の漢詩文集。菅原道真著。 12巻。昌泰3(900)年、道真が醍醐天皇に献上した家集で、それまでの自己の作品を集めて時代順に配列したもの。侍宴や贈答、離別、即興の詩などがあり、流麗優美な詩風が特色。散文は事務的な論文と芸術的な美文に分れる。当時最高の学者、詩人であった作者の姿をうかがうことができる。≫以上≪ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典≫引用ス。≪菅原道真の漢詩文集。12巻。900年(昌泰3)成立。前半6巻は詩468首を年次順に、後半6巻は散文161編をジャンル別に集める。道真は政府高官であった得意時代、〈月夜に桜花を翫(もてあそ)ぶ〉(385)、〈殿前の薔薇を感(ほ)む〉(418)など艶冶巧緻の作を多く詠む(作品番号は《日本古典文学大系》所収のものによる)。なかんずく、〈春娃(しゆんわ)気力無し〉(148)、〈催粧〉(365)の詩と序は、宮廷専属歌舞団の舞姫の官能的な姿態を描いて、王朝妖艶美の頂点に立つもの。≫以上≪世界大百科事典第2版≫引用ス。]

※やみ夜(1895)〈樋口一葉〉四「覚めなば果敢(はか)なや花間(クヮカン)の胡蝶」 [王維‐扶南曲]≫以上≪精選版日本国語大辞典≫引用ス。]


    春くればまづ咲く宿の梅の花香をなつかしみ鶯ぞなく(花間の鶯といふことを)

 梅の花が咲きそめると、あゝ春が來たとおもはずには居られなくなる。梅の花はおとづれる春のさきがけである。そして梅の花が咲くとまた鶯が香を慕つてはとんでくる。

 風はまだ冷たい。

 しかし梅が咲き鶯がなくやうになれば、季節は冬から春へまはつてゐることをはつきり意識させるのである。

[※是『金塊集評釋』文學士小林好日著]


十五。及十六。

   梅の花風ににほふといふ事を人々によませ侍りしついでに

梅が香を夢の枕にさそひてさむる待ちける春のやま風

このねぬる朝けの風にかをるなり軒端の梅の春の初花

[※原書頭註。

〇このねぬる—新勅撰集に

入れり。眞淵云、「一二

句は萬葉を用ゐて末を事

もなくいひすてられし心

高さよ」このねぬるは此

寝ぬるなり。今まで眠り

て目覺めたる朝とつづく

る枕詞。]

[※是『校註金槐和歌集』改訂版]

「※註。

〇このねぬるニ萬葉集卷八ノ一五五五≪安貴王歌一首/秋立而 幾日毛不有者 此宿流 朝開之風者 手本寒母/秋立ちて幾日もあらねばこの寝ぬる朝明の風は手本[※たもと]寒しも≫

新古今和歌集卷四秋上ニ≪藤原季通朝臣/このねぬるよのまに秋はきにけらしあさけの風のきのふにもにぬ≫」

    梅が香を夢の枕に誘ひ來てさむるを待ちけり春の山風(梅の花風に匂ふといふことを人々によませ侍りしついでに)

 殿中深き貴人の寝所には、もう夜明のいろがしろじろと忍んでゐた。

 帳中の眠はおだやかであるが、檠[ともしび※是原書ルビ]の光は淡くうすらいでゐる。しかし廻廊の雨戸はなかば開け放たれて、こころのよい春の山風が匂高い梅の香をすきまもなく運んでくる。

 人はふと寝つかれた眼をひらく。こころのよい寝ざめに梅の香はとりわけいぢらしい。

 「春の山風は自分がねむつてゐるうちから、枕邊に梅の香を誘つてきて、眼のさめるのを待つてゐたのだ。」

 ひとは思はずほくそゑむのである。

[※是『金塊集評釋』文學士小林好日著]


     このねぬる朝けの風にかをるなり軒端の梅の春のはつはな

『ねぬる』は寝ぬるである。『このねぬる朝』は『此寝たる朝』であつて、朝寝起[あさのねおき※是原書ルビ]の心持を現はしたのである。組織[そしき※是原書ルビ]から云つて注意すべき詞[ことば※是原書ルビ]である。後には實感から離れて、ただ『朝』の枕詞として輕く用ゐるやうになつたのである。『秋立ちて幾日[いくか※是原書ルビ]もあらねばこのねぬる朝けの風は袂さむしも』(萬葉卷八/安貴王※是原書附註二段小文字書

