大坂町はない。
ムスメさんの登校当番で山を下る日は、時々、朝の町をぼんやり歩く。小さいころ、よく遊んでいた公園のベンチで、アイスカフェラテ。これを買ったコンビニの駐車場のとこには、むかし、シャルムという美容院があって、母と私はそこで髪を切っていた。担当のお姉さんが、当時流行っていた宝塚の「ベルサイユのばら」の、雪組の汀夏子さんに似ていたので、心の中で汀夏子と呼んでいた。ちょうどそのころ公会堂に来たベルばら公演は雪組だった。親にせがんで観に行った。フランス革命の兵士たちが並ぶシーンに「おいっ、チャンポンはもう食べたか?」「ハイ!とてもおいしかったです!」という会話が盛り込まれていて、子供心に「こうやって楽しませてくれるんだ!」と、妙な感動を覚えた。ただし、欲を言えば、花組の安奈淳さんのオスカルが見たかった。
真ん中の円柱が乗ったビルは、住友生命ビル。長崎の古い中心の長い岬で、長らくいちばん大きなビルだった。円盤状の部分は、私がベルばらに熱を上げていたころは、動く展望レストランで、子どもには最高に憧れの場所だ。1時間でグルリと町を見渡せた。
開港当初の町の中心に住友があるのは、長崎と大坂の関係を表しているようでおもしろい。「長い岬」の先っぽには江戸町があって、江戸時代の途中からは奉行所があり、ついこないだまでは県庁だった。大きな権限を持つ場所の名前としては、えげつない気もしなくもない。行政的にはともかく、経済活動や町の人の暮らしには、開港当初から大坂のほうがはるかに大きなつながりと影響があった。それでも、大坂町や堺町なんて名前はない。なんとなく、大坂の人の感覚ではそんなことしないだろうな、と思う。出島のオランダ商館長の江戸参府では、道中かならず、大阪の住友の銅吹所に立ち寄っていた。長崎での貿易の代金の多くは、ここで精製された銅で払われたからだ。大坂にはほかにも、長崎に送られる俵物(アワビの干物とか)を取りまとめる会所の跡などもある。住友の銅吹所跡のそばには、住友系のギラギラした建物があって、長い岬の住友ビル同様、歴史のつながりの凄み、みたいなものを感じさせる。