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雨降り、成長のはざま。大切な昔の話。

2019.06.24 13:17

こんにちは、松本佳奈です。

もうすぐ7月だというのに涼しい。朝晩は寒いくらいです。そちらはどうですか?


昨日は朝から雨降り。そして震度4の地震。結構揺れまして、神棚の上に置いてあったガラスの額が落ちて割れてしまいました。


その額に入っていたのは、音楽業界の大先輩、音楽家の佐々木真里さんがバリ島に行った時、ユタ(シャーマン)に私のイメージを伝えて描いてもらった絵で、二人の同じ姿をした女性が並んでいるものでした。


「この人の中には二人の人格があって、その摩擦に一生葛藤し続けるだろう」というメッセージ。


確かにそうでした。

私の中には複数の私がいて(誰にでも多面性があると思うんですけど)その人格同士が真逆だったり、我が強かったりして、常に脳内会議が大荒れだったのです。


いつ頃から自分の中の多面性を意識し始めたのかなと振り返ってみると、中学生の頃。いじめが蔓延し、ありのままの自分のままだと世の中を渡っていけないんだと気付き、周りに合わせたり、謙遜したり、興味がない話題にもさも興味ありげな態度を取ったりし始めた時期。

あの時期に、「ありのままの自分」とそうでない自分とがハッキリと分かれてしまった感覚がありました。



しかしよくよく考えてみると、もっと幼い頃から、「本当の自分を押し込む」ようなことをずっとしてきていたのかも。


なぜ、本当の自分を押し込まないといけなかったのか


それは、「本当の自分」が、「母が求めている自分」ではなかったからです。


それは、「本当の自分」が、「学校の友達が求めている自分」ではなかったからです。



「私はあの子が好き」

「え?あの子は悪い子だからダメ」

「私この色が好き」

「これは汚い色。こっちにしたらいいよ」

と、母は私を、母が思う「正しい方向」へ導きました。


「私はこれが好き」

「そんなもの好きなの?変わってるね」

「私はこれが好き」

「そんなの知らない。ダサい」

と、友達は私を、学校の流行に合わせようとしました。


だから私は、本当に自分が好きなものを人に言わなくなりました。大切なものは秘密にしておかないと、否定されてしまうから。



二人の自分。はっきりと意識したのは中学生の時。だけどもうずいぶん前、多分3歳頃から、無意識に「外向けの自分」と「内側の自分」の大きな分離が進んでいたように思います。

大人になる頃には本当の自分がもはや何かわからなくなってしまったし、自分でも取り出すことができなくなってしまったのでした。


けれど押し込めた自分は確実に私の中にいました。そして彼女は非常に怒っていました。


自分を否定したものたちへの爆発的な怒り。私は常に爆弾を抱えているような気持ちでした。心に鬼がいる、と思っていました。ちょっとしたきっかけで、その鬼が表に出てきてしまうんじゃないか。それが怖かった。


なぜ怖かったか?

他人に対して怒りを表現したことがなかったから。


相手の求める自分になること


私の中心はそこでした。

自分を出してはいけない、主張してはいけない、とにかく相手を尊重する。母や友達を尊重することが最優先。


だから相手に対して怒るなんて、絶対に許されないことでした。


だけど私は、ずっと、怒りたかった。


2013年、ついに大きな怒りの爆発が訪れます。27歳。気付くと私は台所でシンクをぶっ叩き、「そんなこと言われる筋合いありません!」と怒鳴っていました。


怒り収まらず、叩き、怒鳴り散らしました。

それが、一度目の結婚の終わりでした。



私はそこから気付きました。

自分は小さい頃、無邪気だったと。


もっと自然に笑えていたし

愉快だったし

気楽だった


誰の顔色も伺わず

評価や、褒められることなんか気にせず

のびのびと自由に表現していた

自分の好きなものを好きと言えていた



ありのままの感覚は、否定されるべきものじゃない


何が好きで

何を感じたか

それは一人一人違う

もちろん親子だって違う


そこには正しさなんてない

いや、全部正しいとも言える

それぞれが、違う正しさを持っている。


相手の求める自分

をやめて、

自分自身になる


嫌なことは嫌と言う

怒りも表現する


相手にとって都合の良い人間にならないこと。


「あら、また相手に合わせてしまったな」と思うことは、今もまだ度々ありますが(根深いので)少しずつ、「二人の自分」のズレが無くなってきている今日この頃です。


「どちらもいるなあ〜」と、のんびり俯瞰できるようになってきたという方が正確かな。


自分で自分を尊重できるようになると、他人のことも尊重できるようになるんじゃないかなと私は思っています。



地震で割れた「二人の自分」の絵が

「もうそろそろ、いいんじゃない?」と言っている気がしました。


自然の中に身を置くとき

人は自分を飾ることができないそうです。

だから私は、自然に足を運ぶ。

リセットするために。

無邪気な自分を忘れないために。



この話は根深いので

いろんな角度からまた書きます。

ひとまず今日はここまで!


素敵な一日を!

愛を込めて。