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失敗の本質 - 日本軍の組織論的研究

2019.06.23 06:20

  戦史研究に社会科学的なアプローチを持ち込み、「大東亜戦争」において勝敗の転機となった6つの作戦 (ノモンハン事件、ミッドウェー作戦、ガダルカナル作戦、インパール作戦、レイテ海戦、沖縄戦) を組織的な論点から考察、それぞれのケースにおける作戦の立案、経緯、結果を説明し、各作戦においてその勝敗を決定づけた要因は何だったのか?どうして日本軍はそれらの作戦において勝つことができなかったのか? 日本軍という組織がアメリカ軍に勝つことができなかった「失敗の本質」的な部分について分析をおこなった作品です。著者は戸部良一氏、寺本義也氏、鎌田伸一氏、杉之尾孝生氏、村井友秀氏、野中郁二郎氏、以上6人です。(著者皆さんの経歴は割愛しますが、ほぼみなさん防衛大学校で教授、助教授をされた経験があります。)

  本書において、タイトルにもなっている「失敗の本質」について語っているのが第三章「失敗の教訓ー日本軍の失敗の本質と今日的課題」で、本章では「自己革新組織の原則と日本軍の失敗」というタイトルで日本軍の考察がなされているところがあり、それぞれ「不均衡の創造」、「自律性の確保」、「創造的破壊による突出、異端・偶然との共存」、「知識の淘汰と蓄積」、「統合的価値の共有」 というサブジェクトにわけてそれぞれ解説しています。そして、最後の「日本軍の失敗の本質とその連続性」というサブジェクトでは、「日本軍の最大の失敗の本質は、『特定の戦略原型に徹底的に適応しすぎて学習棄却ができず自己革新能力を失ってしまった』ということであった。」(P395)としています。

   まず大東亜戦争当時の日本軍の、戦略の基本にあったのは、陸軍においては「白兵戦思想」(これは剣、刀などで直接相手と戦う接近戦)で、海軍の場合は砲戦に依存する「艦隊決戦主義」(大艦巨砲主義)でした。どうして、陸軍が「白兵戦思想」に、海軍が「艦隊決戦主義」に傾いたのかという経緯ですが、「陸軍における『白兵戦思想』は古くは明治時代の薩軍における西南戦争や日露戦争における旅順の203高地の勝利などの、接近戦による成功体験が、海軍における『艦隊決戦主義』については明治38年のロシアのバルチック艦隊との日本海海戦における砲撃戦での完全勝利が、それぞれ戦略におけるパラダイムになっていたため」と、指摘しています。(P352)

   もう少し詳しく説明しますと、「白兵戦主義」の発想から、火力や防御力の性能の低い戦車が開発され、戦車戦においても最後は地雷や爆薬を持った兵士が相手戦車へ向かっていくような戦法になり、海軍では「大艦巨砲主義」のため、航空部隊や潜水艦部隊を十分に活用しない戦い方が発達したのです。またアメリカ軍には陸・海・空軍を一元的に管理する統合参謀本部があったのですが、日本には「大本営」という戦時機関が設けられ、「大本営」は陸海軍の策応協同 (両者の統合) が重要な任務でした。しかし日本陸軍と海軍の間には戦略上の考えの相違、機構上の分立、組織の思考・行動様式の違いなどがあり、その溝は容易に埋まるものではありませんでした。そもそも想定している仮想敵国からして違っていて、明治40年以来、陸軍はソ連を、海軍はアメリカを想定していたのです。(P320)  (自分は戦闘に関しては全くのシロウトですが、でも、想定する敵国が違えば当然、戦い方も違ってくるのはすぐにわかりますよね。) この「陸軍と海軍の溝」はガダルカナル戦やレイテ戦においても戦いの過程において両軍間で多くの齟齬を生み、結果、多くの犠牲者を生むことになりました。また、アメリカ軍の「統合参謀本部」は大統領 (当時は、ルーズベルト) の決定権に従うことになっていた一方、大本営においては、裁定を下せるのは天皇でしたが、天皇は自ら「ああしろ、こうしろ」という立場にはなく、そういった会議では、責任者の話を聞き、最後にその内容を承認するような立場だったので、両者の意見の調整役としての機能は弱かったのです。

   先ほど少しだけメンションしましたが、著者は日本軍が本来あるべきであった理想の組織として「自己革新組織」を挙げています。なぜなら 、軍隊(を含めた) 組織が継続的に環境に適応していくためには、組織は主体的にその戦略・組織を環境の変化に適合するように変化させなければならないからです。(P375) そして、著者は組織としての日本軍が「自己変革」に失敗した理由もいろいろ考察しています。まず、日本軍は「失敗した戦いから学ぶ」ということについては、とても消極的でした。例えばノモンハンでは陸軍装備の近代化を進める代わりに兵員の増強と精神主義で対応したのです。そのため、その後、敵方の戦力評価を適切に行うことは一切しませんでした。ガダルカナルでは日露戦争以来の正面からの一斉突撃という兵員をむやみに消費するような戦い方を繰り返し、その後の戦場でもそれは繰り返されたのです。また、組織の作戦会議などでは、自由闊達な議論がなされなかったので、情報が一部の関係者や少数の人的組織にとどまり、全体的な情報の共有がなされませんでした。     