)といふ歌がある。實朝の此歌は先進が褒めた程によい歌では無いが、豊かな上品[じやうひん※是原書ルビ]な歌である。沈痛とか悲痛とか遣る瀬ないとか、さういふ心の發し以外に、かういふゆつたりした心が吾等の一面にある。この歌の棄てがたき所以も其處にある。この歌には當時一般の歌風のにほひがあるが、一首の調べが重厚で弛みの無いところが異つて居る。なほ實朝作、梅の歌に、『梅の花八重[やへ※是原書ルビ]の紅梅[こうばい※是原書ルビ]咲きにけり知るも知らぬもなべて訪はなん』『梅の花いろはそれともわかぬまで風にみだれて雪はふりつゝ』『わが宿の梅の花咲けり春雨はいたくな降りそ散らまくも惜し』などがある。

[※是齋藤茂吉著アララギ叢書第廿六編『金槐集鈔』]

[※註。

〇安貴王あきおうハ≪?-? 奈良時代、春日王(かすがのおう)の王子。/妻は紀少鹿女郎(きの‐おしかのいらつめ)。天平(てんぴょう)5年(733)[※第45代聖武天皇]子の市原王が父の長寿をいわった歌や、安貴王が12年の聖武(しょうむ)天皇の伊勢(いせ)旅行に同行してつくった歌などが「万葉集」にある。阿貴王、阿紀王ともかく≫以上≪デジタル版 日本人名大辞典+Plus≫引用ス。]


十七。

   梅香薰衣

梅が香は我が衣手ににほひ來ぬ花よりすぐる春の初風

[※原書頭註。

〇花よりすぐる—花の方

から吹き過ぎてくる。]

[※是『校註金槐和歌集』改訂版]


    梅が香はわが衣手に匂ひ來ぬ花よりすぐる春のはつ風(梅香薰衣)

 梅の木のあたりには春のはつ風が吹きよどんでゐて、しばらくは漂うたまゝ動かない。

 またひと吹き、さつと風がくる。

 さうすると匂ひをたきこめた風が散り散りになつて吹飛ばされる。

 午後のさわやかな光の下に、ひとりあてもないそゞろあるきを續けてゐたひとは、はつと胸にまで沁みくる高いかをりを感ずるのである。

[※是『金塊集評釋』文學士小林好日著]


十八。

   梅の花をよめる

春風はふけどふかねど梅の花さけるあたりはしるくぞりける

[※原書頭註。

〇しるく—いちじるくの

意。]

[※是『校註金槐和歌集』改訂版]


    春風は吹けどふかねど梅の花咲けるあたりはしるくぞりける(梅の花をよめる)

 前二首とともに相當に深みもあれば、厚みもある。調もすなほになだらかである。梅の香をめでゝ﨟たけき歌である。

 「春の風が吹いても吹かなくても、梅の花のさいてゐるところは、はつきりとわかるものである。」「かをり高い梅の花ばかりは風にさそはれて來なくても」……しるくはいちじるしくである。はつきりと。

[※是『金塊集評釋』文學士小林好日著]


    (三)春風はふけどふかねど梅の花さけるあたりはしるくぞりける

 『しるく』は『いちじるく』の意である。春風(梅の香を誘ひ來て梅のありかを知らせる)が吹いても吹かなくても、梅の花の香の高きが故に、その咲けるところが著しく知られるといふ意である。この歌の表はし方はなかなか氣が利いてゐる。而して上品[じやうひん※是原書ルビ]である。實朝は三十歳にも至らずに死んだのだから幾ら勉強しても全然前人の模倣を免れる域迄達してゐなかつた。この事は實朝の缺點である。併し今の歌人でも、地[ぢ※是原書ルビ]を洗はれたら困るものが多いであらう。この歌は恐らく、『梅の花にほふ春べはくらぶ山やみに越ゆれどしるくぞありける』(古今/貫之※是原書附註二段小文字書)『山かぜは吹けど吹かねど白波の寄する岩根は久しかりけり』(新古今/伊勢※是原書附註二段小文字書)などの影響があるらしい。そして恐らくは初期の作であるらしい。

[※是齋藤茂吉著アララギ叢書第廿六編『金槐集鈔』]

[※註。

〇古今貫之ノ歌ハ古今和歌集卷一春上ノ三九≪くらふ山にてよめる/つらゆき[※紀貫之]/梅花にほふ春へはくらふ山やみにこゆれとしるくそ有りける≫

新古今伊勢ノ歌ハ新古今和歌集卷七賀ノ七二一≪題しらす/伊勢/山風はふけとふかねと白浪のよするいはねはひさしかりけり≫]