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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

イタリアの春9-春の黄昏ロレンツォ死す

2019.06.23 03:21

さらに1492年、フィレンツェの僭主ロレンツォが亡くなった。亡くなる前になんとサヴォナローラに告解しようとしたといわれている。この修道僧は、82年にフィレンツェのサンマルコ修道院の院長となるや、フィレンツェの堕落ぶりを批判し、信仰に立ち帰るよう説教を行い、メディチ家に批判的な市民の人気を博していた。

サヴォナローラをフィレンツェに招いたのはピコ・デラ・ミランドーラというのが面白い。ミランドーラは86年に教皇によって異端の疑いで捕えられ、ロレンツオの金で釈放された。無邪気で、政治的影響などは考えていなかったのが、人文主義の限界である。

サヴォナローラはロレンツォの告解にあたって、神への信仰、不正な仕方で得た富の放棄を求め、ロレンツォは承諾した。しかしフィレンツェの人々に自由を与えるように求めると、ロレンツォは背を向け、サヴォナローラと決別したと伝えられる。フィレンツェの繁栄も峠を越え、我儘になった人々はメディチ家に批判を強めていた。

ロレンツォの死によって、イタリアのバランスは崩壊。そして同年、ヴァチカンで、インノケンティウス8世が亡くなり、ロドリゴ・ボルジャ枢機卿がかつてない金権選挙で、教皇アレクサンデル6世となった。彼は以前の教皇よりもさらに世俗的権力を求めて、イタリアの政治に介入する。ルネサンスは嵐の時代を迎えようとしていた。

下はロレンツォのもとを去るサヴォナローラ