20代でNYにて起業。日本のポップカルチャーをアメリカに広めた経営者が25年以上、挑戦し続ける理由とは?〜クラファン株式会社 代表取締役 板越ジョージ氏に聞く、壁を乗り越える方法と経営論〜
26歳のころニューヨークで起業。日本人として初の株式上場を目前としていた30代前半、インターネットバブル崩壊と9.11が重なり、倒産を余儀なくされた板越ジョージさん。
40歳までに借金を返済し、マンハッタン近くの海が見える家で悠々自適な生活を手にいれました。しかし、セミリタイアすることなく大学に通い直して博士課程まで修了。現在は、新たな会社を立ち上げ、日本とニューヨークを往復する日々を送っています。
そんな板越さんに「挑戦し続ける理由」に加え、「壁を乗り越える方法」と「経営論」を伺いました。
(この記事は、5月15日(水)東京都内にて開催したanother life.主催/itty selection Inc.後援のイベントレポートです。)
倒産や裏切りから学んだ教訓「ビジネスは、戦術よりも人間力」
僕は、恵まれない家庭で育ったのですが、中学時代に所属したジャニーズ事務所での体験から、「がんばれば、こんな明るい世界に行けるんだ」ということを知ったんです。同期には少年隊などがいましたし、田原俊彦さんや近藤真彦さんのバックダンサーとして踊ることも多かったです。
成功することを目指して、日本の高校を卒業したあとは渡米。卒業後は出版社へ就職しました。1年で退社し、ニューヨークで起業をします。26歳でした。ちょうど1994〜1995年のインターネットが始まった時期にIT企業をつくったので、どんどん資金が集まり、事業はとても好調でした。
30歳を迎えたとき「このままでいくと勢いのいいお兄ちゃんで終わってしまうな」と考え、上場を目指すことにしたんです。そのころは日本人初のアメリカでの上場でしたし、最年少にもなる絶好のタイミングでした。
そこで、「上場するほどの会社にするには何をすればいいだろう?」と考え、日本の漫画やアニメを売る会社をつくったんです。
今では世界中で見かける日本のポップカルチャーですが、当時は「日本のアニメが海外で流行るはずないだろう」と、散々言われましたよ。
でも、ちょうどポケモンがアメリカでも流行りだしたことで、2〜3か月で1億円の投資が集まったんです。さらに7億4000万円の調達も成功。トントン拍子に成功していきました。
事業はどんどん拡大し、社員も増やし、「いざ上場だ」という2000年終わり、ネットバブルが崩壊しました。そのうえ、2001年には世界同時多発テロ「9.11」が発生。アメリカ経済は大打撃を受けて、自社も倒産する他なくなりました。
多額の借金を背負い、人々からは「嘘つき」と言われ、一緒にいたパートナーにしてやられたこともありました。「どうして自分はこんな目にあったんだろう?」と自問自答する日々でしたね。何度も、死のうと思いました。
鬱も患い、回復には7年を要しましたが、この壁を乗り越えられたのは「人のせいにしていてもこれは乗り越えられないな」と悟ったからでした。
倒産以前、ものすごいスピードで会社が大きくなって、何でも周りにしてもらうことが当たり前になっていました。何やってもうまくいくので、傲慢になっていたんです。
自分のなかに感謝、謙虚、誠実さが足りなかったのかもしれないと気づいたとき、真摯に人生や仕事と向き合う気持ちが復活し、徐々に回復に向かいました。
もちろん、戦術として「もっとビジネスをこうすればよかった」とか「あんな人を採用すればよかった」という反省点もあります。でも、多くのビジネスに携わってきて思うのは、戦術以上に人間力の方が、よっぽど重要だということです。
「正しいこと」を信じて続ければ、いずれ大きな信用となる
テロが起こった当初、ニューヨークには日本人が集まれる場所がありませんでした。それによって、安否確認もスムーズにいかず、多くの日本人が苦労をしました。
そこで、自分がなにかできることをしようと、テロの翌年、日本人向け異業種交流会を立ち上げました。2019年現在も続いていて、ニューヨークでは190回以上も開催しています。
2011年にはNPO法人化してマンハッタンの5番街にイベント開催や会議ができるオフィスも借りました。現在、その場所は立ち退きましたが、タイムズスクエアの近くに「Global Labo NY」というスペースを持ち、交流会やイベントを続けています。
こうして日本人コミュニティを作ったところで、以前の事業のように儲かるわけでもないし、「こんなこと、やっていていいのかな?」と思ったことは何度もあります。
