誰かのために全力を出すことはできても、自分のために全力を出すことはできない。
先日、家族に介護をしているときの周りのかかわりの話をしていました。どのように、介護をしている人を支えればいいのか。そのようなことをフランクに話していました。
その時、思ったこと、それが、題名の言葉です。
「誰かのために全力を出すことはできても、自分のために全力を出すことはできない。」
この言葉をどう思われますか?きっと、人によって解釈が違うと思います。そんなことはないと思われる方もいると思います。良い意味にも悪い意味にもとれます。
どちらでもいいと思います。
以前、私は、自分の祖母と一緒に暮らしていました。介護というほどのことではありませんが、祖母は車いすで、手助けが必要なこともありました。私は孫ですし、当時子供もまだ小さく、介護としてお手伝いすることは、それほど多くなく、肉体的に大変ということはありませんでした。
しかし、気持ちとしては、つらいものを抱えていました。
例えば、子供達を連れて外出に行きますが、祖母を連れていくことはできません。祖母は、一人で外出できませんから、外出したかったら誰かにお願いしなくてはいけませんが、自分からはなかなか言えません。申し訳ない気持ちでいっぱいでした。祖母を連れて行ってあげられるところに行くこともありました。だけど、祖母と一緒に小さな子供達を連れて行くのは本当に大変なことでした。手もかかるので、私もくたくたになりました。とても、気軽にできることではありませんでした。
子育て中だったので、子供の世話だけで精一杯でした。そんな中祖母からなにか頼まれると、なんで、自分でやってくれないのだろう?と思いました。祖母だって、本当は自分でやりたいけど、どうしてもできないから頼んでいるとわかっているのに。
介護でつらいことの一つは、状況の改善があまり見込めないことだと思います。一体、いつまでこんなことが続くのか。本当は本人が一番つらいだろうとわかっていながらも、私は、常に暗い気持ちでいました。そして、それを介護のせいにしていました。
そこで、自分のできること。というラインを作りました。まず、子供優先。そして、自分優先。その先でできることがあったら、祖母にする。この作戦はうまくいきました。できないところを、ディサービスにお願いしたり、他の親戚がサポートしてくれることになり、うまく回りました。あーよかった。
だけど、祖母がなくなり、私には後悔ばかりが残りました。なんで、祖母の事をもっと考えてあげなかったんだろう。
介護をして大変という人に、私は必ず伝えています。大変だと思う。つらいと思う。どうぞ、無理しないで、だけど、一番に考えるのは、自分ではなく、介護されている人のことを考えてあげて。
ひどい言葉に感じるかもしれません。でも、介護をやりきって、満足そうにしている人の話をきくと、かならず、相手のためにとにかく尽くしています。
それは、
「誰かのために全力を出すことはできても、自分のために全力を出すことはできない。」
からかもしれないなと思うのです。