   さらに日本軍の場合、組織の管理システムにおける人事昇進の基本は、「年功序列」であり、アメリカのように能力主義による思い切った人事はありませんでした。また教育システムにおいても、オリジナリティを奨励するより暗記と記憶力を重視する評価方法だったので (平時ではともかく、戦場のような) 予測しにくい状況では組織として十分に活躍できる人材は育っていなかったのです。 ( 年功序列社会において、一番受け入れやすい評価基準は学校における評価方法をのそまま適用するか、あるいは、ある一定の戦い方、例えば、「白兵戦」という一つの戦い方の基準にそって沿ってある程度の優劣を決めるのは比較的簡単です。しかし、個々のオリジナリティを評価することは基準がないので、決め難いですよね) 著者はこれが「白兵戦主義」と「大艦巨砲主義」が日本軍で生き続けた理由の一つではないか、と話しています。

   また、「異質かつ多様な作戦を同時に展開するためには、組織の構成要素に、主体的かつ自律的な適応を許すことが必須であるにもかかわらず、現場第一線における自律性を制約し参謀本部に極度の集中化を行なった。そして日本軍は結果よりもプロセスや動機を評価したため、また個々の戦闘においては (結果よりもリーダーの意図とかやる気が評価されたため、)作戦結果の客観的評価、その事実、経験の蓄積を制約してしまった。このような業績評価の曖昧さが情緒主義につながり信賞必罰における合理性の貫徹を困難にした。」と著者は考えます。さらに、「日本軍の組織は組織内の構成要素間の交流や、異質な情報知識の混入が少ない組織でもあった。例えば参謀本部における最大の欠陥は作戦課の独善性と閉鎖性にあった。」(だからおよそイノベーションを起こしにくい硬直的な組織だった) のです。「日本軍の最大の特徴は『言葉を奪ったことである。』(山本七平)という指摘にもあるように、組織の末端の情報、問題提起、アイデアが中枢につながることを促進する『青年の議論』が許されなかったのである。」(P388)

   最後になりますが、本書のタイトルに関して。。「失敗の本質」というタイトルから察して、みなさん(自分も含め)は、本書を「日本軍の戦争作戦の失敗要因の分析を、現代の一般的な日本の組織行動(企業、公共組織、地方自治体。。など)にまで広げ、考察している」と期待するのではないでしょうか?(自分はそう思って購入しました。)しかし、本書はほとんど、日本軍という組織の中の失敗論に終始しています(ただし、最後の数ページに現代企業との比較が行われていますが。)ので、購入時には注意してください。

   それから、6つの各作戦において、それぞれの作戦や実際軍の経緯など、もちろん最初の章で説明しているのですが、当時の状況を知らない読者にとっては少し説明が不十分な説明だったように感じました。(自分の読み込みが十分でなかったのかもしれませんが、)掲載されている作戦経過を示す図と解説文の地名や組織名がはっきりしていなかったり、作戦内容がわかりにくいようにも感じました。また本書には、比島(この字はなんとなく、フィリピン島であるのはわかるのですが複数の島のことが単数なのかはっきりしません。なんとなく単数のようですが、実際スマホで辞書を調べたら複数でした。)他、捷号作戦、兵棋演習、とか。。また、栗田艦隊の「反転」他、普段使い慣れない漢字や軍事用語での説明が多数あり、(だからといって)スマホで意味を(いちいち)調べていると逆に本書の内容理解が疎かになったり、ということがありました。たぶん、私の勉強不足もあるのですが。(おそらくこれは、著者のほとんどの方が、当時、防衛大学校の教授、助教授などをされていたので、本書で紹介される作戦の各事例がある程度すでに頭の中に入っていたり、一般人が使わない軍事用の単語などの知識がある読者を前提に執筆されている。または、読者として想定されている対象が、大東亜戦争を子供の頃、経験されている方だったのではないか、と推測します。)実際、本文中に「戦後これが、栗田艦隊の『謎の反転』として多くの議論がなされたことは周知のとおりである」(P180)とあるのですが、私は栗田艦隊のことは本書で初めて知りましたし、「反転」という単語も、なんとなく戦場に向かう戦艦が後ろへ針路を変えるのだから、戦意喪失とか、敵前逃亡とか、そういった大事態のように推測するのですが、こうった文脈において大事な単語には、あえて、はっきり著者の注釈なりを明示すべきだと思いました。こういった用語についても若い世代の読者が辞書で単語確認に煩わされる頻度が少なくるように、ある程度説明が欲しかったです。 (ある意味、本書を読むには、「古典」を読むような読書意識が必要だと思いました。というか本書自体すでに立派な古典なのかもしれませんね。。)