50〜100人が集まるイベント運営はけっこう大変です。善意でやっていることなのにクレームもありますしね。だけど、「これは正しいことだから、きっといいことがあるはずだ」と信じて続けてきました。
その結果「信用」が残ったと感じています。今自分がこのポジションで仕事ができるのは、その信用のおかげです。
交流会を通じて「アメリカで成功するにはどうしたらいいの?」と聞かれることも増えて起業コンサルティングも始めましたし、中小企業から大企業までニューヨーク進出の際には相談してくださる方々が後を絶ちません。
日本企業がニューヨーク進出する際に大きな課題となるのが、資金調達です。アメリカは銀行がお金を貸す文化ではないので、投資家を募るしかありません。しかし、日本人が投資してもらうのは容易ではありません。
そんななか、2010〜2011年あたりにキックスターターやインディゴーゴーなどクラウドファンディングが流行。日本人がニューヨークでビジネスやアーティスト活動をしていくために使えるのではないかと研究をするようになりました。
そこで、クラウドファンディングの本来の価値は、お金集めや寄付ではなく、マーケティングだということを知りました。
この概念を日本で広めたいと思い、2014年には日本初のクラウドファンディングに関する本を出版。クラファン株式会社を設立し、コンサルティングも行っています。
現在、とくにクラウドファンディングと親和性の高い「地方創生」に力を入れています。とくに、佐賀県には「Global Labo SAGA」というニューヨークとつながる拠点も立ち上げました。
ここ数年は、毎月ニューヨークに1週間、佐賀に1週間、東京に2週間というルーティンの生活になっています。
やり残したこと・やりたいことは、いつからでも挑戦できる
よく「どうして、いつまでもチャレンジし続けられるのか?」という質問をいただくのですが、自分には動きつづけることが向いているのだと思っています。
倒産してから快方に向かうなかで「40歳までに借金を返して海がみえる家に住みたい」という夢を持ち、実際そんな生活を手に入れることができたんですね。でも、その生活を1年やってみると飽きてしまったんです(笑)
そこで、「今からやりたいことは何だろう?」と考えた結果、日本の大学に通うことにしました。ちょうど中央大学の大学院が開校するころで、奨学金試験も通過。
もちろん、ニューヨークに会社がある状態なので、日本との行き来がはじまります。2年間で20往復地球を10周半してMBAを取得。さらにはPhDを取るために博士課程にいったので、結局5年間で日米50往復26周くらいしましたね。
アメリカでは、大人になってから学び直すことは珍しいことではありません。ぜひ今からでも挑戦してください。
ビジネスをするのであれば、やはり大学に通って勉強するということはおすすめです。なぜなら、ビジネスに関する重要なことは、ほとんどがMBAの教科書にでているからです。
これまで自分は起業家としていろいろなことにチャンレジして、実地でビジネスの経験を積んできたけれど、全部MBAの教科書に載っていました。衝撃でしたね。
今、僕は30代のころニューヨークで会社を大きくしたときのように、日本で立ち上げたクラファン株式会社をさらに大きくすることに集中しています。
2015年の設立から4年目になって、社員も増えたので「全従業員の物心両面を高める」ことを追求したいからです。
ニューヨークでは、本気で夢を追いかけている、起業家やアーティストをたくさん支援してきました。彼らが有名なブランドになっていくのは、気持ちがいいんです。
ニューヨークの異業種交流会をパフォーマンスの1つの場にしてくれていたエビケンという男性が、アメリカのダンスショーで1億円を勝ち取ったときは嬉しかったですよ。一生懸命、一緒に売りに行った日本酒の「獺祭」が人気になっていくのも、嬉しかったですね。
もともとニューヨークの会社でインターンをしてくれていた子が起業する例も少なくありません。
こういった「誰かの成功が自分の幸せになる」ということが積み重なっていくと、「自分も支えられているな」と思います。
自分ひとりが成功するのは簡単なんです。だけど、自分ひとりが成功しても、誰かが犠牲になっているかもしれません。「身近にいる人たちを幸せにしよう」という決意をしてから、より豊かになっている気がしています。
自分のためだけじゃなく、周りや社会のために、これからも挑戦を続けていきます。
この記事は、5月15日(水)東京都内にて開催したanother life.主催/itty selection Inc.後援のイベントレポートです。
>>another life. meetup#71「壁を乗り越え、挑戦を続ける(ゲスト:板越ジョージ)」
※イベントは終了しています。